スペシャル・インタビュー 月亭方正「落語で魂を燃やす」


月亭方正(つきていほうせい)インタビュー

お笑い芸人山崎邦正が落語に出会って月亭方正となり、17年が経ったという。東京で言えば真打のキャリアであり、既に弟子もいる。

その方正が、来月から新宿の末広亭で10回連続の落語会を開催する。いよいよ、上方落語の雄が東京の定席末広亭で大型公演を打つという、攻めの狼煙を上げるのか?と色めき立ち話しを聞きに行くと、「落語は、キラキラしている」と純粋な口ぶりで語る。

出会ってしまった「落語」で、「魂を震わせ、魂を燃やす」。

そんな月亭方正、要注意だ。

取材・文章:加藤孝朗(ハナシ・ドット・ジェーピー)


――最初にお伺いしたいのですが、現在の肩書は?

噺家です。お笑い芸人やタレントという言葉は使っていないです。

――落語との出会いについて聞かせてください。

落語には、39歳の時に出会いました。それまでは興味もなかったです。テレビ世代ですからドリフから始まって、ひょうきん族、ダウンタウンと、王道のテレビっ子ですよ。で、テレビスターやお笑い芸人を目指していました。で、運よく、お笑い芸人になれました。

やっぱテレビというのは、古いものを壊して新しいものを作っていく場所だと思っていたし、それしか頭になかったですね。あえてではないですけども、落語や古典芸能というものを、全く見ないようにしてました。それよりも、新しいものを作るという「今の仕事をどうする」っていうことしか、頭にありませんでした。

で、山崎邦正という名前も全国に知られて、認知もされました。まあ、おそらくあのままやっていても「いじられ芸」でね、テレビに出続けて飯が食えてたと思います。けど、やっぱ不惑を前にした時、テレビ芸はできるんですけど、生のお客さんの前で見せる芸がないということを、痛感させられました。

地方に営業に行って、「一人でお願いします」と言われても何もできないということが何回かあって。それがちょうど39歳の時だったんです。その時は本当に落ち込んで。20年頑張って芸人ってやってきたけど、何の芸もないって。初めて人生を立ち返ったんですよ。

19歳でこの世界に入った時に、皆さんに喜んでもらえると面白い芸人になる、芸のある芸人になることを目指しました。けど、そういう目標とする自分の芸人像と今が乖離している。このまま、このパターンで人生全うするのはあかんぞ、と考えだしました。

その時、新喜劇をやりたいと思ったんです、新喜劇の座長を。まあ、それまでに座員をやっていたんで、よし、これは山崎班を作って、東京で立ち上げてやっていく!と。こういう性格だから、すぐにマネージャーに言って。マネージャーも、じゃあ、来年の春から動きましょう、ということになって。ですぐに、藤山寛美の松竹新喜劇のDVDを全部買って、よしもとの新喜劇も全部資料を集めて勉強を始めて、よし、やるぞ、と。でも、そこで、それ以上やることがないんですよ。 新喜劇は、他に人がいなければ稽古もできない。なんでも、やりたい時にすぐやりたいっていう、僕の性格に合ってなかったんです。

――まずは新喜劇に向かわれたんですね。

そうそう。でも、自分の性格に合わないと。それでまた悩み始めて、その頃ちょうど陣内(智則)がワーッと売れていくときで、陣内みたいにピンで一からネタを作っていかないといけないのかと考えていた時に、東野幸治さんに相談したんです。そしたら東野さんが、落語聞いたら?桂枝雀おもろいで、と言われて。東野さんは同い年なんですが先輩で、先輩の言うことですから、仕方なく、枝雀全集のCDを1枚借りました。「壷算」と「高津の富」が入っているやつをね。

「壷算」はなんかごちゃごちゃ言ってるなという感じで、全然引っかからなくて。ただ、「高津の富」は枕から面白かった。あれ、思ってたのとちゃうな、落語、って。それから枝雀師匠のものを全部借りて、毎日枝雀漬けです。そうなると自分でもやりたくなってきて、勝手に覚え始めるんですよ。そこでわかったんですよ、これは一人でやる新喜劇や、と。その時はガッツポーズです。ああ、見つかった、人生でやるべきことが、ってね。

――それまで落語に向かわなかったのは、ダウンタウンという非常に革新的なもののそばで一緒に活動をしていたからで、伝統芸能はなんか違うという意識はありましたか?

いや、それはでかいと思いますよ。 ああ、やっぱりね、本当に思いますけど。 松本人志という人は、天才ですわ。 0から1を生み出すクリエイティヴの天才。その下にいる幸せと同じいぐらい、苦労もあります。その幸せと苦労の中で、多分ね、僕のキャパシティーがパンパンだったと思います。 他のことが入る余地がまずなかった。

あと、古いものを壊して新しいものを全て作っていくんですよ。古いって言っても、そこまで古くないですよ。 そこまで古くないけれども、古いものを壊していって、常に新しいものを生み出す環境の中で、もっと古い古典なんかにはまず行かなかったし、そういうものをしたらいかん、感化されるぞ、みたいなね。

――これだと思ったらすぐにやりたくなる性格の方正さんが、落語を覚え始めます。すると、人前に出たくなりますよね。

上手い下手とか関係なく、とにかく落語を覚えたい。その次は、人前でやりたくなる。でも、山崎邦正が落語をやりますって言って、入場料を取ったらめっちゃ怒られるだろうなっていうのは、まあ20年もこの世界いったら分かるわけで。だから、どこかに落語のツテはないか、自分が落語をやっても怒られない免罪符みたいなものもらえないかと探し始めました。その時に大阪の番組を毎週やっていて、そのたびに月亭八光といっつも飲んでいて、そういえば八光なんか落語とかなんとか言ってたな、と。で、実は、落語と出会って、うんぬんと話をしたら、「方正さん、僕、落語家ですよ」って。「えーっ!だからおまえ、月亭なんや!」みたいな。

で、八光の親父さんの月亭八方師匠が毎月勉強会をやっていて、そこに出られるように話をしてくれて、そこで初めて落語をやらせていただきました。その後、師匠の八方について、名前もいただき、噺家になりました。

――すぐに落語の虜になられると。

新喜劇というか、笑いを作っていくシステムに自信があったんです。ストーリーが好きだし。ただ、新喜劇があっていなかったのは、一人では何もできなかった、ということ。落語は、自分一人でできる。その時に僕は決めたんです、人生でこれをやると。

だから師匠にも言いました。師匠がやめろと言われたら、他のことはすべてやめますと。それぐらいに体、気持ちも全部落語に向かっていたんです。自信もあったし。ぶっちゃけ言うと、まあ、これは根拠のない自信でね、僕はこの世界に入る時もそうだったんです。 もう絶対この世界でやっていくっていう根拠のない自信があった。でも、そこには根拠がないけれども、何かの根拠はきっとあるんです、自分の中で。 で、今回もその時と同じだったんです。だから、テレビも全部やめるぐらいの気持ちでした。でも、師匠はやめんでええ、この世界に20年もおるんなら修業もしてるだろ。と言っていただきました。

――いわゆる前座修行は免除ですか?

いやいや、楽屋付きはしてないけれど、着物を畳むとか、師匠の用事はすべてやりました。

――そのような所謂落語の手続き的なものが方正さんの熱意を邪魔したりはしませんでしたか?

そんなことは、まったくない。もうそんなことよりも落語がやりたい。だから別にテレビがなくなろうが何しようが、やりたいと、もうそれしかないんですよ。 落語を始めて東京から大阪に戻りましたが、大阪で上方落語を体で浴びないと思うからさっと大阪に行けたし。 なんかこう、打算みたいなものはないですね。 なんかもっとキラキラ、キラキラしているというか。必死に、もうやりたいこと絶対やりたい! 叶える!もうそんなしかないです。

―お笑い芸人から噺家への転身は、周りにハレーションを起こすことはありませんでしたか?

僕はタレントから噺家さんにならせていただいた人。で、初めから噺家さんの方や、噺家さんからテレビに出られる方とか、もっといろんな人がいていいと思うんですよ。 僕はね。

で、僕はあっちからこっちに来た人間だから、やっぱりこっちの人に対して尊敬の念を持っています。山崎邦正が、タレントの武器として落語をしてるんじゃないかっていうような見方が皆さんあったと思います。江戸落語の方は特に。例えば春風亭一之輔さんに初めて落語会にゲストに来ていただいた時、一之輔さんの僕の見方が何かで変わった瞬間があったんですよ。それは何かって言ったらネタをやってるとか、そういう僕じゃなくて。僕は、太鼓たたいてたんですよ。 一番とか二番とか出囃子とか。それを見て、もうバッと変わった。なんか落語の住人になろうとしているんだ、が、なっているんだと、認められたような気がしたんです。

志の輔師匠からも、「何で落語なの?」と聞かれたことがあって、経緯を素直に話したらやっぱり山崎邦正が一つの武器として落語を始めて、これから芸能界を渡って行こうと思っているのかと思ったんだけど、「落語に出会っちゃったんだ!じゃあ、しょうがない」って言っていただいて。そう言ってくれる方は初めてだったんです。今まではすごい反対される方と、落語の裾野を広げてくれっていう方と、本当に真っ二つぐらいの感じだったんです。

――そもそも上方落語に行かれたのはなぜ?

結局は、関西弁が染みついてるし、多分江戸落語をやっていいたら、今は17年目なんですが、やっと江戸落語が出来るようになったぐらいの感じだと思うんですね。やっぱりそこは考えましたね。あとは、周りがどう思うかを考えましたよ。いきなり江戸落語始めたら、無理するなよ、ってなるでしょ。

――今、ベースは東京に移されています

ただ、拠点は関西です。もう正直な話、魂は完全に噺家なんですよ。正直、テレビって考えたら中央にいないといけないですよ。でも噺家から考えたらもうどこ住んでもいいですよ。

――そんな上方落語の方正さんが、新宿の末広亭で10回連続の落語会を開催します。今回の企画意図は?

この公演には、上方落語の方正を観に来る方から、落語が初めての方、テレビの僕しか知らない方まで、いろんな方が来られると思います。吉本の漫才さんにも入ってもらうので、いろんなものが混在するんです。その中でも、方正の落語をきちんと好きになってもらう、それが一番の目標です。

僕は今、57歳なんです。これは僕のラストの東京での勝負だと思っています。20歳の時はテレビで東京に勝負して、今回は落語で勝負しようと思っています。あと3年で一応噺家になって20年。 それでやっと噺家としてやっと1人前かなと思ってるんです。それまでのラスト3年は、もっともっと挑戦したい。で、噺家20年からは楽しんでできたらな、と思ってます。

――混在する客層に繋がることではありますが、方正さんは落語のすそ野を広げられる可能性を持つ噺家さんだと思います。その役割を担っていくというか、引受けていくという意識はありますか?

それはありがたいことに僕にできることだと思う。 本当にそれを思ってます。だからという訳ではないですが、来年、上方落語協会の彦八まつりの実行委員長をやるんです。そういうものは、もうどんどんやっていって、もうなんか自分の使えるものは何でも使って、落語を広めていきたいと思っています。

こんな素晴らしい芸能なんだから、もっと魅力を伝えないといけない。今は、若い才能が全部テレビに流れてしまうんですよ。去年でも上方落語協会に入ってきた新弟子は1人です。 一昨年は2人ですよ。僕も39歳で初めて落語を知ったから、まあ偉そうに言えないですが。でも、こんな素晴らしいものをできるんだよって、どんどん言っていきたいし、いろんな才能が入ってきて欲しいと思います。で、そこでやっぱりある種の戦いがないと見てる人もね、なんかこうぱっと湧かないんですよね。 だからいろんな才能が来て、皆が魂をぶつけ合ってっていうそんな環境を落語に作りたいですね。

――まずは見る人が増えないと、プレーヤーも増えないですからね。

もちろん。まあ、そればかりを思っているわけではなく、もちろん自分のことを思って、自分の魂がどれだけボロっと出せるか、自分の魂をふるわせられるかということを毎日考えています。

――今回の末広の企画、ズバリ見所は?

この会にということではないですが、やっとね、魂がちょっと出せるようになってきたんですよ。今まではちょっとかしこまっていたりしていたのかもしれません。まあ、肩の力が抜けてきたのか、魂がちょっと出せるようになってきたので、最終的には魂をボロッと出せるようしたい。それをしていく会にしたいと思います。

人はね、最終的にはやっぱり魂が震えてる人や、魂を燃やしてる人に惹かれるというか。 僕は、新しい学校のリーダーズを初めてテレビで見た時に、もう魂が燃えてるのが見えたんですよ。 あの子らが、なんかふわーって。 これや!って思いました。

職種は違うけど、新しい学校のリーダーズとか、東京ゲゲゲイとかそういう人達って何がすごいんやろ?なんで俺こんなに感動するんやろ?って見ていてわかったんです。あ、魂が燃えてんのや!って。

落語がどうとか関係なく、何でも魂が燃えてたら、やっぱり見てる人も呼応してくると思うんです。 で、今度その呼応した分の油みたいなものが演者に注がれてまたその油で燃えるみたいな、ね。そう思えるようになったのは最近なんですが、僕も魂を燃やしていきたいと、そう思います。


【公演情報】

月亭方正落語会 月一方正噺‐全十回‐

会場:新宿末広亭 (東京都)

日時:2025年8月22日(金) 21:15開演 ( 21:00開場 ) 22:45終演予定
出演:月亭方正、NON STYLE(ゲスト)

日時:2025年9月12日(金) 21:15開演 ( 21:00開場 ) 22:45終演予定
出演:月亭方正、ちょんまげラーメン(ゲスト)

価格:椅子席 3,500円 ※指定席
   桟敷席 3,500円 ※整理番号付き自由席

チケット:FANYチケット / チケットぴあ (8/22)

チケット:FANYチケット / チケットぴあ (9/12)

公演などに関するお問い合わせ先: FANYチケット問合せダイヤル:0570-550-100

月亭方正オフィシャル・サイト