【スペシャルインタビュー】玉川奈々福「歌手でメジャーデビューも、浪曲のため。」


玉川奈々福(たまがわななふく)インタビュー

1995年7月二代目玉川福太郎に入門。
三味線の修行をしていたが、師の勧めにより2001年より浪曲師としても活動。

2004年「玉川福太郎の徹底天保水滸伝」全5回、2005年「玉川福太郎の浪曲英雄列伝」全5回をプロデュース。

2006年12月、奈々福で名披露目。

2017年から18年にかけ、「語り芸パースペクティブ」全11回を開催。
さまざまな浪曲イベントをプロデュースする他、自作の新作浪曲や長編浪曲も手掛け、他ジャンルの芸能・音楽との交流も多岐にわたって行う。

2018年、平成30年度文化庁文化交流使として、中欧、中央アジアの計七か国で公演を行った。

2019 年「現代の観客のこころを動かす語りの芸と、浪曲にあらたな息を吹き込む卓越したプロデュース力」が 評価され第 11 回伊丹十三賞を受賞。


浪曲師の玉川奈々福がメジャー・レーベルからCDをリリースした。
それも、浪曲のCDではなく、歌を出したのだ。

落語のスケジュール・サイトを運営している観点からすると、奈々福の名は落語のスケジュールの中では最も多く見る名前だと言っていいだろう。

近いところでは、7/31に「シャクフシハナシ3」@晴れたら空に豆まいてでは喬太郎と、8/15に「三越前名人会」@お江戸日本橋亭でブラックと、8/25に「三遊亭兼好独演会 浜辺の兼好」@横浜にぎわい座では兼好と共演するなど、その振り幅の広い活躍ぶりに自然と目が行き、注目をせざるを得ない存在になっていたことは確かだ。

また、今年は「現代の観客のこころを動かす語りの芸と、浪曲にあらたな息を吹き込む卓越したプロデュース力」が 評価され第 11 回伊丹十三賞(第1回糸井重里、第2回タモリ、第3回内田樹、第4回森本千絵、第5回池上彰、第6回リリー・フランキーなどが受賞)を受賞するという快挙を成し遂げてみせるなど、その縦横無尽の活躍ぶりには目を見張るほど。

その上で、今度は、歌でメジャー・デビューをするという。
「どこへ行くのだろうか、この人は?」という興味と、そのバイタリティの源泉を知りたくなり、じっくり話を伺ってきた。

場所は、両国にある刀剣博物館。
それは、今回のCDに収録の楽曲が「刀剣歌謡浪曲」だから。
インタビューの場所にさえ、鋭いアイディアが光るのも奈々福流。

取材・文章:加藤孝朗(ハナシ・ドット・ジェーピー)
デザイン:林香余
撮影協力:刀剣博物館 – 日本美術刀剣保存協会
https://www.touken.or.jp/museum/


浪曲っていうものはどんなものかも、まったく知らないで。そこから、まさかこんなことになるとは(笑)。

――まず、生い立ちをお聞かせください。どのような学生時代だったのでしょうか?

中学、高校と演劇部にいました。小学校の5年生か6年生の時にテレビで文学座の「ハムレット」をやっていたんです。ハムレットが江守徹さん、オフィーリアが太地喜和子さん。テレビで新劇を見るほどつまらないことはないはずなんですが、すごく衝撃をうけました。で、中学に入ったら絶対にお芝居をやりたいと心に決めて。演劇部に入ろうと思ったら、親にものすごく反対をされました。「演劇なんてものをやらせるために中学に入れたんじゃない」って。おばあちゃんも、「ああいうのは、河原乞食がやるものだから」って。……「河原乞食」(笑)その言葉を知らなかったもので、びっくりしまして。なんで、お芝居をやることにこんなに親に反対されるのか。そこで初めて演劇というものが社会からどう見られているのか、芸能とはどう見られているのかに気がつきました。でも反対されると余計に掻き立てられるもので、「たかが中学の部活だから」って言って親を説得して演劇部に入りました。そこから結構のめり込んで、アメリカのMGMミュージカルを見まくって、鎌倉の学校だったんですが、東京に通ってお芝居とかを見始めちゃって、パルコ劇場でミュージカルを見たりとか、芸術座に行ったりとかしていました。

――ずいぶんとませた中学生ですね。

そうかも(笑)。でも、中学生の頃から浸って色々と行っているから、劇団のシステムなんかも見えちゃうんですよ。結局、劇団って作った人のものじゃないですか。だから、劇団に入ってもやりたいことができるかどうかは分からないし。あと、私の両親は学歴で苦労してきた人なので、子供には絶対に学歴をつけさせたいという強い思いがあって、「絶対に大学に行ってください。お芝居はやめてください」って言われて、演劇は諦めようと思って、大学に行きました。で、何の目標もなく大学に行ったので、一番つぶしの効かない国文学科に入っちゃいまして。何をやっているんだ、みたいな(笑)。

――井上ひさしさん作の「唐来参和(とうらいさんな)」を一人芝居でやられたとインタビューで拝見しました。

大学時代ですね。その時は小沢昭一さんがやられているのは知らなかったんですよ。井上ひさしさんの作品は中学高校からずっと読んでいて、「戯作者銘々伝」を大学になってから読んで、「わー、これやりたいな」と思って。大学に入るときに、すでにお芝居は一度諦めたんだけど、一人芝居を学園祭でやるくらいなら、まあ、いいじゃないかなと思って、同級生たちに協力してもらって、やりました。それが終わってからだったか、実は「これ小沢昭一さんがやってるんだよ」っていうのを聞いて、びっくりして、「わー、そんなのに手を出しちゃったんだ」って。後年、小沢昭一さんとすごいご縁ができることになるなんて、思いもよらずにね。

――諦めたお芝居を再びやろうと思ったのは、それだけ「唐来参和」に強い感銘を受けたからでしょうか?それとも、お芝居に対する未練というものがあったのでしょうか?

両方ですね。劇団に入ったりすると大変だけど、一人でやる分には自由にできるじゃないですか。自分で自分をコントロールするのが好きだったんじゃないかな。ただ演じるのが好きというよりは、作、構成、演出、全部やりたいという感じで。それが今、浪曲だと全部できるので、もともとそういう志向性があったのかもしれないですね。

――舞台に立つ喜びはクセになると言われています。そういう部分が体の中に残っていて、舞台に立つ、人前に立つということを欲するということはあったんですか?

いや、大学卒業をして就職してからは、一切そういうことは思わなかったです。浪曲の三味線教室に通い始めたときも、舞台に立ちたいという動機で行った訳では全くないので。だから、諦めた世界でした。未練があったわけでもなんでもなくて。ただ、それに代わるものを見つけられなくて、モラトリアムでマスコミを受けていただけです(笑)。

――マスコミを受けて、出版社に入られます。

それも、テレビも新聞も全て落ちたから出版社に行っただけです。やっと引っかかった小さな出版社に。とりあえずといった感じでした。何か大きな目的があったわけでなく、流されて生きるという感じでした。

――編集の仕事は醍醐味がある仕事だと思います。ただ、とても大変な仕事でもあると思いますが、それを20年以上やられてきました。仕事は充実していて、編集という仕事にも満足されていてという状態で、そこで浪曲と出会います。

本当に、「出会う」ですね。浪曲の世界に行きたいと思ったわけではないので。編集の仕事っていつも勉強していなければいけないんですよ、いろんな人にお会いするし。もちろん本を読むことも勉強なんですけど、「感覚」を養いたいなという思いがある時すごく高じて、生涯続けられる習い事がしたいっていう思いが強くなりました。お茶や日本舞踊など色々な選択肢の中で、ある時、日本浪曲協会で三味線を貸与してくれての三味線教室があるという新聞記事を見て、「あ、三味線触ったことないし、行ってみようかな」と思ったんです。浪曲の三味線はどんなに特殊か、浪曲っていうものはどんなものかも、まったく知らないで行っちゃったんです。そこから、まさかこんなことになるとは(笑)。

――三味線を習いに行かれて、どのタイミングで、「これだ」と思われたんですか?

思ってないです、全然。音色には強烈に惹かれました。でも、すごく訳が分からないままで。譜面はないし、先生の言っていることの意味は分からないし。講師の師匠がいて、三味線がいて、2人の息がどういう仕組みになっているのかが全然わからない。まずは、大体どういうものなのかという構造の理解から始まるじゃないですか。でも、構造に対する講義も一切なくて、こんなにも分からないということがあるのかと驚きました。ワンフレーズ弾いてくれるんですが、何拍子なのかも分からないし、五線譜でとれない音が沢山入っているし。で、もう一回って弾いてくれるんですが、さっきと違うんですよ。でも、「同じよ」っていうんですよ。衝撃的に美しい音色と、その分からなさに惹かれたところはありました。

――分からなさに惹かれるというのは面白いですね。

でも、浪曲協会は一般に開かれた優しい顔をした三味線教室のふりをして、実は曲師が不足していて、三味線教室に来た若手でできそうなのがいたらピックアップして弟子入りさせちゃおうという隠されたミッションがあったんですよ。それにうっかり引っかかって。

――(笑)。

で、一年も経たないうちに発表会があったんですが、その席上で、うちの私の師匠になる玉川福太郎先生に、「君はプロになる気はありますか?」と言われたんです。舞台の上で、お客さんの前だから「そんな気はありません」とも言えないし、教わっている先生に恥をかかせられないから、その場限りのつもりで「はい」と言ったんです。それが言質を取られたみたいになりました。そこから弟子入りの話になって。でも、「私は出版社に正社員として勤めていますのでできません」と言ったら、「土日は休みだろ」と言われて(笑)。半ば強引に弟子入りさせられてしまったんです。で、玉川の名前をいただいて修行が始まりました。

2019/06/20 CDリリースイベント


――今の話はとても面白い話だと思うのですが、当時この状況を奈々福さんは理解されていたんでしょうか?ご自身の中にはストンと落ちていたんでしょうか?

本当にプロになる気はないし、起こっている状況に対応するのが精いっぱいでした。出版社の仕事も浪曲もあるから、休みが一切なくなったんですよ。だから、真面目に対応していたら大変なことになると思っていたので、結構、浪曲の方はさぼっていました。最初はダメな弟子でした。平日昼間に働いているので寄席の木馬亭にもあまり行けないし、大事な協会の集まりにも行ってないし、三味線は好きだから弾くし、曲師のお仕事は楽しいんですけども、弟子に課される基本的な課題ってあるじゃないですか、それは極力さぼっていました(笑)。

――そこから、どのように浪曲1本に絞ることになったのでしょう?

その前に、まずは浪曲を唸ってみろと師匠に言われるキッカケがあって。三味線が下手すぎるから一度唸ってみろ、って。浪曲の三味線というのは、相手の呼吸を盗んでいかなければいけないんですよ。浪曲師が声を出しやすいように、息継ぎする時や次に声を出せという時にパーンと入れなければいけないのに、声とぶつかる、声を殺す三味線を弾いていると言われまして。だから、1席浪曲を覚えて、唸る側として三味線を弾いてもらって、声が出しやすい三味線の呼吸を逆の立場で勉強してみろ、と。師匠に言われても、でも、最初は「無理です!」と拒否してました。そもそも、ダメな弟子で、なりゆきでこうなったけど、浪曲の世界にいることそのものにも戸惑いだらけなわけですよ。その上で唸ってみろなんてありえないでしょって。でもずっと言われ続けていると、心に魔が差すんですね。どこで間違えたんでしょうか、どこかで心が動いて、じゃあ覚えてみようかなという気になったんですよ。好きな話を覚えて良いって言われたので、だったらこれっていう大好きなものを1席だけ覚えて、1回唸っておしまいみたいな感じで。

――その1回が何かご自身に響くものがあったんですか?

そうでもなかったと思いますよ。三味線との息の合い方というのは難しいなという自覚はしたんですが、浪曲ってとっても難しいんですよ、声は出ないし。でも、うちの師匠って絶妙にニンジンをぶら下げてくるんですよ。本当に浪曲師になる訳ではないけれど、「1席覚えたんだからもう1席覚えろ」とか、「せっかく覚えたんだから何ヶ月に1回は木馬亭に出たらどうだ」と言い出して、そんなことを言って段取りもつけてくれちゃって(笑)。で、やらされていくうちに、これは面白いなって、思い始めたんです。

――三味線ではなく1回唸ってみろと言われて、そこから師匠の言うことに対応しているうちに、気づいたら魅力にはまっていたということですね。

私が初めて唸ったのは2001年なんですけど、2002年の暮れから2003年の最初にかけて師匠が命にかかわるような大病をしたんです。もしかしたら復帰できないかもという状況で。そこから復帰して、新鮮な気持ちでもう一回舞台に立った時、師匠の浪曲はすごくなっていたんです。喜びに満ちていて、力強くて、生まれ変わったんじゃないかと思うぐらい。で、うちの師匠をもっと皆に聴いて欲しいなと思いまして、それがきっかけで2004年からプロデュース公演を始めるんですが、その辺からですかね、浪曲にずぶずぶと本気になり始めたのは。

――そこからいろんな企画をするというプロデュース能力を発揮されていくことになります。

最初、浪曲がこんなに人気がないのはなぜなのだろう、と思ったんです。定席の木馬亭のお客さんは少なくて、舞台に立っている人数の方が多いみたいなことも当時は多かった。私は浪曲を面白いと思っているけれども、こんなにお客さんは少ない。でも、少ないのも分かる気がしたんです。下手すぎなんです。浪曲師としての技術は高い師匠方が大勢おられたけれど、何をやるのか魅力はどこにあるのか、伝え方とか、見せ方が下手すぎで。私の思う方法でお客さんにアピールしてみて、それでも来ないのであれば、それは浪曲が今の時代にリンクしない芸能になってしまったんだと諦めもつく。

その時点で、こうやってみたらどうだろうと、アイディアはいっぱいあったんです。企画の角度がはっきりしている上で、何をやるのか、それはどういう内容のものなのかという文字情報があること。さらにビジュアル的にキャッチーであること。そしてゲストには浪曲応援団になってくれる著名人のゲストを呼ぶ。それは、小沢昭一さんだったりしたのですが。後は、会を長くせずに最大2時間にすること。会のあとでお客さんたちが、浅草で一杯やりながら、評判できるように。思う限りのアイディアを入れて、このやり方で来なかったらもう難しいだろうと思ったら、バーンとお客さんが来たんですよ。二年間、連続10回公演して、全回木馬亭が満杯になったんです(笑)。つまりは面白いものを面白いやり方で見せればお客さんは来るんだ、と。「やればできるんだ」とわかれば、面白くなりますよね。やり方次第で、浪曲には可能性があるんだと、うちの師匠を多くの人に聴いてもらえるんだと思ったら。

――浪曲という芸能自体は時代とズレてはいなかった。

はいそうです。今に生きる芸能足りうるという確信を深めました。アイディアも、改善すべき方法も、いっぱいある。それを改善すれば、お客さんは来る。看板はうちの師匠で、文句なしに面白いことをやってくれる。そんな中で私は前座で修業をして、それはすごく良い経験になっています。

――なるほど。奈々福さんは、最初から、もっとこうしたらいいとか、改善点をあぶりだせたりとか、そういうプロデューサーとしての視点を持ちえていたということですよね。
今言われた、チラシがキャッチーなものであって、きちんと内容が書かれていて、公演が2時間であって、というようなことはそんなに難しいことではないですよね。ただ、奈々福さんは、その問題点にちゃんと気付けて、そこに手を付けられた、改善ができたというのはなぜなんでしょう?

中学の頃からお芝居を観たりとか、いろんな公演に足を運んでいたということはあるかもしれないですね。

――もしくは編集者としての視点なんでしょうか?

それは、よく言われますね。そうなのかもしれないです。でも、私は、浪曲をやろうとか、プロデュースをやろうとか決めたわけではなく、流されるまままりゆきで浪曲師になり、場当たり的に考えてきたに過ぎないので、キャリアとして結果的には積みあがっているとは思いますが、意識的に意図的にやってきたわけではないんですよ。

刀剣博物館にて

――なるほど。その結果としての、伊丹十三賞を受賞されます。これはすごい賞ですよね。過去の受賞者の面々を見てもすごい名前が居並んでいます(第1回糸井重里をはじめとして、第2回タモリ、第3回内田樹、第4回森本千絵、第5回池上彰、第6回リリー・フランキーなどが受賞)。

とんでもないでしょ(笑)。間違えちゃったんじゃないかと思いましたよ。大丈夫なんですかね、私なんかにあげちゃって。

――この受賞は、認められ方としてはかなり嬉しいものですよね。

はい、とっても。伊丹十三さんが生きていたらこれは面白いと膝を叩いたであろうものを、選考委員の方々が選ばれるわけですから。伊丹十三さんのような多才の塊みたいな、あんなセンスのある人が面白といったであろうと目星をつけていただいたなんてものすごく光栄です。私はいちおう、浪曲一筋の気持ちで、プロデュースも浪曲一筋の気持ちで、プロデュースも浪曲を映えさせるための一つの方策だと思っているんだけど、でもやっぱりプロデュースの力というのを評価していただいたというのは初めてだったので、とてもうれしい出来事でした。

――過去の受賞者はポップ・カルチャーの方が多いじゃないですか。サブ・カルチャーの匂いもする、絶妙にど真ん中ではないという感じじゃないですか。すごいところに位置取りをされている人たちばかりです。

そうですね。匂いを纏っている人たちですよね。

――そこに奈々福さんが名前を連ねられたというのは、どのようなお気持ちなんでしょうか?過去の受賞者と同じく、絶妙な位置取りをされている人として見られているんだと思うのですが。

そう考えたことはなかったから、今ちょっとドキドキしてきました(笑)。でも内田先生と一緒だとか、リリー・フランキーさんと一緒だとか考えるとね。リリーさんなんてあやしい人の代表格じゃないですか。ああいうあやしいおじさんと一緒の賞と考えるとすごく嬉しいですね。内田先生もとてもあやしくてあぶない先生ですから、そういう人と一緒なのは嬉しいのと、それと、とてもお世話になっているお能の先生で安田登先生という方がいらっしゃるんですが、その先生が、「奈々福さんは伊丹十三賞なんていう立派な賞を受賞したというのに、歌手になるそうですよ。だんだん分からない人になって来ましたね」って言われて。それ、すごい誉め言葉だなと思いました(笑)。

――確かに、分からなくなってきました。

日本人って、「この道一筋」が好きじゃないですか。浪曲の世界もそのような人ばかりです。私もあやしい人になろうという意図は全くなく、一筋の気持ちでいるんですよ(笑)。でも、浪曲の中にいるだけだと浪曲のことが逆に分からなくなっちゃうんです。ほかのジャンルの芸能の方とか、評価してくださる方々とか、いろんな方と交わっていろんなお話を聞いていると、それと自分との距離において浪曲の特徴とか浪曲の魅力とか、浪曲を今やる意味というのが逆に照射されて自分の中で鮮明になって来るんですよ。あくまでも浪曲を続けるうえで、他の人たちと交わっていくということは、私にとっては必須だったっていうことの結果だと思います。

「歌」という話は私の想像を超えていたので、ちょっとのってみたらどんなことになるだろうっていう風に思って。

2019/06/20 CDリリースイベント

――そこから、「歌を出す」、「歌手になる」というお話をお伺いします。最初にこの話をお伺いした時、普通に浪曲のCDを出されると思ったんですが、資料を見たらどうやらそうじゃないと。歌も入っているけれども、浪曲のCDなんだろうなと勝手に想像していたんですが。

そうそう。「えーっ、歌なのォッ?」みたいなね。おまけが浪曲なんです(笑)。

――奈々福さんのツイッターを見たら、「メジャーデビューします」って呟いていて、あ、そっちか、と。

そっちです(笑)。

――びっくりして、資料を読み直して、音を聴かせていただいて、あ、そういうことなんだと初めて腑に落ちたんですが、これは、周りの方々の反応はどうでした?

家族は、いまだに見て見ぬふりをしています。私がどんどん新しいことをしていくので、家族はついてこられないんです。世の中から評価してもらって新聞とかに載るとやっと安心して、娘は大丈夫なんだと母は思うみたいなんですよ。ただ、歌手については、聞いて聞かないふりをしている感じです。

――歌をやるということになった経緯は?

去年の2月にあるイベンターの方が私に興味を持ってくださって、奈々福さん何かやりませんかって言ってきてくださって、その時に作詞家の相田毅さんが同道されて、初めてお会いしたんです。で、奈々福さんの浪曲は面白いけれども、浪曲は1席30分でしょ。浪曲のお客さんになりうる人がいっぱいいると思うけれど、メディアに出たときに30分で1席やらせてくださいという訳にはいかないから、なにかもうちょっとキャッチーで短くて聴いてもらいやすいものがあった方がいいんじゃないかと。だから、歌をうたってみる気はありませんかっていわれて。で、私はにべもなかったんですよ。そうしたら相田さんが実は一曲用意してあるんだけど、って。また、存じ上げなかったんですが、相田さんはとても高名な作詞家の方でSMAPさんとかジャニーズのいろいろな方を手掛けてらっしゃるというので、一体どんな歌を作ってくださったんだろうっという興味もわいてきて。で、デモを送ってもらったら、マイナーコードのしっとりとした歌だったんですよ。びっくりしました。私のイメージって結構、明るくってスカッとしていると言われることが多いので。

――そのデモは、今回収録の歌ですか?

「恋々芝居」です。で、試しにデモ録音してみましょうよって。また、持って行き方が上手いんだ(笑)。新しいことって、のせられてみようかな思うじゃないですか。今まで全部セルフプロデュースしているから、他の方から、今までの自分がやってきたことの「こんなことやってみませんか」的なお誘いは、魅惑的ではあったんです。「歌」という話は私の想像を超えていたので、ちょっとのってみたらどんなことになるだろうっていう風に思って、デモ録音をしてみました。録音したものを自分で聞いてみて「下手です」って言ったら、「味があります」って相田さんに言われたりとかね(笑)。

そんなことをしているうちに歌だけで会をやってみませんかと言われまして。歌は嫌いではないので、自分の好きな歌だけ集めて浪曲は一切なしの歌だけの会というのを今年の1月にやってみたところ、そこに相田さんがコロムビアの方をお連れになって。で、コロムビアの方には浪曲の舞台も見ていただいたりして、トントントンと話がまとまってデビューすることになりました。驚くべき流れですよね。本当にびっくりしましたね。

――気づいたらすべて舞台は整っていたという感じですか?

そんな感じですね。のってみようという意思はあったので、担いでやろうという方がいらした時にはみこしになってみるというのを今年のテーマにしているので。

――「はやされたら踊れ」と言われていました。

はい。そこで、どこまで踊れるものなのかやってみようと。プロデュース公演を15年もやっていると、自分一人でできることの限界を感じることもあるんですよ。やっぱりメジャーデビューをすることによって、私は浪曲師で、浪曲という芸能があるんですよということを、これまでは想像もつかない範囲で広げていただけることになるだろうと思うんです。そして、歌をうたってみることによって、自分の芸ももしかしたら変わってくることがあるかもしれないし、また、いろんな才能と知り合えることになるだろうし。そうなると私の「浪曲史観」を、さらに強められるかもしれないという可能性をすごく感じたので、ちょっと力こぶを作って、これはやってみようかなと思いました。

2019/06/20 CDリリースイベント

――「歌と浪曲は違うから歌うな」と修行中は言われていたと聞いています。

実際に歌うことと浪曲は違うんです。歌の節尻って声を揺らすじゃないですか、浪曲では声を揺らしてはいけないんですよ。グーっとまっすぐに押していって最後にこぶしを作ってという感じだから、このクセがない方が確かにいいだろうなと自分でも思って、浪曲が身に付くうちは歌はうたわない方がいいと自分でもそうしてきました。

――先程言われていた歌の会は、何曲歌われたんですか?

13~4曲歌いました。聖子ちゃん歌って、ユーミン歌って、ドリカム歌って、そんな感じで。歌えるとは思ってはいなかった好きな歌を人前で歌えるという感動で、気持ちよかったです。歌だと2時間のライブをやっても喉が楽なんですよ。だから、楽しい!みたいな感じですね。

――その楽しいと感じることは重要ですよね。特に知らないジャンルにこれから気持ちを向かわせていかなくてはいけない時には。

最初は気持ちがとっ散らかっちゃってて大変でしたが。大体、演台がないのが一番つらかったです。私たちは、胸から上は見られるという前提で管理しているんですが、胸から下は「健康第一」以上の管理はしてません(笑)。力強く足を踏みしめて、仁王立ちになって踏ん張らないと声が出ないので、でも歌は踏ん張っちゃいけないので、そこはつらかったです。

刀剣博物館にて

――今回のCDの楽曲について一つ一つお伺いしたいのですが、まず1曲目の「舞いを舞え」は刀剣歌謡浪曲と名がついていますが、これはどのようなものですか?

歌の主人公が刀剣なんです。初め、作詞家の相田さんが、奈々福さんが歌うんだから歌謡浪曲を作りたいとおっしゃったんです。私は、三波春夫先生の「俵星玄蕃」をまず聴いてくださいと言ったら、相田さんがハマっちゃったんですよ。で、現代の「俵星玄蕃」を作りたいとおっしゃったんですが、それはご勘弁と思いました。「俵星玄蕃」といったら三波春夫先生の代名詞だし、私が歌ったところで、足元にも及ばないから、三波先生の真似とか二番煎じとかそういうのは一切やりたくないですと。で、もしも歌謡浪曲を相田さんが作りたいと思ってくださるのだったら、私は玉川を名乗っていて、玉川の家には「天保水滸伝」という家の芸があるんです。三波先生が「大利根無情」、田端義夫さんが「大利根月夜」で歌っておられるのが、その「天保水滸伝」の主人公の平手造酒(みき)です。昔はみんな知っている話だったんですけどね。この平手造酒を主人公とした「天保水滸伝」の歌謡浪曲を作ってくださいといったら、分かりましたといって、ざっくりした作詞があがってきたんですね。作詞はあがってきたんだけれど、歌の間の啖呵の部分を浪曲調に整えてくれないかというので、私が作らせてもらったんです。今、刀剣ブームですよね。平手造酒が持っていたのが福岡一文字という後鳥羽院御番鍛治の名刀なんですね。その平手造酒の名刀の目線で、「自分はただの玉鋼だったけれども、後鳥羽院御番鍛治によって打ち出され名刀となった。でもゆえに相手を選ぶ。こいつも違う、こいつも違うと思っていたけれど、平手造酒に掴まれた時に、あ、こいつこそ、と思ったのだ」っていう歌に仕上げました。で、それをどういう風に売り出しましょうかとコロムビアさんで会議をしたときに、「長編歌謡浪曲」という言い方をするけれども、今回は「刀剣歌謡浪曲」と言っちゃったらどうですかと提案したんです。それに皆様乗ってくださいまして(笑)。「刀剣歌謡浪曲」となりました。

――これは完全なコラボレーションで、奈々福さんは作詞家としてもクレジットされています。どういうものを歌って、何を世に出していこうということまですべて関わっているということですよね。

この曲に関してはそうですね。

刀剣博物館にて

――手ごたえとしては、どうですか?

やっぱり、「天保水滸伝」という家の芸に関しては、うちの二代目玉川勝太郎、三代目、うちの師匠の玉川福太郎と、ずっと受け継がれてきたものなんですよ。私の宝でもあるけれど、代々受け継がれてきて、あだやおろそかに扱ってはいけないものなんです。ずっと男性が受け継いできて、私には玉川太福という弟弟子がおりまして、古典浪曲として「天保水滸伝」をトータルで受け継ぐのは彼だと思っています。でも私も玉川の弟子です。受け継ぐ形として、歌にしてうたうというのは、古典浪曲とは別な形ではありますが、良い受け継ぎ方ができるのではないかと思っています。私は、平手造酒という人物が好きなんです。お酒の上が悪くてそれで身を破滅させていく男なんですが、なれるはずだった自分と、そうなれなかった自分との間の鬱屈を酒で紛らわせていた男なんですよ。その男が、義理のために、相棒・福岡一文字を手に、病んだ身体をひきずって喧嘩場へ駆けていく……気持ちを入れて演じられるなという気がします。

――もう1曲は「恋々芝居」です。これは歌謡曲です。こちらの浪曲の要素が入っていないという歌に挑戦してみていかがでしたか?

マイナーコードでしっとりした曲で、歌詞を読んでも具体的には情景は見えてこない。歌を聴く人の想像力に物凄く委ねられている感じがあって、だから、歌う私も何か限定せずに、自分の中でも像を結ばない感じで歌おうと思いました。あと、浪曲では出したことのない甘い声を使ってみようと思いました(笑)。果たしてできるのか……浪曲じゃないから、浪曲じゃやっていない努力をしてみようと。もっと歌い込んでいって、もうちょっと甘みが出たらいいなと思っています。

――実際に人前で歌ってみていかがでしたか?

まだね、歌手としては気持ちが落ち着いていないんですよ。浪曲だったら落ち着いて、お客さんを掴みながら自分で間もコントロールできるんだけれど。まだ、人前で歌う機会が少ないので、歌手としての足腰が落ち着いていないなという感じがします。

――この2曲が両A面という扱いで、浪曲も入っています。これはこのCDのために書かれた新作なんでしょうか?

いやこの浪曲は、もともと私の持っている「銭形平次捕物控 雪の精」という長編ミステリー浪曲があって、これは前後編100分の大作なんです。で、寄席なんかで15分とか20分の出番の時にかけられるように、それをパロディにして、私が殺される設定にして、短く作ってあったんですよ。それを是非入れたいとコロムビアさんのディレクターさんから言われまして、それで入れました。歌だけにしようか、いやちょっとボーナストラックを入れようかとかは、宣伝会議の中でいろいろありました。古典浪曲「天保水滸伝」から、平手造酒を主人公とした一席をいれようかという話もあったんです。でも、それだとちょっと重すぎるでしょとか、いろいろお話が出る中で最終的にコロムビアさんの方から、「玉川奈々福殺人事件」のような面白くて、でもちゃんと浪曲で、その上で、後をひっぱるような感じのものの方がいいんじゃないかということになりました。

――非常にバランスがとれた1枚だと思いました。

それは、嬉しいです。

――今日お話を伺っていて強く思うのですが、いろいろな奈々福さんの活動はすべては浪曲のためというところに帰着すると思うんです。「歌」も浪曲のために出すと、そういう風に言い切ってしまっていいんですかね?

はい。でも、歌手で売れたらもちろん歌手活動をガンガンやりますよ(笑)。ただ、軸が浪曲であるということはブレないということです。

――浪曲も、講談も今、その枠を広げていこうという演者さんが増えてきていて、活況を呈しています。奈々福さんが浪曲を始めてから今まで、浪曲が広がったという実感はありますか?

あります。入門したころから比べると、浪曲という芸能が置かれている状況が本当に変わっています。ただ、昔の方が上手い人はいたんですよ。だから、広げる活動と共に今後も、もっともっと芸の精進も必要だと思っています。浪曲というものは体を変えていかなくてはいけない芸なんですね。まずは声の修行。声の鳴る体にしていかないといけないんですよ。でも、時間がかかるんです。ただ技術を磨くだけでは追い付かない時間のかかる芸なので、でも同時に世の中に浪曲ってこんなに面白いんだよっていうことを言っていかないといけないし。油断できないですよね。やらなきゃいけないことはいっぱいあります。

――集客や、入門者数など、数字としてはっきりと結果は出ているのでしょうか?

定席の木馬亭の集客は右肩上がりです。私自身の集客も伸びています。今年2月に480人入る銀座の観世能楽堂を2日間やったんです。いっぱいにできるとは思わなかったのですが、2日間いっぱいになりました。で、入門者数は、3月にいきなり7人入りました。こんなことは20年以上なかった。

2019/06/20 CDリリースイベント

――今後の活動をしていくうえで、どういう抱負を持たれていますか?この先のビジョンを聞かせてください。

さっきから申し上げていますが、結果としてこうなっちゃったというか、強い意志を持って自分の人生をコントロールしてきてるわけじゃないんです。ホント情けないほど計画性がない。目の前のことに関してはものすごく夢中になって頑張るんですが、1年先のことさえ考えていないんですよ。歌手になる経緯だって去年から急にこうなった訳で。だから今後も起きてくることに対して誠実に一生懸命頑張りたい、ということしかないです。あと、自分自身が面白がっていないと皆さんにも面白さに気がついてもらえませんから、思い切り面白がって行こうと思っています。歌うからには歌を磨いていって歌の世界に浸ってもらえるように、歌にも浪曲と同じような吸引力のあるような歌手になりたいって思います。

浪曲は浪曲で、やりたいことはこの後もいっぱいあるので、新しいものを作り、良いものをどんどん発掘して財産を下に受け継いでいかないと、面白いことをやらないと、やっぱりいけないので。カビの生えたものをそのままやってもダメなんですよ。カビの生えたものはきれいに洗って手入れをして、自分で今の時代に再生し直して下に受け渡していかないといけないし、それを受け取った下は下でもっとその時代に合うように工夫していかなければいけないし。そういうような細かいメンテナンスと、新規技術の開発、ともども頑張っていきたいと。メーカーですよね。メーカーとしてしっかりやって、なおかつ広報宣伝も磨いていかなければいけない。そこを怠りなくということだけで、遠い目標として何があるかとうことは全然ないです。

――今言われただけでもものすごくいろんなことがあって、すごく大変なことではありますよね。

だから、いつも慌てているんですよ(笑)。事務作業をしていると、「あ、稽古してない」ってなるし。稽古ばかりしていると、「ああ、インプットが少ない、歌舞伎座行かなきゃ」って。歌舞伎座行ってると、「歌舞伎見てる場合じゃないだろ、おい」って。いつも、慌てています(笑)。


◎最新リリース情報
メジャーデビューシングル
「刀剣歌謡浪曲  舞いよ舞え/恋々芝居/銭形平次捕物控 玉川奈々福殺人事件」
2019年6月19日発売

・収録内容
1.刀剣歌謡浪曲 舞いよ舞え
2.恋々芝居
3.刀剣歌謡浪曲 舞いよ舞え(オリジナル・カラオケ Dm)
4.恋々芝居 (オリジナル・カラオケ C#m)
5.浪曲 銭形平次捕物控 玉川奈々福殺人事件

規格NO: COCA-17640
価格: ¥1,667+税
詳細(コロムビアWEB)
購入(コロムビアミュージックショップ)


◎MV情報
・玉川奈々福 メジャーデビュー・メイキングビデオ【本編:恋々芝居】

・玉川奈々福 メジャーデビュー・メイキングビデオ【本編:舞いよ舞え】

・玉川奈々福 メジャーデビュー・メイキングビデオ【予告編】


◎公式リンク
HP: https://columbia.jp/nanafuku/
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公演情報

・7月25日(木)パルテノンおやこ寄席@パルテノン多摩小ホール14:00~
【出演】桂小文治(落語) 桂かい枝(上方落語) 玉川奈々福(浪曲 曲師:沢村豊子) 三増紋之助(曲ごま)
【料金】全席指定 一般大人1,500円 一般こども800円 
※こども料金は4才~高校生 ※3歳以下膝上鑑賞無料(席を使用する場合は有料)
※未就学児の入場制限はありません。保護者様のご配慮をお願いします。
チケット取り扱い
オンラインチケット チケットパルテノン
チケットぴあ 0570-02-9999(Pコード493-512) 

・7月29日(月)刀剣雷武、渋谷降臨~相州伝、そして福岡一文字@東京カルチャーカルチャー19:00~
出演:玉川奈々福(浪曲と歌 曲師:沢村豊子) 川崎晶平(刀鍛冶) 脇坂昌宏+剣の輪会(殺陣)
【料金】全席自由3500円
ぴあ
イープラス
ピーテックスにて発売
詳細はこちらに tokyocultureculture.com

・7月31日(水)シャクフシハナシvol.3@代官山 晴れたら空に豆まいて19:00~
出演:柳家喬太郎(落語)玉川奈々福(浪曲 曲師:沢村豊子) 一龍齋貞寿(講談)
料金:前売り3500円 当日4000円+1dk600円
予約はこちらhttp://haremame.com/schedule/65467/
ぴあ
ピーテックス

・8月3日(土)浪曲定席木馬亭@浅草・木馬亭12:15~
出演:天中軒景友、木村勝千代、花渡家ちとせ、玉川奈々福~仲入り~東家一太郎、神田紅佳(講談)、港家小柳丸、東家浦太郎
木戸銭:2000円(25歳以下半額)

・8月4日(日)なんでイマドキ浪曲師? 浪曲とはなにか@NHK文化センター青山教室13:30~
出演:玉川奈々福(曲師:沢村豊子)
NHKカルチャーセンター
受講料:会員3931円 一般4611円

・8月5日(月)浪曲定席木馬亭@浅草・木馬亭12:15~
出演:港家小そめ、国本はる乃、木村勝千代、玉川奈々福~仲入り~玉川太福、神田あおい(講談)、澤順子、三門柳
木戸銭:2000円(25歳以下半額)

・8月13日(火)毎週通うは浪曲火曜亭!@日本浪曲協会広間19:00~
出演:玉川奈々福 港家小そめ(曲師:沢村豊子)
木戸銭:1500円(茶菓付)

・8月15日(木)三越前名人会@お江戸日本橋亭18:00~
出演:快楽亭ブラック、玉川奈々福(曲師:沢村豊子)、鈴々舎馬るこ、柳家小せん
木戸銭:3000円

・8月22日(木)浪曲浮かれナイト 清き流れの玉川姉弟会@らくごカフェ19:00~
出演:玉川奈々福 玉川太福(曲師:玉川みね子)
満員御礼(キャンセル待ち受け付けております)
らくごカフェ:03-6268-9818

・8月25日(日)「奈々福・勝千代二人会~二人で読む河内山」@上野広小路亭13:00~
奈々福「上州屋玄関先」曲師:沢村豊子
勝千代「松江侯玄関先」曲師:沢村美舟
奈々福「河内山と直侍」曲師:沢村豊子
勝千代「三千歳廓抜け」曲師:沢村美舟
木戸銭:予約1500円 当日2000円
上野広小路亭:03-3833-1789 日本浪曲協会:03-3844-1611 
ななふく本舗:tamamiho55@yahoo.co.jp

・8月25日(日)三遊亭兼好独演会「浜辺の兼好」@横浜・にぎわい座18:00~
出演:三遊亭兼好
ゲスト:神田阿久鯉(講談)玉川奈々福(浪曲 曲師:沢村豊子)
全席指定:3600円
予約問合せ:横浜にぎわい座

・8月27日(火)~29日(木)浪曲映画~情念の美学in関西

27日(火)@京都みなみ会館13:30~
浪曲「仙台の鬼夫婦 ロングバージョン」(曲師:沢村さくら)→映画「影を斬る」(1963年 池広一夫監督作品。主演:市川雷蔵 瑳峨美智子)

27日(火)@京都みなみ会館19:00~
浪曲映画「次郎長三国志 勢揃い清水港」(1953年 マキノ雅弘監督作品 主演:小堀明男 森繁久弥 廣澤虎造)、浪曲「清水次郎長伝より 石松金比羅代参」

28日(水)@大阪・シネヌーヴォ20:00~
浪曲映画「世紀は笑ふ」(1941年 マキノ正博監督作品 主演:杉狂兒 広沢虎造 )、浪曲「清水次郎長伝 よりお民の度胸」(曲師:沢村さくら)

29日(木)@元町映画館13:30~
浪曲映画「炎のごとく」(1961年 加藤泰監督作品 主演:菅原文太 倍賞美津子 飯干晃一「会津の小鉄」を映画化)、浪曲「金魚夢幻」(曲師:沢村さくら)

鑑賞料金:2500円(浪曲+映画)統一
チケットは、各映画館の電話、サイトにお問い合わせください。

・9月14日(土)奈々福なないろvol.2「銭形平次捕物控 雪の精 長編浪曲一挙口演の会」@亀戸駅前カメリアホール14:00~
今年の「なないろ」はコラボ公演ではなく、長編浪曲にしました。「雪の精」50分×2席の、長丁場。ミステリー浪曲でもあり、冬の夜の切ない物語を、豊子師匠と二人で渾身で演じます。

前売3,000円 当日3,500円 カメリアホール 03-5626-2121 インターネット予約