【スペシャルインタビュー】春風亭ぴっかり☆ 「高座は、私が生きている存在の証明」


――前回お話をさせていただいたのは、二ツ目になって一年半ぐらいだったと思います。
皆さん、二ツ目になった時は希望に満ち溢れていて、真打の方は、真打になったときより二ツ目になったときの方がうれしいと皆おっしゃいます。
前回お話させていただいた時は、希望に満ち溢れていたというか、非常に前を向いていた時期だったと思うのですが、そのタイミングから、今の状態というのは、ある程度考えもつかなかったことだと思います。この先も長いので総括するのは早いと思いますが、今までやってきたことを振り返ってみると順風満帆と言ってよいでしょうか。

順風満帆という言い方をするとちょっと違う気がするんですが、その時々の課題というものには恵まれている気がしています。とはいえ、二つ目の前半ですから、これからだという気持ちはまだまだあるんですけど、落ち込むというようなことはしたくないですね。
常にその時の課題に向かっているという、例えば真打数年前だったら、真打に向かうだろうし、やっぱりそういうものを持っていたいので、今、そういう目標をちゃんと持てているのは幸せですね。

――ちなみに、二つ目になってから今までの間で、最も過酷だった試練はなんでしょう?

いっぱいありますが、表に出せないですね…(苦笑)。
うーん。二つ目になったら、自分の会を持つとかして、独り立ちしなきゃいけない。そういうことで、夏に毎回イベントをやらせてもらっているんですが。師匠からいただく課題もあるなかで、自分の高座をやっていくというのは、現在も含めてとても大変です。
前座の時は修行ですから、高座より師匠方のお世話が優先という考え方もできたのですが、二ツ目になるとやっぱり自分も売り物にならなきゃならない、噺で勝負しなくてはならない。そんな中で、修行と自分とのバランスというか、そこの兼ね合いはほんとうに難しいですね。

――たしかにたいへんですね。

本当に。二つ目になりたてのころはそのバランスがうまく取れなくなり…、わーっとなりましたね。
私はバタッと倒れるまで分かんないんですよ。だからよくぶっ倒れて…。
うちの師匠にもよく言われているんですけど、手前で止まることができないって。気づけないんですよ、走りすぎちゃって。で、救急車で運ばれたりしてご迷惑かけたこともいっぱいあって。そのバランスが、少しずつですけど、二つ目になって慣れてきたかなって。

――救急車に運ばれる前には気づけるように?

気づけるようになれましたね。踏みとどまれ、みたいな感じは。あと、ここまで自分の作業をしておけば後のこともできるなという、なんとなくの計算というのが、少しずつできるようになりました。最初はできないんで、分かんないんですよ。バッタバッタ倒れてました(笑)。

――日々の情報の更新や内容のチェックをしていて、ぴっかり☆さんの遭遇率が高いんですよ。ご自身でやられているものに、らくごカフェも、テイトもいろいろやられているじゃないですか。そんな中で二ヵ月に一度、二席のネタおろしをする勉強会を開かれていますよね。正直、この労力ってどうなんですかね。相当ハードでは?

私はキャパが本当に狭いので、かなりハードルは高いです。日々の落語会をこなしながら覚えて、お稽古もお願いに行って教えていただいてという手順も考えると、私にとっては大変なんですけど、そこを最低基準にしたい。そこだけは石にかじりついても続けていくという感じで。
最初うちの師匠は、年四回の三席ネタ下ろしと言われて、それは師匠無理ですと(苦笑)。一日に三つもネタおろしをするのはまず無理なので、二席にしてくださいと。じゃぁ、年六回の二席ネタ下ろしならいけるかと言われ、やりますと。あとから気づいたんですけど年間の数はかわらないんですよね(笑)。
やっぱり師匠は本当に私のギリギリのところを突いてくるので、それは感謝していますし、崩さないでやっていきたいな、というハードルですね。

――それは非常に深い親心ですよね。

そうですね。

――決して甘いところで許すわけではなく、かといって、とてつもないハードルでぐうの音も出ないところまで締め上げるわけでもない。ぴっかり☆さんのお話を伺っていると、師匠との関係性というものが、具体的に言及されずとも、憧れを抱いてしまうくらい、いい関係なんだろうなという感じが伝わってくるんですよ。

うちの師匠は、必ず私の何年後かを見ていてくれているんですよ。先の事について突拍子もないことを言ったりするんですけど、2~3年経つと納得できることが多い。やっぱり、ついていこうと思うのはそこなんですけど。
その時の私にとっては、もうギリギリなんですけど、なんとかこなしてやった後に見えてきたものが、納得できるんですよ。そこは、うちの師匠はすごいなと思ってまして。もう、真打になった先のことまで考えてくれていますね。本当に幸せだと思う。

――ちなみに、小朝師匠は東宝芸能に入ることになったという報告をされた時、どうおっしゃっていましたか。

ものすごく喜んでいました。もう、「行きなさい、いろいろやっていただきなさい」と。落語はどうしたいのかということはいろいろ聞かれましたけど、私の思いが師匠の中ではオッケーだったんでしょうね、もう、「行きなさい」と。最初から何の迷いもなく賛成してくれました。

――二か月に二席という、先ほど言われたように、習いに行ってあげてもらうというテクニカル的にもスケジュール的にもすごく難しい中、その上、今レギュラーでやられている会っていくつあるんですか。

数えたことはないんですが、どれくらいですかねぇ。開催の頻度はそれぞれですが20以上はありますね。気付くとその会が巡ってきていたりと、わりとそういう感じで。ありがたいことです。

――その中で、昨年は舞台出演が一ヶ月あったり、半年間のテレビのレギュラー出演(噺家が闇夜にコソコソ)があったりと、相当にハードだったのでは。

テレビは大変でしたね。取材に行ってネタを作って、打ち合わせをして、覚えて。5分ほどといえども、一応新作落語みたいなものですから、それをやっている上に、先ほどから話に出ている二ヶ月に二席のネタおろし、そして舞台の稽古が入ったりして、確かに前半はてんてこ舞いでした。だけど、そこの落語家としての姿勢は崩したくないんですよね。でも、だから、いっぱいいっぱいになって立ち止まったりとか、失敗もいっぱいしてますし、すごい勢いでスベったり、すごかったですね、あの時期は。でも、落語会を休もうとかという発想は一切なかったですね。

――今、すでに「その時期はすごかったですね」と言える時期を通過している、ということで、何かひとつ大きな力になりますよね。で、環境がまた新たに変わって、いろんなものがリセットされたというわけではないですが、ステージが上がったというか、新しいスタート時点に立っている感じがしているんじゃないですか。

そうですね。本当に小さな階段ですけど、私なりの。ステップアップしている実感はあります。
テレビのレギュラーは、あれは真打の中で二ツ目は私ひとりだけだったので、本当にハードルが高かったんですよ。「あれを経験した、やってのけたんだから大丈夫」という気持ちは持てるようになりましたね。そんな、落語のネタおろしぐらい頑張りなさいよ、と自分で言えるっていうか。

――ちなみに、あの番組で相当もまれたと思うんですが、他の出演者、師匠方の仕上がりを見ると、その軽々とやっている感じにおののきましたか?

あれは……。やっぱり、二ツ目と真打の力を、もう、ばっちり感じました。バケモンですから、あの人たちは(笑)。今売れに売れている若手真打の力を近くで見られたことは貴重な経験でもありました。あの忙しいスケジュールをこなして、なんでこんなことができるの?って思いました。
もちろん師匠方も苦しんでいたんですよ。師匠なりに苦しんでいるところを見られたのも勉強になりましたし、一之輔兄さんみたいな人でも苦しむんだっていう素直な驚きはありました。
やっぱり、すごいです、あの人たち。ホントにすごいと思いました。その中にいられたのは、いやー、幸せですよね。もう、震えるくらい緊張してましたから。頭おかしくなるくらい。「わー、明後日収録だ、もー」って、三日前くらいから、泣きそうになるくらい、逃げだしたくなるくらい、怖かったんですよ、あれ。クレーンカメラがあって、フジテレビのお偉い方がわーっと並んで見ていて、今田耕司さんがいて壇蜜さんがいて……。いやー、相当の緊張感でした。

――その、とんでもなくすごい真打を、今は「とんでもない」と言っていればいいというわけではないにせよ、自分の歩む道のりというのは、もちろんそこに続いているべきものですよね。自分がこの後真打に昇進して、今言われた師匠方と同じステージに立っていて、同じくらいの活躍をしていて、同じくらいの露出をしているということを、もちろん望んでいらっしゃると思います。
実際、こうならなければならないという存在が目の前にいて、その存在がバケモノだったと。地続きに感じられなかった、というのが正直あると思うのですが、そこのギャップを越えていけるという思いを持つことはできるのでしょうか。

していかなくちゃいけない。最近とくに、自分も真打にあと7~8年でなる、その時には、バケモノと言っている人たちと同じ階級になるわけじゃないですか。そんなことを、少しずつ考えはじめましたね。そうなったときも、やっぱりバケモノはバケモノなので、もう、私なりの戦いかたしかできないので。ただ、その先輩がたを目指すというか、なんて言うんだろう、ちゃんと先輩がたみたいに落語家として成立しているというか、そういうところは絶対にいかなくちゃな、という思いはあります。でも、「一之輔」になろうという感覚はないんですよ。「ぴっかり☆」は「ぴっかり☆」で、やっぱり、憧れとか別枠で考えてはいけないなという認識は少しずつ持ち始めました。

――一之輔だ、白酒だという、トップランナーと同じ位置に、7~8年後にはいなくてはならない。そう思うと、プレッシャーになったり、無理なんじゃないかという重い気持ちになったりするものですか。

なります。私はホントにマイナス思考女というか、割とネガティブというか、自分に自信がない人なので、「無理」って感じなんですけど。でも、そんなことは言っていられないので。プレッシャーでしかないです。真打なりたくない、みたいな。言っちゃえばそれくらい、同じところには行きたくない。一之輔兄さんがさっさと(真打に)あがってくれてよかった、みたいな、ね。あの人と同じ二ツ目と言われたら困るんだよ、こっちは(笑)という気持ちはホントありましたよ。
私は階級制度というものにあまり興味がなく入ったので、なんか真打には上がりたくないと思ってしまうくらい、怖いものですね。

――マイナス思考であるというご自身が、去年のハードなスケジュールをこなされたり、定期的にネタおろしをやったりということに果敢に挑んでいるように傍からは見えるのですが、自分のコントロールの仕方というのは、どのようにされているのですか。

いやー、周りの人に助けてもらっているとしか言いようがないですね。近くにいる友だちもそうですけど、とにかく、みんなに助けてもらっていて。そうじゃなきゃ無理ですよ、破滅しています、私みたいなものは。本当にキャパが狭いので、緊張しいで、おどおどしちゃうんで。
でもやっぱり、逆に言うと、そういう風にしていない自分はもう嫌なんですよ。だから、私の中でも、「春風亭ぴっかり☆はこうなってなきゃ」っていうイメージに、実際の自分を寄せているというか、そいういう作業をしています。

――なるほど。自分と、「春風亭ぴっかり☆」というものには差があると?

「春風亭ぴっかり☆」は嘘じゃないんですけど、私とは違うと思います。全部自分なんですけど、やっぱり違いますよね。「春風亭ぴっかり☆」はこういう風にしたいとか、課題を私の方から投げて、「ぴっかり☆」が頑張っているという感じです(笑)。

――「ぴっかり☆」は頑張っているけど、「ぴっかり☆」の頑張りを見ながら、ご自身はそんなことはできないかもしれないと思ったりしている、ということですか。その二面性があるから、もしかすると心に余裕ができているのかもしれないですね。

あー、そういう考えもあるのかなぁ。

――全てが自分で背負っていると逃げ場所がなくなってしまうじゃないですか。そうではなくて、「春風亭ぴっかり☆」という存在がいて、自分がいて、いろんな人に助けられている、という。人前に出る時の自分、そうでない時の自分、その二つに多少の乖離があるからこそ、ネガティブ思考であっても、どんなにスケジュールがタイトであっても乗り越えられる、というからくりなんじゃないかと思ったんですけど。

そういう風におっしゃっていただくと、そうなのかもしれないとも思いますし、まだ自分の中で解決できていない感じです。そこを真打までになんとか、ペースをつかみたいですね。私と「ぴっかり☆」の関係性を。

――その関係性が最も重要なテーマなのかもしれませんね。

本当にそうですね。いやー、噺家って、ぺろーっと話しているような感じでも、違いますからね、そこは。でも、やっぱり結局は、私「高橋由佳」の部分も全部、「春風亭ぴっかり☆」の高座では出ちゃうんで、そこも怖いですよね。
だから、結局私が落ちつている時の高座は落ち着いていたりします。そういう風に連動していく感じも面白いですし、別物な感じも面白いですし、まだまだ未知ですね。

――普通の人より、もうひとつ人格を持っているわけじゃないですか。ただ、それは全く別人ではなく、自分の私生活も出れば、体調も出れば、いろんなものが反映されてしまう。でも、ふたつのコントロールをうまく取る術が見つかった時に、高座も順調になるというか、自信も持てて、自分個人も自信が持てる、という状態になるのかもしれないですね。

そうなれればと思っています。

――東宝芸能で言うと、俳優さんはまさにそういうものだと思うんですけど、ある種の二面性ということをマネジメントするのに長けている人たちの集団なのかもしれないですね。

そうですねぇ。もう、委ねていくしかないというか。

――そこは、大きく委ねられて大丈夫というか、盤石な状態にあるような感じがします。

ここで負けないで、私がちゃんとやっていけるかですよね、問題は。

――負ける可能性があるとすれば、自分のネガティブな部分が足を引っ張ってしまうということですか。

そうですね。与えられたものに対してのハードルを越えられないという可能性もあるので。

――非常に冷静な判断ですね。

いやー、どんなものを持ってきてくれるか分からないですけど。今までしたことがないような課題がぽんと出た時、例えば、テレビ番組でひな壇の一人に入れていただいたとするじゃないですか。
そんな経験は今までにないですから、そういうところで埋もれる可能性もありますし、そんな越えられないハードルはバンバンくると思いますし。越えられない結果というのも、多分出てくると思うんですよね。そういう意味で、私がそこで負けないか、ってところですかね。

――非常に、いいタイミングで今お話を伺えている気がします。ものすごくポジティブに前を見据えていて、そこに夢もあって、希望もあり、明るい前向きな気持ちがすごく伝わってくるんですけど、浮足立っていない感じ。ある種、戦うぞっていう腹を括ったという意識をすごく感じられます。本当に節目ですね。

だから、「東宝に入っておめでとう」と言っていただくのは、すごくうれしいんですけど、「いや、入っただけだから」って。私の中ではまだ何もできていないのに、おめでとうと言ってもらう違和感があって。ここから、ちゃんと東宝芸能というところに所属して、お仕事していけてからの「おめでとう」だなって自分では思っています。

――前回お話を伺った時は、「ぴっかり☆十番勝負!」ということで、10日間連続公演というチャレンジでしたが、今夏のサマーツアーの概要を教えてください。

夏になにかしらのイベントを兼ねた、成長できるものをやっていきたいということで、1年目は10日間連続公演、2年目が福岡での独演会と博多座一か月間の出演ですよね。
1年目の10日間興行で自分に力がないということを思い知ったんです。そのときはそのときなりのエネルギーでやったんですけど、10日間通した時に、10日間ちゃんと楽しんでもらえるプログラムを組めたのかというと疑問なんですよね。1日1日は一生懸命やったんですけど、あまりにも括りが大きかったんです。そこで、これではダメだということで、勉強会を開始したんですよ。
今年は勉強会が1年以上続いて、持ちネタも増えて、そのときに、やっぱりこれから東宝芸能に入ったりしたことで、もっともっと認知してもらわないとだめだということで、東京だけではなく各地を回るツアーを企画しました。

大阪公演は一度やらせていただいたこともありますが、名古屋は初めてです。名古屋公演というのは、開催地を増やしたいということになったときに、鶴瓶師匠から「お前が勉強するのに丁度良い小屋があるから」ということを言っていただいたのがきっかけです。
海外については、一昨年一之輔師匠の欧州公演にご一緒させていただいた際、特別公演として開いた「現地にお住いの日本人のかたのための会」で、みなさんがたいへん喜んでくださったことが印象的で。長く日本を離れているかたや、まだ日本に来たことのない子どもさんに、落語をお届けする会を開きたいと思っていたところ、現地の日本人会のかたから「ぜひ」というお誘いをいただいて、じゃあグアムに行こう!と、夏は東名阪+グアムのツアーという感じになりました。

――前回「十番勝負!」の時は、10日間という未知のタームに挑むということに対し、「期待も不安もあるけど、正直よくわかっていない」といわれていたのが印象的でした。未知との遭遇であり未知との戦いであると。今回のこのツアーはチャレンジだと言えるポイントっていうのはどこでしょう?

無名の噺家が、世間的に名前の知られていない女が、何の縁もない土地でツアーをやるっていうこと自体がチャレンジです。スターがツアーをするならわかるけど。そういうところで、知名度がないならないなりのチャレンジですかね。お客さんが集まってくださるかわからないんですけど、これを機に少しずつ、全国に展開していきたいというか、そういった夢がありますので、今年はそういうチャレンジです。

――奇しくも今年、二つ目の方や若手真打の方で、地方に出ていくという動きがかなりあるんですよね。で、それは規模としては大小あるんですけど、みなさん、東京だけでやっていてもだめだと。もっといろんな人と出会いたい。ただ、行って勝算があるわけではない。勝算があるわけではないけど、落語なので、体一つ・身一つでできるわけだから、こんなに身軽なエンターテイメントはないわけだから、その利点を使わないのはもったいない、だから頑張っていこうと思っているという方が多数いらっしゃいます。

そうなんですね。

――今のところ夏にこういうスペシャルな興行が行われているじゃないですか。夏っていうことに関わらず地方に行くというのは、活動の中では視野に入っていますか。

入っていますが、やはりまだ私の段階では難しいので、落語会が東京で少なくなる、体が空きやすい夏に何か毎年やっていこうっていう感じで考えています。それが成功していけば、もちろん年間を通していろんなことにつながっていくと思っています。

――まずは種まきを。

そういう感じですね。とにかく、東京で落語会は数多く開かれていますが、それに比例して落語ファンの数が増えているかというと、疑問に感じるところがあります。このままじゃちょっといけないぞ、という気もするんで、やはり、地方にも広げていくという活動は絶対していかなくちゃなと思っていますね。

――地方の可能性はまだまだあると思います。特にメディアに出られていたということや、今後メディアに出ていかれる可能性があるということで言うと、他の噺家さんよりは認知され得る機会が増えるじゃないですか。そういう方が地方に出ていくことによって、地方のマーケットが掘り起こされると思うんですよね。ちょっと大きい話になってしまうんですけど、メディアでの露出があるという立場のぴっかり☆さんが地方に行って、マーケットを掘り起こすというその行為自体が、落語の魅力をもっと伝えていくという使命感だったり、大きな役割を担っているという気持ちはありますか。

いえ、まだまだそれほどの力はありません。ただ、やっぱり私が、落語に恩返しができるとすれば、そういうところからかなとも思っているので。私はそこまで意識していないんですが、例えば女流ということで注目していただけるなら、それはそれでありがたいとも思いますし。
だから、私の活動が「落語ってこんな感じなんだ」っていうとっかかりにでもなればいいなと思います。偽善者っぽく聞こえるかもしれないですけど、それくらいしか恩返しができないので。

――東宝があって、女流であって、いろいろフックがあるじゃないですか。考えてみると、落語に恩返しっていうことを置いておいても、何か新たなチャレンジとか大きいチャレンジをする上で、他の噺家さんよりも状況が整っていると思ってもいいかもしれませんね。
そういうぴっかり☆さんが、落語に恩返しをするという意識で、こんなことやっちゃうのかよっていう、驚きのアクションをやっぱり個人的には期待してしまいます。師匠が小朝師匠だということも含めて。僕は小朝師匠というと、どうしても1997年の武道館での独演会を思い浮かべてしまいます。もしかしたら、そういうことも可能なわけじゃないですか。

いやいやいや(苦笑)。でもやっぱり、師匠のそういうところが好きなので、本当に師匠みたいなことがやりたいですね。それは、落語ファンからしたら何ごとだっていうことも多々あると思うんですけどね。師匠みたいな存在を目指すとか、師匠がやっていたことを後ろから走っていくということじゃないですけど、師匠の活動に近づきたいですね。

1 2 3 4