今、とにかく天才の登場を待っています。残念ながら自分はそこまでの革命は起こせないから。
――何か面白いことをやっている人が、面白いことを始めたら伝播していく。うまくいこうがいくまいが。それが同時多発的にいろんな人がやっていけばうねりになっていく。個人的にはそこは、突き詰めてもらいたい気がするんです。
最近特に思うのは、はやく落語界に天才に入ってきてもらいたい。若くて才能があって、上手くて面白くて、しかも愛嬌があってというような武器をもった天才が入ってきてくれたら、全面的にバックアップするし、もし真打になってたらそういうやつを弟子にとる。とりあえず、今は、天才待ちですよ(笑)。天才が来てくれたら、明らかに変えられるから。自分にもっと力があれば変えられるんですけど、残念ながら自分はそこまでの革命は起こせない。
――天才で変えられるのは、まずは落語界?
まずは落語界ですね。オレは落語をお笑いとか音楽とか同世代の主流な文化に接続したいんで。直接的に。
――そこを変えるには天才が必要?
だと思います。
――全く同意します。
男前で愛嬌があって、めっちゃ才能があって。ちょっと暗い過去を持つみたいな(一同爆笑)。全力で応援しますよ。
――それは今の段階での落語界をながめたときに、いろんな天才は存在すれど、この先に向かうべき天才がいないってことですか?
そもそも革命を起こす必要がないですから。この先に向かう必要が無いという。落語の文脈で考えたら、演者として今ってすごくやり良い時代だと思うし、観客としても面白い落語家がたくさんいて充実しているし。でも、自分はその文脈だけじゃ満足できない。もっと違う景色も落語で見られると思っている。見せたいと思っている。だから革命を起こして落語界を変えるっていうよりは、これまでの文脈はそのまま保存して、さらにこれまでには無かったレイヤーを追加したいだけなんで。
――僕が勝手に吉笑さんに期待していることは、落語をポップカルチャーとかユースカルチャーの中に取り込んでほしい。それができる存在だと思ってるんです。
まずは落語の一部はお笑いの領域に入りうるんだということを、お笑い文脈の方々にしっかり伝えていきたい。自分が「落語って凄い!」と心底思えたのは志の輔師匠の「だくだく」を聞いたこと。壁に絵を描いて、それをあるつもりになって暮らす、しかもそれを盗もうとする奴まで出てくるのは、すごい話だなって。その後、落語にハマってどんどん聴き漁るうちに家元の「粗忽長屋」でさらにロックされて。あとは「首提灯」とか「あたま山」とか。
――ナンセンス特集ですね。
そうそう、それらは落語だからこそ表現できる笑いなんだと思っています。まあ、アニメーションとか漫画だったらできるけど。コントや映像で実際に映したら安っぽくなっちゃう。それが言葉だけだと意外とすんなり表現できる。それが落語の武器だと思うんですよね。明らかに落語の特徴で武器なのに、それをやっている人が少なすぎるんですよ。
要は江戸時代の人情の機微とか人間の関係とかを描くことばかりが多くて、当然それが江戸落語の基本だし多くていいんだけど、せっかく不条理なことを表現するのに優れているんだから、その部分ももっと強調してもいいじゃないかというのが自分の考え方なんです。その不条理な部分っていうのは、それはたぶん直接、面白いお笑いとつながれるポイントだし、その部分は自然にお笑いとつながっていける。落語のすごいメリットなのにあまり皆利用しないので、それを自分がやろうと。
――それは落語をお笑いとか映画とかと並列に見た時の利点であって、常に落語をいろんなカルチャーと同じ土俵にのせた上で比較しての発想ですよね。
そうです。もともと志の輔師匠をきっかけに落語を好きになった時に、ツレに面白いと思う落語を勧めてもなかなか信じてくれなかったんです。「えー、落語って古くさいからいいや」って。音楽とか漫画とかでがっちり価値観があってるオレが面白いって勧めてるのに、落語っていうことで確実に壁があって。やっぱ誤解されているなって。面白い落語は絶対彼らに伝わる。だって自分が面白いと思えたし。だから、早く天才が来てパッと状況を変えて欲しい。自分もやるけど(笑)。
――天才さえ現れれば、そこの風穴を開ける準備は整いつつあると状況を読んでいますか?
あるある。方法論も少しは示せているつもりだし。たぶんこの先もうちょっと、また今年かな?一つ新しいことやりますけど、それやればまた少し、若手落語家の動き方が増えると思います。方法は皆で共有したらいいと思っているから。自分くらいの力でもやり方だけでここまで行けるんだから、そらぁ、才能あったら突き抜けてくださいよ、みたいな。クイックジャパンで特集組まれて「新世代落語家現る」って出たら、それだけで「おっ!」てなるし。それを早くやって欲しい。
――吉笑さんの目指すところをお伺いしたかったんですが、結局それは天才待ちである気がします。そこには自分のビジョンは入ってないじゃないですか。それとは別に、自分がたどり着くべきところっていうのは?
そうですね。さっき言った今年やろうと思っている新しい方法なんですけど、それは、今年、全国回るんですよ。それこそ、新しい実験として。このキャリアで知名度もそんなにない落語家は全国を回っていない。でも、回ってみようじゃないかっていうのが今年の目標。
――本当に全国?
東京以外っていう意味での全国でしょうか。とりあえずどこへでも行くって気持ちなんです。一個はかわら版を見てて首都圏の一ヵ月の公演数が最近900件を超えています。一日30公演は異常事態だと。一方で大阪の様子を調べたら、会自体がやっぱり少ない。そしていわゆる地域寄席のようなものが多い気がしました。もちろん師匠方の大きな独演会はあるんですけれど、東京のように若手の定例会が少ない。まぁそもそもの人数の差とか、特にらくごカフェとか広小路亭・日本橋亭のような、若手でも気軽に借りられる落語に近しい場所が少ないからというのもあるのだろうけど。上方落語がある大阪でさえそういう状況なんだから地方なんてもっと数は少ないだろうし、要は有名な師匠方の落語会しか成立しないですよね。
自分としてはまず、東京で自分がやってるような発展途上だけどもう明らかに何かしら動かそうとしてる感じの、二ツ目の攻めてる定例会を地方でも見てもらいたい。見たい人もいるだろうし。ネタおろしで二ツ目がひいひい言いながら必死こいてやる会って独特の面白さがあるし。理想はそういうスリリングな会を東京で一回やったら、そのままのパッケージで点々と全国を回りたい。一本ネタ作って、定例会で披露したら、またすぐ次のネタに取り組むんじゃなくて、その作ったネタを持って何カ所も回る。当然回っていくうちにネタもブラッシュアップできるし。
じゃあ何でそういう動き方をこれまで誰もやれて無かったかと言うと動員の問題と後は予算、特に移動費・宿泊費の問題。でも、それをなんとかしたいなってのがずっとあって。そんな状況をいずれ実現するためには、まず何をするべきかなぁと考えて、そうだ劇団の方法を参考にしてみようと。だから一本のネタじゃなくて特別な本公演を持って全国を回るつもりです。毎年一回本公演を作って、パッケージにしてこれでまわりますと。
志の輔師匠のパルコと一緒ですよ。まずは年に一回を成功させることが絶対条件ですけど、そんな活動を継続していくうちに、しっかり準備をした渾身の会でなくて今我々が東京でやってる定例会のような、締切ギリギリでひーひー言いながら会の前日に何とか覚えて、さぁ本番、というようなギリギリの状態の会もやれるようにしたい。地方で落語をできる回数が絶対的に少ないから、失敗したくないし自分の得意なモノを見せたいし、という気持ちが働いて、地方の公演だといわゆる自分にとっての鉄板ネタをやりがちになる。それはそれでいいんだけど、たまには定例会でやるみたいな、自分でもどうなるか分からないものを地方のお客様にも見て頂きたいなと。
特に落語なんて移動費がさしてかからないから、特に実現させやすいはずなんですよ、他の表現に比べて。それを今年からやってみる。もちろんそういう動き方の向き不向きもあるし、事務的な作業も膨大になって大変だと思いますけど、これがうまく行ったらこれまでには無かった若手落語家のステップアップの仕方になり得ると思っています。選択肢を増やしたい。ただ、その先どうなるかなぁと思ってて。自分としてはたぶん40歳までだなと。自分の持ってるセンスというか発想で勝負できるのは。
――ネタのスタイルってことですか。
そうそう。エッジの効いた企画だったりネタを作っていくということですね。もちろん、いつまでも今みたいな言ってしまえば瑞々しい感覚で活動していけたら最高ですけど、普通に考えたらそんなのはまず無理だと思っている。アイデアを切り売りする方向はすぐに限界がきてしまうと思う一方で、だからこそ落語が凄いと思うんですけど、我々落語家には芸を磨くという方向もある。となると自分もどこかで方向転換しなくちゃいけないと思っていて、というか、古典というか落語の伝統側に行かないと落語家をやってる意味がないし。それこそ「60歳が全盛期です」みたいなのって、お笑いからしたらありえない訳で。それはやっぱ落語のすごいところですよ。
――そこでやっと花開くと。
60代ってやっぱいいし。それは活かさざるを得ない。もう活かすしかないから。だからゆくゆくはどっかで移行してくんです、そっち側に。ただ急には無理なんで。だから今のうちに古典を仕込んでおいて、然るべきタイミングで、まぁ真打のタイミングなら真打になった途端に急になんか芸風変わったみたいな(笑)。そこの変わり目は難しいだろうな、と思いますけどね。
――その先に今までみたいなことをずっとやるのは難しいという発想がありますが、逆に古典をちゃんとやるってなったもっと先に、もう一度今やってることにもどるというか、繋がるってことは考えてますか?
それは、すごくあります。もともと落語家になりたいなと思って広小路とか行ってる時に、里う馬師匠に自分のネタやってもらいたいと思ったのがあって。なんかもう、明らかに自分が求めてるような尖ったことを言いそうにない人が言い始めたら、それってすごい瞬間だし異常な空気になるだろうから。でも芸はあるし説得力もあるから。たぶんそれはもう理想。おじいちゃんが自分が作ってるようなキテレツな発想の古典ぽいやつをただ普通にやってくれたら、それをそのときの若者がたまたま知らずに見ていたら衝撃をうけると思うんです、なんだこれはと。
――かなりの破壊力がありますよね。
だから自分がもう一回というのがありますけど。だから、やっぱり今のうちに作っておかないとダメですね。師匠にも言われてますね、今のうちにネタは作れるだけ作れと。で、作らないにしてもメモだけでも残しておけと。それが貴重な財産になるからと。