【スペシャルインタビュー】立川吉笑「立川流であるということが唯一のアイデンティティ。」


立川吉笑(たてかわ きっしょう)
本名:人羅真樹(ひとら まさき)
1984年6月27日生まれ
京都市出身 180cm 76kg
京都教育大学教育学部数学科教育専攻 中退
2010年11月 立川談笑に入門
2012年04月 二ツ目に昇進
出囃子 東京節 (パイのパイのパイ)

立川吉笑という存在は特異だ。

理論で積み上げていく奇天烈な新作で観る者を独自の世界に迷い込ませ、さまざまなコラボレーションを展開し、TV・ラジオをはじめとしたメディアに頻繁に登場し色々な顔を見せる。
そんな彼のパブリックイメージは「奇才」であり、いわゆる革命児的な扱い方がなされているのが現状だろう。
それは本人も望むところなのだろうが、私はずっとそのイメージに一定の賛同はしながらも、高座を観る度に違う想いを抱き続けてきた。

立川吉笑という存在は「突然変異」ではない。
誤解を恐れずに言うと、立川吉笑は落語界において、私たちを取り巻く文化的な同時性を持ちうる唯一の存在であり、ネタやスタイルからは90年代、00年代の日本が通過してきた様々なカルチャー(メインもサブも)を背景として、ダイレクトにそれらの影響を感じさせる、観客と地続きの存在だ。

ややもすると噺家というものは特殊な世界にいるために、観る側との意識のズレや、共有できるものの欠落が多く見受けられる。それが落語の魅力の一つでもあるのは事実だが、そんな世界の中で、思考や存在に共感を持って受け入れられる、シンパシーを感じられるとても希少な存在だ。

それは身近な存在としてではなく、あくまでも表現者やクリエーターへの共感だ。表現に対して「分かる」という感想を抱けるという共感。同じものを見て、影響され、それらを独自のものとして昇華させながらも、「なんだかよく分かる」という共感を生む。

そんな立川吉笑という小宇宙に漂うこと2時間半。膨大なテキストとなったインタビューは、想像以上に素直で純粋な落語愛に満ちたものとなった。
そして、やはりどこまでも共感が可能な存在としての立川吉笑を理解することができるだろう。

もう既に、そこから吉笑マジックは始まっているのだが。

取材・テキスト:加藤孝朗
デザイン:林香余
協力:村田綾子


・京都は精神衛生上いいんですよ、自然もあるし、空気もいいし。


――京都生まれの京都育ち。自分のアイデンティティは京都にあるというような強い思い入れってありますか。

住んでる時はそんなこと全然なかったけど、二十歳で東京出てきてから、京都ってすごいなって思い知らされた。高校の時は閉塞感がすごい嫌で。こっち来てから見返すと、すごくいい町だなって。

――全てが適切なサイズにおさまっていて、生活に必要な物も非日常な文化的好奇心を満たしてくれる場所もすべてが揃っている。その土地としてのコンパクトさが、京都という町を壁とか一つのバリアで守っている感じがします。

確かにそうなんです。東京で最初に住んだのが渋谷なんですよ。渋谷って広くて、それこそ京都市みたいな感じだった。京都に帰ったら、友達と約束していなくとも繁華街を歩いていたらだいたい会うんですよ。「よぉ」みたいな感じが京都のいいところ。あと、やっぱり学生街なので、常になにかしら新しい店が出来ていたりして、ずっと若いしね。常にワクワクするんですよ。特殊な状況ですよね。

――京都の特殊性でいうと、良くも悪くも京都に執着しているクリエーターって多いじゃないですか。そういうものに対するシンパシーってあります?

世代が若いからなんでしょうけど、ちょっと上の世代の音楽とかの様に、そんなに京都の煮詰まった感じはあんまり身近に感じていないです。音楽だったらくるりが完全に京都発で売れて、で、京都にまた戻ってきたりとかね、その感じはすごくいいけど。

あとやっぱり、ヨーロッパ企画って劇団が自分にとってはすごく大きくて。代表の上田誠さんの実家がお菓子工場なんですけど、そこでいつも劇団員が集まって稽古してたんです。それがたまたま実家のすぐ近所で、昔からお菓子を買いに行ってた。だからポスターとか見たことあったけどあんまり芝居とか知らなくて、二十歳くらいのお笑いとかの表現に興味が出てきた時に、「ヨーロッパ企画ってこれかぁ」って初めて認識したくらいで。

で、めちゃくちゃ彼らに影響受けて、いろいろ一緒にやらせてもらったりとかしたんですけど。彼らは京都が第一で、ずっと今も京都に住んでいて、東京で仕事やるけど基本出稼ぎ感覚というか。メディアの仕事は東京に出てきて、でもみんな京都に住んで京都で芝居作っている。まあ、住みやすいってのがありますよね。精神衛生上いいし、京都って。ヨーロッパ企画は自分の中では、この先も参考にしたい存在です。

――作家の森見登見彦さんはどういうふうに映っていますか?

単純に作品が好きっていうだけで、京都の作品だなとは思いながらも森見さんが京大っていうのも後から知ったんです。森見さんは、ヨーロッパ企画の上田さんが対談していて、上田さんが信頼してるってことで興味があって。とにかく京都にいる時の僕はヨーロッパ企画が発信するものや、彼らのアンテナにひっかかってるものはすべて知りたいなと思っていました。

――僕の周りのクリエーターやミュージシャンで、京都の人ではないんだけれど、京都に住んでいたり、一時期移り住んだって方が結構いるんですよ。刺激的で最高だったけど、完全にコネクトできる場所ではないという声もよく聴きます。

ぼくも実家がたまたま京都ってだけだから。でも、一時期、本気で月の半分くらい京都で過ごそうかなと思った時があって。東京で独演会と一門会だけやって、あと半分は京都の実家でネタ作って、と。結局やめましたけど。病気していて、単純に健康に暮らしたいなって(笑)。単純に実家ってすごく好きだし。自然もあるし、空気もいいし。

――世代的には、アンデパンダン(京都のアートの発信基地として、ライブやイベントも頻繁に催されるカフェ。三条通のアートコンプレックス1928という劇場も備える建物の地下にある)には結構行かれていましたか?

はいはい。アンデパンダンは好きですね。

――やはり。きっとそうだろうなと思ってました。あとはどういうところで知的好奇心を満たされていましたか?

当時、京都に住んでる時は、そんなにカルチャーとかも全然知らなくて。アンデパンダンに行ったのもたぶん大学入ってから。同級生でもセンスのいい人たちは高校の時から出入りしてて、あそこはカフェの奥の一角にレコード屋もあるじゃないですか。あそこで聴いたことないような音源に触れている皆を遠目で見て憧れているみたいなね。それこそアンビエントなんてジャンルも知らないような時だったから。

大学入ってバイトとかしてお金もできたから一歩踏み込んでみた、みたいな後追いだったんです。背伸びしてアンデパンダン行って、居心地いいからいただけで。あとは本屋行って。演劇とか見るようになってからは劇場とかもね、あの上にある。

――あそこのような視点で活動をしている場所は、なかなか東京にはないですね。

落合のSOUPがかつてのオレにとってのアンデパンダンかな。噂だけ聞いて怖くて、まだ行けないんですけど(笑)。そうそう六本木のスーパーデラックスもそうですね。高校の同級生でアンデパンダン行ってたセンスいいヤツが、東京に来ててスーデラにも行ってた。

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