【スペシャルインタビュー】桂宮治



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桂宮治(かつら みやじ)

宮利之(みや としゆき)
平成20年2月桂伸治門下として二月下席より浅草演芸ホール楽屋入り
平成20年3月浅草演芸ホールにて初高座「子ほめ」
平成24年3月下席より二ツ目昇進
受賞:平成24年 NHK新人演芸大賞
26年4月から国立演芸場で、年4回の独演会をスタートさせる。



桂宮治という名前を見ない日はない。とにかく、会に出まくっている。小さなところで積極的に活動しながら、大きなホールでの会や、伝統のある会でも名前を見ることが増えている。31歳で営業職のサラリーマンから転身したこの噺家は、スタートの遅さを一気にひっくり返すかのような破竹の勢いでキャリアを築いている。
その最たる例が、NHK新人演芸大賞の受賞だ。このタイトルは、今最前線で活躍する噺家が皆取っているような、いわば人気と実力を兼ね備えた売れっ子の登竜門。これを、二ツ目昇進後、あっというまに獲得したのが宮治という噺家の凄さだ。
その上で、今年の4月からあの国立演芸場での独演会がスタートする。単発ではなく、年四回というシリーズでの開催だ。
このニュースに触れた時に、驚きを通り超えて、大丈夫かと心配になったというのが正直な感想だった。いくら今、勢いがあり、様々な大舞台を経験しているにしても、独演会を連続でやるというのは、乗り越える山としては高すぎるのではないか、と。
ただ、それは、外野からなにを言っても、本人の決めた道であるはず。その意気込み、いや決意を聞ききたいのはもちろんだが、そこは、いやらしい言い方になるが、本音を聞き出してみたかった。
結果、大いに闘い、大いに悩む姿を、あけすけに見せてくれるという非常に意味のあるインタビューとなった。だが、その内容は、桂宮治という人間の魅力を強く感じさせるものであり、彼が語れば語るほど、その人としての魅力に強力に引き込まれていった。NHK新人演芸大賞を取って、国立でやるから、桂宮治が凄いのではない。桂宮治という人間に魅力があるから、それらの肩書や人が後からついてくるのだ。そう、強く思った。
取材・文章・写真:加藤孝朗

僕を見に来る人はライブ感を楽しみにしてくるわけで、CDとかで名人を鑑賞しようという訳じゃない

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――昭和51年生まれ。高座での佇まいや語り口の印象では、実年齢よりも若い印象があります。

37歳です。年下の後輩から「ガキだね」っていわれることは普通はあまりないですよね。基本、バカなんです。3歳の子供と意見が合うので大丈夫です(笑)。趣味嗜好が一緒なので。


――最近、噺家さんを説明する際に「毒を吐く」という形容のされ方がありますが、宮治さんのそれは、「毒」という言葉を完全に踏み越えている気がします。かなり強烈な入れごとや発言を、それも連発することが特徴だと思います。

そうですね、たまにお客さんがドン引きしますからね。


――これは、もう僕は「毒」とは言わないな、と。この踏み込み方というかはちきれ方というのは、ねらってやっているものなのか、もともと持っているものなのでしょうか。いつもその点に興味をもって高座を見ているのですが、素の部分が強い気もします。

何も考えていないですね。僕は落語を知ったのが遅くて。30歳を超えてから初めて落語を聴いて、その翌年にはもう入門で。落語というものを一切わからずにこの世界に入って、今もわかっていないですし。でも、僕は私生活でもものすごく口が悪いんですよ。僕は冗談で言っているのに、初めて会った女の子が泣いちゃったりする。それは小学生が好きな子をいじめている感覚と一緒で、僕からするとイジっているだけなんですけど。それがあまりにも強すぎて泣き出す子が続出した時期があって。だから、可愛い、好きが極端なんだと思います。本当に嫌いな人とは目も合わさない、喋らないし、会う場所にも行かないですから。


――ある種、それは度を越して出てしまうと。

自分としてはそんな気はないですよ。それぐらいの冗談は分かれよと思いますけど。でも一歩引いてみた時に、確かに、2,3回しか会ってない人にあれを言われたら本気にするな、と、逆の立場なら思います。でも自分は大好きだからこそ、「なにこいつ、バカじゃないの。どっか行けよ、おまえ」って言っちゃう。いなくなったら自分が泣いちゃうのに。それが噺の中にも出てくるんでしょうかね、まくらや漫談の部分にも。まあ僕の場合は基本的に人の悪口ですからね。でも、悪口言っている時が一番人は笑うじゃないですか(笑)。


――醸し出す空気が非常に自由です。それが中毒性が高い。あの世界にハマったらこれは追っかけたくなるだろうなと。他にないタイプだと思います。

そんなこと思っている人は一人もいないだろうなぁ(笑)。兼好師匠とか一之輔兄さんとかにはめちゃくちゃ使っていただいて、独演会などで勉強させてもらったんですが、2人は本当にすごいんですよ。兼好師匠は、もうそれこそまくらから噺まで全部きちっと作りこまれた計算された世界だし。一之輔兄さんも、もう何回もやっておいしいものをきっちりと固めて、一つの作品にしてドンと出すみたいな凄さがあるんです。


――分かる気がします。

もちろん真似したいし真似はしますけど、僕は、確実にあのスタイルは出来ないんですよ。二ツ目の自分に、技術的にも実力としても出来る訳はないんですが。でも、「こうじゃねぇなオレは」って。話芸として、一人の人間が座布団の上でめちゃくちゃ楽しそうに本気で喋っていたら、お客さんは面白いんじゃないかなと思うんです。それがハマれば面白いんじゃないかと。ただそれだけです。だから、変に誰かの真似をしようとか、こういうのはやっちゃいけないとかは考えずに、自分が今一番面白いと思うことを面白いように喋る。それがいつも出来ればいい。


――「一番面白いと思うことを、面白いように喋る」。それを素直にやると泣かれるような事態が起こるんですね。

そう、悪いことになっていくんですよ(笑)。僕は、頭の中である程度組み立てをしてきて客前で喋ると、結構スベるんですよ。頭の中で面白いと思っていたことをそのまま喋ると、その場の空気と合ってなかったりする。なので、最近こんなことがあったのでこれを喋ろうということだけはなんとなく決めておいて、あとはその場で作って喋っているんです。そこでウケたら、その時には作り話でもいいから更にのせていくと、まわっていくんですよね。でも、そうすると、オチがないから、やっぱり悪口を言うしかないんです。


――(爆笑)ある種のインプロビゼーションですね。

その時にしか生まれない即興芸です。だから、作られた古典落語をきちっと見たい人は絶対に見に来たくないと思いますよ(笑)。


――今出た「悪口」のことなんですが、比較的、悪口が多いですよね(笑)。

9割8分そうですよ(笑)。


――私は、宮治さんの「悪口」はかなり好きなんですよね。愛があるというか。

本当に嫌いな人の話題はあまり出さないからかなぁ。


――悪口を言っても悪態をついても愛情は感じられるし、その上でスベってお客さんがひいてしまっても、「スベった」「ひいた」と口に出すじゃないですか。だからすごく自然体なんですよね。

普通の会話というか、もう、ライブ会場ですよ。


――ですね。

僕を見に来る人はライブ感を楽しみにしてくるわけで、CDとかで名人を鑑賞しようという訳じゃないんだから。やっぱり素直になっていきますよね。言ったことに対して客がひいてしまったら「ひいたよ!ひくんだったら来るんじゃねぇよ」とかいうのが、その時の素直な感情であって(笑)。作品というよりは、その時の空気感やノリを見に来てくださいという感じが強いですね。でも、今度の四月から始まる国立演芸場での独演会では、それではいけない部分があるので、より噺を作りこんできちんと古典はちゃんとやる。もっとクオリティを上げてしっかりと作りこんで、特にネタ出しをしている噺に関してはやります。でも、一体感というか、一人の男がずっとはっちゃけている姿を見に来てくださいというのが僕の会なので。

自分自身も、あの国立の高座に上がれば、今までとは出てくる声も、表情も、すべてが変わると思うんですよ。

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――今言われた国立演芸場での独演会が発表されました。年に四回。ネタ出しもあって、非常にハードルも高い会です。二ツ目になられて、このタイミングで定期的に国立で独演会をやるというのはとても恵まれている気がします。

逆に、嫌じゃないですか(笑)。まあ、恵まれているんですよね。別に失敗しても自分の腹が痛むわけでもないし、主催のサンケイリビングさんが痛いだけですからね(笑)。


――すごいことだと、純粋に思ったんですよ。サンケイリビングもついて大々的にやっていくと。もちろん単発でもなく、ちゃんと腰を据えてやっていこうと。

一年間だけね。一年間だけ、腰を据えてやってみようと(笑)。だから、中腰くらいですかね(笑)。


――先ほど言われたライブ感だけでは、どうにもならない会であり、会場であると思います。この企画の経緯と、今の心境を聞かせてください。

サンケイリビングの事業部のトップの方に前座の時から目をかけていただいていて、二ツ目になる寸前とは言えども、前座という身分なのに会を主催していただいていました。最初は四十人のお客さんの前でやっていて、少しずつお客さんも増えてお江戸日本橋亭が満杯になって、社会教育会館に行ってそこは満杯にならず、大体九割の入り(笑)。で、それを2回やって、なぜか次はいきなり国立。だから、もうサンケイリビングさんが、頭おかしくなったとしか思えませんよ。だから、踊らされているだけです。しかも1回かと思ったら、年4回って。


――正直、タフな企画でもあります。

サンケイリビングのスタッフさん達と集まってお話をした時に、これはさすがにやり過ぎで宮治さんもプレッシャーで潰れちゃうんじゃないかと言ってくれた方もいたんです。で、「正直、どう思う」と問われた時に、そこで嫌ですとか、年四回はきついので二回にしてくださいとかいうのは、なんか負けたような気がして。噺家としての人生がそこで終わるような気がしたんです。二ツ目になって三年目でどんな失敗しても別になんてことはないなと。やってみて、人も入らずに噺もコケたとする。でも、年四回も国立でやった二ツ目って、その記憶は残るなと。だから気楽に考えようと思いまして。


――なるほど。

でも、気楽には考えられなかったんですけど…。でも、もうやってしまえと。もう、やりますと。かみさんも、失敗したっていいんだからやりなさいよって。せっかくそういう機会があるんだからって。もう、噺家になったのも何もかもすべて、かみさんに決めてもらったようなもんなんで、僕の人生(笑)。


――すべて奥さん主導で?

「こういうことをやりたいんだけど」っていうのは僕なんですが、かみさんが「うん」と言うか「いや」と言うかだけなんで(笑)。会社辞めるよ。「うん」。噺家になるよ。「うん」。全部僕を見ていて、ある程度分かってくれているので。国立に関しても、乗っかった方がいいとおもうと。


――チャンスでもあります。

肝心の噺に関しては、確かに今までの日本橋とか人形町でやっていたような感じでは、国立に2,500円を払ってきてくださるお客様は絶対に満足はしないのは分かっています。だからネタ出しをある程度して、それに僕がどう応えるかをまずしっかり見てもらいたい。ただ、自分自身も、あの国立の高座に上がれば、今までとは出てくる声も、表情も、すべてが変わると思うんですよ。これは一般の人には分からないとは思うんですが。


――場所の持つ力は確実にありますよ。

そうなんです。そこで四回の独演会をやったら自分は確実に変わると思うので、その為にやるというものあります。会を成功させる為ではなく、その先の自分の為にやるという考え方も強いんです。あのエベレストに登れたら、じゃあ次どこ登るのって。じゃあ宇宙に行きましょうよって。僕がいま見えない、喬太郎師匠や、一之輔兄さんや、兼好師匠とかがいる次の宇宙に行きましょうよって。で、もしそこに行けたら、じゃあもっとその上にある宇宙の先にいる志の輔師匠やそういう人たちの所にいけるという、そういう為の山登りだと思っています。やっぱり、いつも同じ高尾山を登って降りてをしているのよりは、死ぬかもしれないけれどもっと高い山を登ってみましょうっていう気持ちですよね。


――それが、思ったよりも時期が早かっただけということですね。

自分だけでやっていたら、真打になっても国立なんかでやれていないと思うんです。やっぱり、周りで支えてくれていた企業の方や、見てくれていた人たちがやろうよって言って背中を押して準備をしてくれたので、やることができる訳で。いつもね、なんか人の悪口ばかり言っている割には、結局は人に支えられて僕は噺家でいられるわけなんですよ。その人たちがやろうと言うのなら、もう、信用してやります。もう本当に、皆のおかげです。だから、もう成功するにしても、コケるにしても…、コケたらその人たちのせいで、成功したら僕の手柄です(笑)。いや、本当に、ありがたいことです。


――僕は会の情報を最初に触れた時に、ああ、こういう研鑽の方法もあるんだなと思って、それから場所を見て、「え、国立?」って思ったんですよ。

いや、それは、誰だって思うでしょ。やっている自分が一番信じられないですから。


――で、やっぱり宮治さんのキャリアをすぐさま思い浮かべて、もしかしたら、国立にでる最速記録かなとも思ったんです。

そこまではいかないんじゃないですか。分からないですが。でも、記録とかより、僕はNHK演芸大賞とったのが早かったとか、結局そんなものって、なんの役にも立たないってことに気付くわけで。逆に、早ければ早いだけ損をすることもあるし、光の後ろに影があるって本当だなと思いますよ。


――重要な言葉ですね。

「いい事ばっかりだね」って皆に言われるんですが、そりゃ、いいことありますよ。でも、悪いことやつらいことというか、絶対に、陰陽というのはあるわけで、光と影が。正直、国立を早くしてやるということが「良い」部分よりは「悪い」という部分の方が今は多い。コケれば「ざまぁみろ」と思われることもあるでしょうし、「あいつはばかじゃねぇか。国立をなんだとおもってるんだよ」っていう大先輩の師匠方もいらっしゃるでしょうし。そういうものにも向かって行かないといけないので、それはやっぱり、つらいです。けれど、何もやってないよりはいいやって。特に、今、うちの落語芸術協会は若くていいやつがいっぱいいる。神田松之丞にしろ、瀧川鯉八兄貴にしろ。いろんなところから注目されている二ツ目が多いので、そういう人たちと一緒にやっていて、負けちゃいけないなと言う気持ちは強い。サボり癖があるので、国立の様な出来事があれば確実に稽古するでしょうし。


――初回の4月22日は「妾馬」をネタだしされています。

僕は、前座の時は、比較的仕事が良くできると言われていた方だったんです。でも、小柳枝師匠の「妾馬」は、仕事を放棄して聞いちゃったんですよ。仕事中なのに泣いて、これ絶対にやりたいと思った。だから、国立決まった時に、絶対「妾馬」だと思った。国立で、「妾馬」をかけて、自分のスタートにするという。そういう自分なりの思い入れが出来たので、国立もいけるかなと。あそこで、最後に「妾馬」をやったらなんとかなるんじゃないかって、自分でしっくりきたんですよ。


――出来るんじゃないかと言う気持ちと同時に、乗っかってみたいという気持ちが芽生えたんでしょうね。

そうです。小柳枝師匠に教わった「妾馬」をあの国立の舞台で、自分の独演会で、最後にやる。それが鳥肌が立つぐらいに面白く感じたんです。噺家になって、せっかくこういう話が来た時に、つらい部分が多いけれども、自分にとってはものすごく面白いことというか、わくわくする。師匠探しをしていた時に、うちの師匠が袖から出てきて、「あ、この人だ」と思ったあの時とほぼ似たような衝撃だったんですよ。「妾馬」を聴いた時は。


――初回以降の会のネタに関してはどうでしょう。

それですよ。四回もやるとは思っていなかったんで、あとの三回はね、とにかくネタを決めるのが大変で大変で(笑)。でも僕の場合は、出だし良ければすべて良しなんで。でも、ネタ出しをすることによって、連続もののようなイメージを持ってもらえるんじゃないかなと思って、


――よく分かります。

今、30〜50人の小さいところで月20本ぐらい会をやって、正直こればっかりだと忙しすぎて惰性でやっている部分も否めないし、なんか違うと思っていたんです。この国立が決まってから、NHKの賞を取って以降、なんとなくただ忙しいだけになってしまっている自分の状況や意識が変わるんじゃないかって思えるようになったんです。満杯になることはないだろうけれども、見に来てくれたお客さんも変わってくれるんじゃないんじゃないかなとも思っています。


――先に光が見えたという感じですね。

そうです。このままオレ、どうなるんだろうなっていう思いはあります。賞はとったものの、真打昇進まではまだ8年とかすごく長い時間があるし。賞は二ツ目の最後の方にとれればよかった。兼好師匠とかにも、「賞をとるの早すぎない?大丈夫なの?」とか言われて。で、オレも「もう潰れるな」とも思った。その時に国立の話が来たんです。チャレンジしない人に、チャレンジして失敗したって笑われても何も恥ずかしいことはないので。だから、チャレンジができることが嬉しいですね。必死になれることができて。


――ツラい面はあるでしょうが、何かに導かれているようにも感じます。

三三師匠のにぎわい座での会に、三三師匠から直接お電話いただいて、お誘いを受けたんですよ、「その日、空いてないか」って。その日は実を言うと家族でグアム旅行に行くことになっていたんです。前座の頃からかみさんがコツコツお金を貯めて、さあ行こうって言っていたところに、三三師匠から電話があったんです。しかも中入りで本当のゲストとして呼ばれたんですよ。そんなことを国立をずっとやってきたあの師匠が言ってくれるなんて、これは何かあるんじゃないかって。自分の国立の会へのステップにもなるんじゃないかって気がして、「お願いします」と即答しました。で、すぐにかみさんに電話したら、「旅行なんていつでも行けるんだから」と言ってくれて。三三師匠からそんなことを言ってもらった上で家族との旅行をとったら、それこそ噺家人生ここで終わるんじゃないかと思いましたよ。


――何かに、軽く試された感じはしますよね。

そうです、そうです。もちろんやりますと。そこで遊びを取っているぐらいじゃ、おれは誰にでも簡単に負けるなと思って。だから、なんだかすべてが国立に向っているんじゃないかと思えたんです。


――道が一本、そこに向っているような感じはしますね。

勝手なこじつけですけど、でも偶然が重なれば、それは必然じゃないかと。かみさんには迷惑かけちゃって。子供二人育てて、何の楽しみもないのに。こっちは外でパーパー飲んで、適当に好きなことやっているのに。


――国立の独演会では、ネタ出しされている「妾馬」というおめでたい噺はぴったりですが、でも、国立の記念すべき高座で悪態をつく宮治さんが見たい気持ちもあります。

それは、変わらないでしょ。人はそう簡単には変われないですよ。それ以外で自分がもっと面白いものをだせるかというと、これまた微妙な問題で。でも、所詮、自分のフィルターを通して出てくるものは、まずは悪口でしょうね。だから、主催をしたサンケイリビングと、無謀にも貸した国立の悪口は言うでしょうね(笑)。


――そこは避けて通れないですもんね(笑)。

避けて通れないです。国立のあの高座を愚弄して降りてくる宮治がいるでしょうね。そして、最後に御目出度い噺をしてチャンチャンと。あ、初めてゲストも入れるので、楽しみにしていてください。決まっているんですけど、秘密です。


――楽しみですね。

やったことのないことをやり遂げて、その先に自分がどうなっているのかを考えるって、本当にこの商売、楽しいですよ。今、チャレンジすることしかないじゃないですか。大看板の師匠方になれば、それまた師匠方にしかわからないチャレンジがあるのかもしれないけれど。歌丸師匠なんて、あのお年で毎年新しいチャレンジをしているわけだし、国立で。あ、その国立で、オレもやるんだ。やばいな(笑)。でも、不可能だと思ったことをやった後に、どんなにうまい酒が飲めるのかとか、あ、結局、酒か、オレは。


――度胸もつくでしょう。

菊之丞師匠の真打の披露興行の時に、とにかくいろんなことがありすぎて毎日のように土下座しに回って、それが全部終わった時に、「何も怖いものがなくなった」って言われて。何が起ころうがまったく動じないし、何か起こっても、「そんなの謝れば済むんでしょ」とか、どんな仕事が来ても、「はいはい、やるやる」っていう感じに全部が変わったと。度胸がついたって。


――菊之丞師のお披露目興行の逸話は私も聞いています。

そこまではいかなくとも、少しは自分もわかるようになるのかなと。今みたいに、ビクビクしながら、あんな高座で人の悪口とか主催者の悪口ばかり言っていたらね。ビクビクしてないように見えるかもしれないですけど。でも、いつ仕事なくなるかわからない、いつどうなるかわからない、と考えている自分にも度胸がつくんじゃないかなと思っています。噺の上でも、佇まいの上でも、考え方の上でも、マイナスになることは無いと思っています。


――明らかにマイナスになることは無いですよね。他人事のように言いますが、国立の四公演をやられて、興業的にも内容的にも上手くいかなければやめればいい。

そうです。そうです。


――で、うまくいけば、それをよりハードルを上げて続ければいい。

ええ、もう、いいよ。これ以上は(笑)

家族を幸せにできる最短距離は噺家だと思っているので、噺家で頑張る。

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――話をかえますが、噺家を志して、今に至るまでの話をお伺いします。落語の原体験は?

結婚するときに、かみさんが仕事を辞めていいよと言ってくれて。営業職をやっていたんですけれど、やりたくない仕事をやっていてもしょうがないから辞めていいと。じゃあ、一人でできるものを探そうかなと思って。そこで落語を思いついて、YouTubeで枝雀師匠の「上燗屋」を見たら、すごく面白い。10回連続見て、10回とも爆笑して。かみさんに見せて、「これやりたい」って言ったら、「いいじゃない」と。で、結婚式の日にスピーチで会社の社長に辞めますと言って、結婚式の日に無職になって。それから寄席に初めて行きました。それからうちの師匠を偶然国立演芸場で見つけて、追いかけて、出待ちして、入門するという。何度も断られましたけど。で、入門の翌月からからもう楽屋入り。落語なんて全く知らないし、31歳でしたからほとんど前座は年下ばかりだったし、何が何だか分からなかったですからね。


――YouTubeを見てから入門までは、いろいろ調べたりはする余裕はあったんですか。

入門の仕方と、ある程度どういう物なのかはインターネットで調べました(笑)。


――その知識は役に立ちましたか?

インターネットでつけた知識で、あれなんですけど、師匠は絶対の存在で、親であり、自分の父親よりもっと重い存在だと。そう考えると愛せない人は無理で、じゃあどう愛せるのかと考えると、落語わかんねぇしなと。だから、人として愛せる人を探すしかなかったんですよ。そう思って探していたら、たまたま袖から出てきたのがうちの師匠で、「もうこの人だ」って。うちの師匠が何の演目をやったとかすら覚えていないんですよ、劇的すぎて。


――落語を知らないからこそ、ある種の第六感じゃないですが、そういうものがないと決められないですよね。

そうです、そうです。とにかく、どういう人間なんだろうって。この人と同じ屋根の下にいたらどう思うんだろう、ということを考えながらずっと噺家さんを見ていたので。自分の感性には間違いはなかったですよ。うちの師匠、本当にいい人なんです。本当に素晴らしい人です。


――前座修行は相当苦しいものでしたか。

調べたり聞いたりしていたうちに物凄いものを想像しすぎて、入ってみたら想像よりは楽だった(笑)。すごい地獄のような日々を想像していったら、チョイ地獄だったので。だから、なんか、いいですよ、イメージトレーニングも(笑)。でも、最初の半年は本当につらかったですね。分からないことだらけで、常識も違うし、あれはやはり地獄でしたね。でも充実していました。今までは仕事ということで、本当にやりたいことをやっていたわけではないので。今やっていることは、人生を懸けてやっていることなんだという思いがありました。


――今までやっていた仕事と比較ができたということですね。

本当に自分がやりたいと思えるところに初めて入ったので、どんなに年下の先輩からけちょんけちょんにいわれて、ありえないくらい長い時間拘束されて、給料ももらえず、ぼろ雑巾のように扱われても、楽だったんですよ。楽しいんですよ。それは感覚で、本当に楽しかったわけじゃないけど。普通の商売やっている方が辛いなと思いましたね。噺家をやっている方が、楽しくて、楽しくて。でも、かみさんは、つらかったと思いますけど、ずっと楽しそうにやってくれていますが。


――先ほどから節目節目で出ている、奥様の存在というのはすごく大きいんですね。

宝くじに当たったようなもんですよ。あの人に出会えなかったら、今頃借金抱えてどうにもならなくなってましたよ。キャッシュカードを預けたとたん、気づかぬうちに借金が一切なくなっていましたし。で、「2〜3年は仕事しなくてもいいくらいあるから、仕事辞めてもいいよって、その間に何とかなればいいじゃない」って。全部お膳立てしてくれたのもあの人なんです。もう、頭が上がらないですね。


――噺家・宮治さんという存在の半分は奥様の…。

いや、九割です。


――宮治さんという存在はお一人で立っているわけではないと。

無理ですね。一人だったら、前座を途中で辞めていますね。家族がいるからやれたし、頑張れたし。今は子供が2人いるので、子供に対しての責任とかはすごく考えます。家族がいなければもっといい加減だったと思います。売れたいからとか、上に行きたいからという思いより、基本は家族との時間を守るために噺家をやっているという感じがあります。


――お話を伺っていて、その思いが強く伝わってきます。

「なりたくてなった噺家をやれて幸せです」という人がたまにいますが、僕はまったくそうではない。家族を守るために噺家があって、落語ありきではなく、家族ありきなんです。うちの協会の先輩でも、「噺家は職業としてやっては駄目だ」っていう人もいるんですよ。すごく売れている人が「噺家は商売だ」とも言います。いろんな捉え方がある。商売だといってしまえば、もっと割のいい商売がある。だた、今、自分の持っている能力をどうにかすることで、家族を幸せにできる最短距離は噺家だと思っているので、噺家で頑張る。


――噺家をいう職業は、ご自身に向いている商売と言えますか。

人からどう思われるのかは分からないですが、一人の人間が喋る、それがお金になるということに関しては、僕は向いていると思います。それが、噺家であったのか、漫談家であったのか、ナレーターであったのか、司会者だったのかは分からないですが。今までやっていた営業に関しても、一人の人間が、大勢の人間を集めて、語りかけて、というのをやってきたので。落語家が天職ですとは、ちょっと分からないです。


――その上で落語が好きである。

今は、好きです。一人でいろんな役というかストーリーをきちんと話して、その人間が持っている感情を味わえて、すべて自分で決められて、それにお客さんが賛同してくれて、笑ったり泣いたりしてくれて。それがハマった時の感覚、座布団の上でやっている時の感覚というのは、やっている人しか分からない喜びがあります。稽古は面倒くさいですけど。それも、いろんな名人がやってきたあの国立の高座でやらせてもらえる職業についている幸せも感じます。それも努力なり、運なり、どちらかを持っていなければ、国立の舞台には上がれないわけで、自分はそこに上がれるんですから、自分には何もなかったとは一概には言えないと思うし、自分では言いたくないので。だから向いているのかな。


――やはり向いていると思います。

落語の世界って、すごい師匠方を見てきたすごいお客さんっていっぱいいるじゃないですか。落語は芸術だって。そういう人からしてみたら、「お前なんか落語家じゃねぇんだよ」って、もちろんいうと思うんです。でもこういう落語家もいてもいいじゃないですか。こういう落語家を好きになってくれる人も何人かはいるわけで。だから、今はそれでいいと思っているんです。昔は、全員に好かれようと思っていた時もありました。でも僕みたいなキャラクターは無理。だからといって、好きな人だけ見てくださいという風にもなりたくない。初めて落語を観た人が、「落語って面白い」って思ってもらえるような噺家には、僕は向いている気がしているんです。初めて落語を観た人に、僕の落語を観てもらえれば、結構の割合で面白いと思ってもらえるつもりです。


――分かります。

初めてのお客さんが「落語ってこんなに敷居が低かったんだ」って思ってもらえる、興味を持ってもらえる。新しいお客さんを落語の世界へ導いていけたらいいなと思っています。今まで見に来た人にも、「あいつ上手くなったな」と言われるのも目標だから国立の会とかをやる訳ですけど、初めて見たお客さん、あるいは落語を単純に楽しみたい、上手いとか下手とかそういう見方じゃなく、ハリウッド映画を見に来たような感じで、ドーン、パーン、ドドンドーン、ギャーン!で最後は泣く、うぁーんとか、最後は笑う、わーっていうそういうレビューというか、エンターテインメントを見るんだよというお客さんを増やしていきたいですよね。


――その気持ちはよく分かります。僕は、どちらかというと古典原理主義の様な側面があって、小三治師匠を30年追いかけ続けて、落語研究会に20年近く常連席を持っていてというような…。

あれ、一番イヤな客じゃないですか(笑)。


――そう、そうなんです。でも、やっぱりそうじゃないものも観に行って、好きなものも多いんです。例えば談笑師匠とか大好きなんです。あの方の「金明竹」とかに衝撃を受けて、こういう世界もあるんだと驚いて。改めて、いろいろなものを見始めた中で、落語の可能性の無限さを新たに認識しなおして、それがこのサイトを運営し始める原動力になったです。その時に、一通りの方を見終って、いろんなタイプの方がいるなと思ったところで、宮治さんを見た。で、まだこんな人がいたのかと驚いたんですよ。

こんなバカが出て来たって?(笑)


――そう、そう(笑)。勢いが凄くある。落語って一人喋りなのに、漫才やコントの様に会話が成立していてグルーブしている。一人で喋って、自分に突っ込んで、それでウケる時もあれば、スベる時もある。そのスベった時に、スベったと確実に口に出して言うし、演技かもしれないけれどうろたえたりもするじゃないですか。落語の中でも新しいスタイルの様な気がしたんですよ。この感覚はどこからくるものなのだろうかと。

それは、営業の経験ですね。その仕事は、何も買いたくない、何も損はしたくない、徳だけして帰りたい、モノをタダでもらって帰りたいという人を集めて、その人たちにモノをあげながら、僕のことを好きにさせて、15分くらいの間に高額商品を買いたくなるところまで気持ちをかえていくというものなんです。もちろん、密閉された空間ではなく、嫌だったらすぐに逃げられる空間で。で、最後には、集まったお客さんが列をなしてレジに行くというのをやっていたんですね。


――究極の話芸ですね。

そこにいる人たちに僕を好きになってもらいながら、飽きさせずに、笑いを取って、僕を信用させて、尚且つ購買意欲を沸かせて、購買行動に結びつけるという仕事を何年間もやっていたので、その時の感覚なんです。だから、寄席も明るいじゃないですか。あれが暗いと僕も不安なんですよね。誰が飽きているとか、どんな思いで聴いているのかとか、この人は帰りそうだとか。実は感覚的には同じようなことを仕事でやっていたんです。その時の感覚ですよね。常にポンポン言って、飽きさせないようにして、オレのものにするんだというテンポというか、持って行き方は。その感覚のまま、今も高座に上がっていますよ。


――じゃあ、それが培われていたと。その時の経験が凄く生きていると。

いい意味でも、悪い意味でもですね。


――確かに。悪い意味でも、という面もあるかもしれないですね。ちょっと偏屈な落語聞きからすると、テンポや、次の言葉が早すぎるとか、難点もあるかもしれない。

そうです。


――自分で言ったことを、次の言葉で否定したりすることもあるじゃないですか。

ありますね。


――あれは、本当に、驚きました。

でもそれもすべて感覚なので。机の上で考えたものではない。言った時にそう思ったから、すぐに否定して見せたり。逆に言うと、2度目は出来ないこともありますよ。その時の面白かった感覚を忘れてしまうこともある。


――まさにライブです。

今までは、自分でやったものは、「撮らない見ない聞かない」できたのですが、これからは、ちょっとは聞かないとなと思っています。今までは勢いで来られたんですが、もう一回やり直さないといけないのかもしれない。この先の山を登るとなると、それを残しつつ、もうちょっときれいに整理していかなくてはいけないとだめだと、さすがに自分でも気がついてきたので、一回、ちゃんと聞いて、削るところは削って、きちんと形にしなくてはいけない時期に来ているなと思うんですよね。

私のツイッターの1000人以上のフォロワーのうち、200人以上が高校生なんですよ。

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――国立の会があり、新たな光が見えてきてという中で、この先、こういう存在になれれば自分は満足だとか、こういう高座を務められる存在になれればという自分の中での思い描いている目標はありますか。

自分が高座に上がった時に、お客さんがつまらないと思ったらもう、負けなんですよね。それだけは絶対に嫌だという思いだけで上がるので。泣いてもいいし、笑ってもいいんですけど、お客さんに面白かったといって帰ってもらえなかったら負けで、それが常にできていれば僕の勝ちなんですよ。本当に当たり前なんですけど。そういう人になりたい。でも、今、こんなに会が多いと、どうしてもネタが被ってしまってテンションが下がってしまったりと、そういう時もあるんです。それをなくして、精度を上げていって行きたい。


――忙しいと、ネタが増えないという問題もおこります。

今までは噺を覚えるぺースが遅かったんですけど、今結構上がってきていて、そこからちゃんとやれば精度も上がっていくし、自分にあう噺を探していけるという楽しみが出てきました。楽しんでもらうには、まず噺をどんどん覚えて、その精度をどんどんあげていく。もっといろんなところに出ていって、いろんな経験をしてまくらの題材になることをつくる。方向性が自分のなかで見えてくると、今までこなしていたことが、自分の中で面白くなっていくというか。とにかく結論は、集まってくれたお客さんが、面白かったと思って帰ってくれる、それだけです。それ以上でもなく、それ以下でもなく。


――お客さんの満足度が一番というのは、ある種の極論です。

売れたいとか、あの師匠のようになりたいという発想は僕の中にはない。自分は物を凄く斜めから見る発想や、とがった感覚がない。どちらかというと、ベタ。鯉八兄貴とか、吉笑さんとか、もうわけわかんない方向から噺を作ってきたりとか、あの斜めから見る姿勢とかは本当にすごい。


――確かに、ちょっと尋常じゃない新しいものを感じます。

僕は真正面からしか見られないので。ただ、それにどう悪口を言うかとか、勢いしかないので、武器が少ないんです。だから、一生懸命やるしかないんですよ。その中で何かがあればいいやと。一生懸命やって、自分のフィルターを通して、役をきちんとやって、その中でたまたま生まれた一個、二個の面白いことを噺に残してつくっていけば、上の人とは勝負できなくとも、多少は食っていけるんじゃないかなと。自分にその才能がないのは自分がよく分かっている。皆、「もう怖くないでしょ」って言いますけど、僕は怖いですね。噺家になって、今はちょっとうまくいった時期がありますけど、もうその先は怖くてしょうがない。自分がこれ以上何ができるのか、まったくわからないんで。


――二ツ目になりました、NHKの賞を取りました、いろんな会によばれるようになりました、国立の会も決まりました。順風満帆と見えます。

ここがピークでしょ(笑)。


――と、思われているということですよね。

山を越えてどこまで行けるのか、自分にないものをどうやって手に入れるのか。それを思うと危機感があります。だからあえて、国立では逃げずにいろんな噺に挑戦してみたいなと思っています。人情噺をやってみるかもしれないし、やり慣れた滑稽噺だけではなく。もう、滑稽噺をやったら面白い人はいっぱいいるし、人情噺が凄い人もいっぱいしる。唯一無二とか無理ですよ。この噺の名手はこの人っていうのは、そうそうなれない。でも、そういう人が、また、新作を作る能力があったりする。


――上を見るときりがないと。

売れている人って、天才しかいないなって思いません?何もない人にはなりたくないけど、自分の武器がなんなのか、自分を俯瞰で見ても分からないんですよ。だから、なぜ、今、自分がここにいるのかが分からない。あんなすごいと思っていた落語という古典芸能の世界に入って、何も分からないうちに、いろんな先輩方に使ってもらって、分からないながらになんか前座噺でも多少ウケてるなと思って、二ツ目になって、なんだかわからないうちにNHKの予選に通って、まあラッキーだよって思ったら優勝して。あの時は本当に意味が分からなくて。どんな手をつかってでもその場にいるお客さんを爆笑させればいいや、としか思ってなかったら。優勝しちゃって、「ええっ、オレ、どうなっちゃうの?」って。マジで、一之輔兄貴も、文菊兄貴も落ちたの見たよ、って。そうしたら仕事がワッと来て…。


――そうなりますね。

だから、自分をつくる期間がなかったんです。充電期間というか。一之輔兄貴はあったらしいんですよ、注目はされていたけれど、なかなか賞も取れずに、頑張らないととおもって自分をつくるというか、そういう時間が。だから、そういう時にためてきたネタが今、生きているんだと思うんです。でも、僕は、何もないから、覚えては掛け、覚えては掛けという状態にいて。だから、クオリティが低いといわれるのは、当たり前だと思う。でも、「しょせん、あいつはあんなもんだぜ」って言われるのが怖い。でも、実際言われる。でも、どうしていいのか分からない。そんな頭おかしくなるような格闘をしているんですよ。だから、高座に上がったら、人の悪口しかいわないのかな(笑)。いや、だから、本当に家族と居る時間だけが、唯一、何も考えずに心休まる時間で。でも、家を一歩出たら、噺覚えなきゃ、また悪口言われるんだろうなとか、思ってしまうんです。ネットとかも一切見ないんですよ、コワくて。悪口言われているのは分かってるし。


――言いたい人には、言わせておけばいいじゃないですか。

落語好きの落語通の人たちがね、僕が、(古典をきっちり演じる風に喋りだす)「こんちは」「おお、どうした八っあんかい。」ってやったって、どうせ見に来ないでしょ(笑)。たまたま、お目当ての師匠が出ていた大きい会に僕が出ていたのを、たまたま見て悪口言うだけでしょ。僕の会は見に来ないんでしょって。だったらこういう人もいてもいいじゃんって。皆、ああいうすごい人たちばっかりだったら、落語界は終わっちゃいますよって。10代、20代の人たちは、あれを求めてはいませんよ。僕も全然落語を知らなくて、枝雀師匠の「ぴぃやーっ!」っていうのが好きで入ってきた人間ですが、落語を知らない今の若い人たちが、落語協会のすっごい上手い人たちを最初に見たら、「何これ、つまんねぇな、ねむいよ」って言いますよ。あれを二時間半見たくないよって思いますよ。


――(笑いが止まらない)はい。すごくよく分かります。

それはね、落語通のあなたたちが好きな落語であって、全員がそうなったら、落語は終わってしまいますよ。あなたたちが大好きな落語を、今のあなたたちの世代で終わらせてもいいんですかって。馬るこ兄貴とか僕の様な噺家がいるから、多少は若い人がついてくるわけで。私のツイッターの1000人以上のフォロワーのうち、200人以上が高校生なんですよ。学校寄席に行った時に、皆、すごく興味を持ってくれるんですよ。なかなか会には来られませんが。でも、例えば北海道に行くって言うと、リツイートしてくれる子が何人もいます。僕は、裾野を広げられるんですよ。その人たちがある程度の年齢になった時に、落語をまたもう一回という時が来ると思うんです。それができるのが僕たちの落語であって、あの人たちに文句いわれるのはちょっと違うなと思ったりするんですが。でもね、確かに、3〜40歳代の落語ファンの人たちに見てもらってね、「ひどすぎるね」って言われると、「やっぱりそうですよね」って思う時も、正直、あるんです(笑)。


――キャラクターというか。役割を担っている気はします。

分からないんですが、今は、ただ一生懸命にやるだけなんで。


――すごく闘っていますよね。

負けず嫌いなんです。でも、要は、つまらないと思って帰られるのが嫌なんです。うちの師匠はほとんど何も言わないんですが、前座の時から、「寄席だろうがなんだろうが、その日に一番うけろ」って言われたんですよ。他の人に負けてはいけない。もちろん、負けてばかりなんですが。単純に、その日出ている人の中で一番楽しんでもらえて、一番ウケて、それを続けていれば何かがあるだろうと思っています。でも、それには武器が無さすぎるなと思うと、なんか、闘うといっても…ツラいです。戦車に竹やりで向かって行っている気分なんですよ、毎日。最近は、どこの会に行っても上の人とばかり組ませてもらうので。


――確かに豪華な顔付けが多いです。

三三師匠に、「二ツ目になったら上の人とやりな。そこで闘っていきな。」って言われてきたんです。今、実際それに近い環境にいて、菊之丞師匠と二人会やらせていただいたりとか、大きな会に一人で組み込んでもらったりとか。本当に戦車に竹やりで、本当に胃が痛くてしょうがなくて。でも、「本当につらいんです」っていうと、みんなに、「またまた」って言われて。毒ばかり吐くからそういう風に思っているんだと思いますけど、本当はすごく気が小さいんですよ、本当に。うちのかみさんが唯一分かってくれるから、泣くのはかみさんの前って。うちの同期は酒飲むとすぐ泣くのを知っていますけど(笑)。本当につらいんで。仲のいい後輩とかが、「オレ、兄さんと同じ立場にならなくて良かったよ。ツラいでしょ一人で」って。「オレは、ゆっくり行くわ」って。孤独だなって思う時はありますよ。だから、拠りどころは家族だけですよ。あ、そんなこと言うと泣きたくなってきた。本当にちょっとね、精神がおかしくなるくらいツラいっすよ。


――傍から見ているより、絶対にツラいはずです。

こういうことが言える人が少ないんですよね。


――でも、そういう立場にいる上で、国立演芸場の独演会が決まって、勢いは止まる気配はありません。

だから、更につらいんです。


――まさにその素直な心情をお伺いに来ました。

でも逃げたら家族を養えないと思ったんで。逃げたら、逃げる落語家って、絶対に終わりなんですよね。逃げてる人で大成した人はいないでしょ。


――その通りだと思います。

でも、いいんです。やるんです。


――このタイミングでお話をお伺い出来て、本当に良かったです。今度は、この先の山を越えた時に見えた景色を、聞かせてください。

何も見えなかったとしても、また、インタビューして下さい(笑)。


20140422

4月から国立演芸場で新たな挑戦を開始。桂宮治独演会「- 挑戦! 新・宮治本舗 -」

いよいよ四月。
桂宮治が国立演芸場で新たな試練に挑む。

桂宮治が年四回、過去に演じたことのないハードルの高い大ネタに挑戦いたします。
まさに清水の舞台で展開される「宮治の綱渡り」
命がけで演じ、お客様をいい意味で裏切り、さらなるステップアップを目指す会といたします。

という、コンセプトのもと、初回の4月22日は、「妾馬」と他2席に挑戦。
ゲストも、当日のお楽しみとして登場。

4月分は完売。



桂宮治独演会「- 挑戦! 新・宮治本舗 -」

2014/04/22(火) 19:00
国立演芸場 (東京都)
桂宮治

全席指定 2500円  ぴあ イープラス チケットファン オフィスM’s
サンケイリビング新聞社事業部:03-5216-9235

第2回目 2014年7月29日 ぴあ イープラス チケットファン オフィスM’s
第3回目 2014年10月22日
第4回目 2015年1月19日