三遊亭兼好(さんゆうていけんこう)インタビュー
1970年(昭和45年)1月11日生 会津若松市出身 二松学舎大学卒
1998年8月 三遊亭好楽に入門 前座名「好作」
2002年3月 二ツ目昇進 「好二郎」となる
2006年4月 にっかん飛切落語会 若手落語家表彰努力賞受賞
2007年12月 にっかん飛切落語会 奨励賞受賞
2008年5月 第13回林家彦六賞受賞
2008年9月 真打昇進 「兼好」となる
2010年 国立演芸場花形演芸会 平成21年度銀賞受賞
2011年 国立演芸場花形演芸会 平成22年度金賞受賞
2012年 国立演芸場花形演芸会 平成23年度金賞受賞
2014年 平成25年度彩の国落語大賞受賞
三遊亭兼好は、とにかく明るい。
高座では、出てきただけでパッとその場が明るくなる。それは、見る側を魅了するほどの明るさだ。これ武器になると生意気にも私が思ったのは、初めて高座を見た二ツ目の「好二郎」時代だ。
そこから10年以上が経ち三遊亭兼好は今、飛ぶ鳥を落とす勢いがある。落語会のスケジュールを見ても兼好の名前を見ない日はなく、「落語教育委員会(三遊亭歌武蔵、柳家喬太郎とのユニットで行われる、大人気の落語会)」のメンバーに抜擢されたのをはじめとして多くの大規模な公演に顔付けされているなど、その人気は右肩上がりだ。
そんな兼好は、自身の主催で続いている人気公演「人形町噺し問屋」で収録された「三遊亭兼好落語集 噺し問屋」というCDシリーズを年に1枚発売し、もう既に7枚目を迎える。2018年12月5日に発売される第7弾「鈴ヶ森 / お化け長屋」の発売を前に、今年で入門20年、真打昇進10年という節目の年を迎えた兼好に、じっくり話を聞いてみた。
取材中も、その明るさでその場にいるものを楽しませるのは高座と同じだが、時に見せる人間くささがとにかく印象的だった。
取材・文章:加藤孝朗(ハナシ・ドット・ジェーピー)
デザイン:林香余
落語は、面白さが今までの仕事とは違いました。落語に関してはいまだに毎日面白い発見があります。
―今年入門20周年ということですが、まずは、これまでの歩みをお聞かせください。
さほど「歩んで」いないんですけどね(笑)。真打になって10年、噺家になって20年です。人から言われて気が付いたんですが。
―1970年1月11日、会津若松市のお生まれ。どのような子供時代だったのでしょう?
会津若松は土地柄剣道が盛んで、私も中学生までずっと剣道をやっていました。だから演芸とかは全く関係なく、家にいるのが少ない、演芸や芸事には程遠いタイプの子でした。なので今、じっと座っていることが仕事なのは不思議なものですね。まあ、じっとは座ってないか(笑)。
―剣道に夢中になりながらも高校ではラグビーをやられています。
これはね、中学の時の友達で、途中で盛岡に転校しちゃうんですが、その友達が「ラグビーの強い盛岡工業高校に行く」というので、じゃあ私もラグビーをやってみようかなって思ったという程度の話なんです。ちょうどドラマの「スクール・ウォーズ」が流行った時期で、その友達は「ラグビーやろうぜ!」と盛り上がったらしいのですが、私は高校に入るまでドラマのことは知らずにいました。
―本を出されたばかりであるとか、東京かわら版の連載であるとか、どちらかというと、文筆やイラストなど文系の活動が得意な方という印象があります。
子供のころから絵をかくのは好きで、落書きはよくしていましたね。テレビを観ない代わりにマンガをよく読んでいましたし。あのころは、ちょうど少年ジャンプの全盛期なんですよ。授業中にマンガを描いたりして遊んでいました。大学では、ラグビーのサークルとマンガのサークルと両方入っていました。
かわら版の連載もね、本当は絵だけで文章を書くつもりはなかったんですよ。ただ、私とかわら版さんの打合せが悪かったのか、私は誰かが文章を書いてそれにイラストを描くつもりで引受けたら、「文章もお願いします」と言われて、あれ?って(笑)。
―でも、文章を書いてみて手ごたえを感じてはいますか?
高校の国語の先生をやっているうちの兄が文章を書くのがすごく好きで、小説を書いて応募するようなことをしていたんです。だから、私が家で何かを書いているとものすごく下手くそ扱いされていましたね。まあ、あまり書くことは得意ではなかったんですけどね。
―落語ファンは、文才のある方という印象を持たれている方が多いと思います。
いやいや、いつも血のにじむような思いで書いているんですよ(笑)。
―大学は二松学舎に進まれます。
就職ができなかったんですよ。さっき話しましたが、ラグビーをやっている高校を探したら会津若松市には商業高校しかなかったんです。でも私は商業なんてやるつもりはないので、商業科目の成績がものすごく悪かった。貸借対照表だとかそろばんだとか。その成績が悪いとかなり就職に響きまして、全然就職が決まらないんですよ。そこで担任から、「国語の試験だけだから、二松学舎の推薦なら決まるかもしれない」と言われまして。私は入学直前まで、「二松学舎」の読み方を知らなかったですからね。ひどい大学の受け方です。
―どういう大学生活でしたか?
穏やかな大学で、女性の方が多く、国語の先生養成所みたいな大学だったので、すごく場違いな毎日を過ごしていました。私生活では、会津の人間だけが入れる会津学生寮という寮に入っていました。東大から専門学校まで70名ぐらいいて、とても面白かったですよ。
―大学時代にはラグビーとマンガのサークルに入っていたと伺いましたが、一番夢中になったのは何でしょうか?
飲みですかね(笑)。寮がちょっと昔っぽくて、飲んで議論するという連中が結構多くて、ひたすら飲んでいたのを覚えています。謳歌していましたね。
―その後、どのタイミングで落語と出会うのでしょうか?
就職してからですね。よく覚えていないのですが、直属の上司の家に飯を食いに行った時に近くで落語会があって、柳昇師匠と小柳枝師匠が出ていたというのをおぼろげながら覚えています。
タウン誌の仕事をしていまして、タウン誌って言っても主な仕事は宣伝を取るんですが。その担当の一つが古本屋だったんです。その担当を後輩に引き継ぐというタイミングで、その古本屋が店を閉めるので「好きなのを持って行っていいよ」って言われて。その後輩がカセットテープをいくつか持って帰ったんですが、その中に落語が入っていたんです。で、車でそのテープを聴きながら帰ったんです、私を乗せてね。それが、ちゃんと落語を聴いた最初ですよ。今から思うとそれは圓生師匠の「一人酒盛」なんですよ。
その後、焼き肉屋の担当になりました。それが相模原の八起さんという、談志師匠も来るような落語会をやっているお店だったんです。そこで、「談志師匠が来るから、席を取ってあげるよ」と言われて。今考えると、その時談志師匠は「風呂敷」をやっていました。でも興味なかったんですよ。どちらかというとその前方で出ていた鯉昇師匠のまくらがドッカンドッカンと受けていたのを覚えています。でも談志師匠がどうだったとか、ほとんど覚えていない。なので、お店の人にすごく怒られました。20人も入ればいっぱいなところに50~60人詰め込むような会で、見たい人もほとんど入れない貴重な席だったので、「せっかく席をとってやったのに、いい加減にしなさい!」って(笑)。
―落語を見た記憶はあれど、興味は持てなかったってことですね。その後、どのタイミングで落語に興味を持たれたのでしょう?
その後、築地の魚河岸で働いていて、午前中に仕事が終わってしまって時間が余るようになりました。そんな時にスクーターで鈴本演芸場の前を通って、「あ、こんな時間からやっているんだ」と思って、一回入ってみたんですよ。それが最初です。とにかく遊ぶところがなかったんです。お酒を飲むところもお昼には開いてないし。昼から2~3,000円で長いことぼんやりできるところはないかなと思っていろいろ探していたんです。今の菊志ん兄が前座で出ていたのを鮮明に覚えています。これは面白いなと思いました。それがきっかけで、別の寄席とかうちの近くでやっている落語会とかに行き始めました。
―趣味の一つとして落語と接し始めた訳ですね。
まあ、時間つぶしね(笑)。でも、3回目くらいには、もう噺家になろうと思っていました。パッと見たときに、「なんて楽な商売だ」と、そう思ったんですよ。これ、いいなぁって。
―商売として?
そう、商売として、なんと面白いんだろうと。
―それは、それまでお仕事をいくつか変わられていた経験からくるものだったんでしょうか?
そうそう。それまでに転職グセがついていたんですよ。なんか、飽きるとこっちっていう具合に。だから、何の知識もなく、「こんな商売、面白いじゃん」と思ったんですよ。
―高校や大学に入るときのお話に通じるものがありますね(笑)。
何の意思もないんですよ、私は(笑)。目指して何かをやったという経験はないんですよ。どちらかというと、入ってから夢中になる方なんです。就職も全て成り行きなんですが、そこに入った段階で物凄く頑張るんですよ、意外と。ものすごく嫌いで辞めた仕事というものもなく、成り行きで。だから、落語もそれまでの仕事と変わらずに成り行きで始めて、今のところ飽きていないという状況なんです。面白さが今までの仕事とは違いました。今までの仕事も、就くときは腰を据えなきゃと思って真剣にやってきてはいたんですよ。ただ、どこかで飽きがきちゃうというか、もういいやっていう感じになっていたんですが、落語に関してはいまだに毎日面白い発見があるので長続きしています。
―いまだに楽しい?
いまだに楽しい。もっというと、どんな仕事も、あるところを乗り越えればものすごく面白かったんでしょうね。落語の場合は、そこを乗り越えたんでしょう。周りだとか、いろんな人たちの支えがあって、乗り越えさせられてしまったという部分もあるだろうし。いつも言うんですけれど、修行の大変さという意味だったら、落語より普通の会社の方がつらいですよ。それは、間違いないです(笑)。落語の方が絶対に楽です。だって、落語は基本的に題材が楽しいですから。夢中になれるだけの材料がありますし。
例えウケなかったとしても基本的に悪いのは全部自分です。普通の仕事って、例えばモノが売れなかったりすると、「オレは悪くない」っていう意識ってあるじゃないですか?「こんなモノ、売れるわけがない。モノが悪いんだもん」って、ね。でも、落語にはそれがないんですよ。だって、モノは面白いんですもの。ウケなかったとしても、他の人が同じ噺でドカンとウケてたりする。だから言い訳ができないんです。そういう意味では、ものすごく頑張らないといけないと素直に思えるんですよ。まあ、普通の仕事の方が大変ですよ。そこで、ちゃんと部長とか専務とかにまで上り詰める方が、はるかに大変です。
―落語を見た3回目くらいには落語家になろうかという気持ちが出てきたと言われていましたが、そこから入門に至るまではすぐですか?
まず、一回すぐに入門のお願いに行って諦めて、また1年後ぐらいにもう一回行ってます。
―師匠選びはどのようにされたのでしょう?
実は、一番最初に一朝師匠のところに行っているんですよ。で、家族構成とかを聞かれて、その時はもう子供二人いましたしね。そうしたら、まあ、落語協会では無理だろうという話になって一度は諦めたんです。そこからしばらくして、やっぱりもう一回噺家になりたいと思った時に、先程話に出た八起さんに行くことがあって、こういう事情なんですけどと話したら、八起の旦那が、何人かうちの師匠の好楽も含めて名前を挙げてくれたんです。その何人かの師匠方の名前を頭に入れたまままた何回か落語を聴きに行ったのですが、そのたびに好楽が出てきたので、これは出会いかなと(笑)。
で、その時、たまたま国立演芸場で働いていた二松学舎の友達がいたんです。彼に連絡して、「ちょっとお前、三遊亭好楽の住所を手に入れてくれ」って頼みましてね。そんなこと無理だよ、とか言いながらも、西日暮里当たりだよと教えてくれたんです。それから、いつも仕事帰りにウロウロ探していたら、うちの師匠が散歩していたのを見つけて、「弟子にしてください」って頼みました。
―好楽師匠にお願いに行って、すぐに入門を許されたのですか?
最初は、家族構成とかを前に「それじゃだめだ」と言っていましたが、うちの師匠自身が前座のころに結婚しているので、意外とあっさりと。まあ、その時に師匠の長女が結婚するという事情もあり、人手も足りないとかいろいろ事情もあり。何回も行って4回目くらいには、「いいよ」と言ってもらえました。
何回か断られたんで、やっぱり噺家になりたいんですと手紙を書いたんですよ。そうしたら、その手紙をおかみさんが見て、「この子、結婚式の席次表の文字を書けるんじゃない?」と言われたらしく、師匠が「じゃ、いいか」と言ったとか(笑)。そんなことを、後からうちの師匠はよく言ってました。おかみさんのおかげなんですよ、絶対。だから、入門してからしばらくは、本当に娘さんの結婚式の札をずっと書いてましたよ。
古い三平師匠のCDなんか聞いていると、その現場に行ってみたいなと思います。落語の出来不出来ということを超えてね、行ってみたいと思わせるのはとても大切です。
―兼好さんの落語のスタイルは、とにかく明るい。出てきてパッと場が明るくなる。そんな高座だという印象を持たれている方は多いと思います。それは、ご自身としては意識されていることですか?
もちろん、もちろん。基本的に悩みとかがないのと、落語をやっていることが楽しいというのと、色々な仕事をしてきた中で「やはりこの仕事はいい」という意識が常にあるからでしょう。また、落語に乗せて何かを伝えたいというようなメッセージも何もないですから深刻になるものがない。あとは、私が入った時に周りを見渡して空いていたんですよ、最初から最後まで明るくやるというスタイルが。多分、昇太師匠ぐらいでしょ。でも、昇太師匠は新作だった。あとは、皆さん、どこか深刻なところがあったり、変わっていたり、ちょっとエグイところをいったりしている。そんな中で、落語の一番王道である、「笑い話をただ明るく喋ります」というところがぽっかり空いていたので、そこに行ったという感じですね。
―見ている側を徹底的にもてなそうという姿勢も感じられます。
それは、完全にうちの師匠ですよ。うちの師匠は、高座は違いますが素の部分がそれなので。その師匠の影響は大きいと思います。これだけ噺家の数が多ければ、自分のオリジナリティとしても徹底的にやっておかなければいけないことなので。
―オリジナリティを提示するというのは、とても重要ですよね。
そうですね。私は絵が好きなんですけれど、絵がうまい人はごまんといて、ただ生き残る人は一握りですよね。その中でピカソの何がすごいって、誰が見てもピカソだとわかることです。わかる人っていうのは上手い下手を超えて、生き残ると思うんですよ。落語もそうで、ぱっと聞いてこの人だとわかることは重要ですよ。
―今回発売されるCD「三遊亭兼好落語集 噺し問屋」と、それを録音されたご自身主催の落語会「人形町噺し問屋」についてお伺いします。これは2009年から日本橋社会教育会館で毎月開催されており、今年からは昼夜公演に規模も拡大しています。この会をはじめられた時のコンセプトはどのようなものだったのでしょうか?。
うちの一門は15日の寄席興行(両国寄席)をやっていますが、その中に毎日出ているわけでもないので、「どこでやっているの?」「何やっているの?」と言われた時に名刺代わりに出せる会というのが必要だと思ったのがはじまりです。
―この会は年間でネタは事前に決められていると聞いています。
ざっと、「来年はこれをやろう」という感じで決めてはいます。が、まず三か月ぐらいでどんどん狂ってきますね(笑)。
―この会はすべて録音されている?
記録として録っています。
―このCDはこれを録ろうと狙ったものではなく、録りためたものの中から構成されているんですね。
基本的には、そうです。プロデューサーが、今これが面白いと思ったものを選んで、私がOKかどうかを判断しています。逆に、これを録りたいのでやってくださいと言われると、緊張して必ずダメになるので(笑)。
―この「三遊亭兼好落語集 噺し問屋」のCDシリーズは年1枚のペースで発売されており、新しいもので既に7枚目になります。ご自身の落語のCDが出るということに関しては、どのように思われていますか?
二ツ目の頃などはCDを出すということは名人がすることだと思っていました。だから、いざ自分となるとおこがましいという気持ちです。でも、ここまで落語家の数が増えてきて、特にうちの一門の様にふらっと寄席に行ってこの人面白いからじゃあまた聞いてみようかという環境がない場合には、新しいお客さんと出会うためにはとても重要な気はします。CDは図書館にも置いてありますし。ただ、「このCDは私が作った作品です」、ということではないですね。作品的なCDの作り方をしているところも今は少なくなってきているんじゃないでしょうか。昔は、それこそ途中で音を止めたりしながら、これが作品ですといえる作り方をしていましたけど、今はそうじゃないですね。だから、CDは「この日の出来事です」というぐらいの気持ちです。
―ドキュメンタリーですね。
そうです。だからもしかすると、今後、同じ噺を収録するかもしれませんし、ね。何年かたったら同じ噺でも入れてみたくなる可能性もあるかもしれない。だって、CD出してからオチが変わっているネタも多いですから(笑)。
今回CDに収録されている「鈴ヶ森」は、前に録ってあった音源を収録したいと言われたんですが、それはオチがその時やっているものとは違っていたので新たに録り直したんですよ。でも、またもう既に、変わっていますけど(笑)。
―この「鈴ヶ森」は疾走感がすごいですね。強烈なばかばかしさが突き抜けていく感じがします。
「鈴ヶ森」に関しては、今、喜多八師匠の流れで物凄く大勢がやっていますから、あのやり方ではまるっきりかなわないので、違うやり方をするしかないんですよ。
―収録されているのはもう1席、長尺の「お化け長屋」もあります。こちらは面白さが最後まで40分間続く出色の出来です。この2席をパッケージングした今作はご本人にとってどのようなものでしょうか?
まだ私、聞いていないんですよ(笑)。いつもそうなんです。CDにする音源は収録の可否を判断するために聞くことはあっても、その後、完成品を聞くということはほとんどなくて、あっても1年や2年経ってから、完全に他人になるまではほぼ聞かないですね。
あと、どのネタをCDに収録するかを自分で選ぶことは絶対にしないです。選んでもらったものをチェックはするけれども、基本的にはプロデューサーの判断に任せています。自分で選んだとしても、1~2年後に聞いたときに、「ああ、こんなに面白くなかったのか」となると思うんですが、人に選んでもらうと最初は「なんでこんなネタ選ぶんだ」って思うんですが、後から聞くとなるほどと思うことが結構あるんですよ。ある程度の長い時間を耐えうる出来のものを選んでくださっているということなんでしょうね。自分で選ぶと、その時面白かったものという判断になってしまうんです。
―落語のCDはいろいろな用途があると思いますが、最終的にはCDを聞いて、生の高座を聴きに来てください、という目的のものだと思います。
完全にそうですよ。来てもらいたいというのが一番です。古い三平師匠のCDなんか聞いていると、良いんですよ。お客がぎゃーぎゃー騒いでいて、ほぼ1分近く何をやっているのか分からない時間があったりとかね。これはその現場に行ってみたいなと思いますよ。落語の出来不出来ということを超えてね、行ってみたいと思わせるのはとても大切です。
―今年で20周年ですが、今後の目標というものをお伺いさせてください。まず、来年に20周年記念落語会のツアーがあります。いろいろな会の会場も大きくなっているし、「落語教育委員会」のメンバーに抜擢されるなど多くの場所に顔付けもされ、今、まさに右肩上がりという勢いを見せていると思います。この勢いは一体どこまで行くんだというタイミングでの20周年です。この後、どこを目指して、どこに向かわれるのでしょうか?
先程から話しているように、自分から目標を立てて何かをやったことがないので、20周年ツアーも私が言い出した訳ではないんです。本来なら今年が20周年なので今年やるべきなのですが、来年になってしまいましたし(笑)。もちろん、始まったら一生懸命やるんですが、それに向けた目標というものはあまりないんですよ。ただね、そういうものがないままにここまで来て、今のところうまくいっているので、これからもそうしていくと思うんです。自分で考えた道でうまくいくともあまり思えないし(笑)。誰かが、「これはどう?」って言ってくれるものに乗っかっていくのがいいと思うんです。基本は「断らない」ということかな、この先の目標というかスタンスは(笑)。自分で、これはやります、やりませんと選び出した時点で自分の幅が狭くなると思うし、だから、誰かにノセられれば色々なことに挑戦してみたいと思っています。異常なまでに明るい怪談噺とかね(笑)。
―20周年はあっという間ですか?
あっという間も、あっという間ですよ。うちらの世界では、ぼんやりしている人だって40周年とか当たり前ですから(笑)。スポーツ選手の20周年とは違いますからね。ほぼ、最初の15年くらいはマイナスしてもいいくらいじゃないですか?真打になって最初の何年目くらいまでは、スパッと切ってしまってもいいでしょう。心持ちとしては4~5年のキャリアって感じですよ。今は、ようやく「仕事が増えてきましたね」と言われ始めて、あとはこれがどれだけ続くかということでしょうから。ようやく、スタートラインに立ったということですよ。
―ここから、30年、40年というものを見据えると、どうでしょう。
楽しみですね。今は、先輩方がいろいろな道を開いてくれていますから。今のように、明るく元気にやっていけるのは、64歳ぐらいまでだと思っています(笑)。その先は、噺家でいるとしたら違うことをやりたいですし、噺家と違うことをやっているかもしれないし。
―違うことをやってみたいという意識もあるんですね。
もちろん。落語半分で、半分は「画伯」とか言われてみたり、ね(笑)。
【CD商品情報】
三遊亭兼好落語集
噺し問屋「鈴ヶ森 / お化け長屋」
アーティスト:三遊亭兼好
価格:¥2,315+税
品番:COCJ-40575
発売日:2018年12月5日(水)
詳細(コロムビアWEB)
購入(コロムビアミュージックショップ)
1.鈴ヶ森(すずがもり) 2018/9/3 日本橋社会教育会館「人形町噺し問屋 その82」より
落語に登場する泥棒は、いつも間抜けである。そしてこの噺の主人公は図抜けておかしい。親分の元で真面目に悪事に励む男は何を聞いても頓珍漢なのである。今日は親分に付いて鈴ヶ森に追いはぎへ出かけることになったが、そのための準備段階から初歩的なダメっぷりを遺憾なく発揮する。追いはぎのためのセリフ回しも教わるのだが、これもたどたどしい。さて目的の鈴ヶ森に着いて、追いはぎを始めようとするがこれがしまらない。
兼好描く新人泥棒のバカさ加減がどうしようもなく面白い。
2.お化け長屋(おばけながや) 2018/6/19 日本橋社会教育会館「人形町噺し問屋 その81」より
長屋の空き店を住人たちで便利に使っていると、大家が住民たちに怒ってきた。空き店を使い続けたい長屋仲間は、古くからの住人・杢兵衛に相談する。杢兵衛は「借りたい人がたずねて来たら、俺が差配人のふりをして追い返してやる」という。それも、もともと住んでいた美しい後家さんが泥棒に入られたのち殺され、幽霊になって出てくるという作り話を聞かせ借りたくなくさせるというものだ。早速訪ねてきた最初の男は、この杢兵衛の話にすっかりおびえ、あわてて帰ってしまう。この作り話を使い、次々に追い返すつもりだったが、次に来た男は威勢がよく全く怖がらない。おまけに作り話のついでに「店賃がいらない」と言ったものだから、その男はすぐに引っ越して来てしまった。困った杢兵衛たちは、本当に怖い思いをさせてしまおうと、お化け屋敷のような仕掛けをめぐらすのである。
杢兵衛の幽霊話を聞く二人の男のギャップが楽しい。最初の男は大いに怖がるのだが、次の男は怖い話をどんどん壊していくところにギャップがある。
【公演情報】
CD同時発売記念落語会 白酒×兼好~毒を盛って毒を制す!?~其の三!
公演日:2018年12月28日(金)
開演時間:19時
会場:博品館劇場
出演:桃月庵白酒 / 三遊亭兼好
料金:全席指定 3,600円
チケット:チケットぴあ 0570-02-9999 (Pコード:490-190)
ローソンチケット 0570-084-003 (Lコード:34267)
イープラス
問合せ:いがぐみ 03-6909-4101