【鑑賞レポート】2016年3月11日 「渋谷らくご 20時の回」(古今亭文菊/瀧川鯉八/柳家わさび/神田松之丞)


【鑑賞レポート】2016年3月11日 「渋谷らくご 20時の回」(古今亭文菊/瀧川鯉八/柳家わさび/神田松之丞)

最近なにかと話題の渋谷らくご
テレビやウェブでも取り上げられていますが、この日も取材クルーがロビーにいました。

そもそも渋谷らくごは、落語についてあまり知らない人、ほとんど聞いたことがない人など、初心者向けの落語会。落語の面白さを幅広い層へ知ってもらおうと、渋谷は円山町にある映画館・ユーロスペースで毎月第二金曜から5日間限定で興行しています。
その特徴は、全員の持ち時間が30分と統一されていること。寄席ではトリの師匠以外は全員15分なので、全員がトリネタを演じられる程の時間を与えられています。
もう一つ特徴は、出演者に二つ目が多いこと。勢いのある二つ目が多く出演していますが、彼らにも真打と同等の時間、同等の出番が与えられ、その魅力を存分に楽しむことができます。
また、顔付けも個性的です。米粒写経のサンキュー・タツオ氏がキュレーターとして顔付けに関わっているそうですが、なかなかない取り合わせをしているので、時には驚くような化学反応に遭遇することがあります。頭から見始めたら4時間ほどもある寄席だと顔付けが濃すぎるとさすがにつらいのですが、渋谷らくごの公演時間は全部で2時間、濃くてもどうにか耐えられます。

さてこの日の渋谷らくご。
金曜の夜ということで混むかとは思っていましたが、1時間前にチケットを買いに行って渡された整理番号が147番!さすがに驚きました。開場まであと1時間あるというのにロビーには人、人、人。待っている人の手元を見ると、当日券ではなくコンビニで発券した前売り券。チケットカウンターで翌月の券を購入する人の姿も多く見ました。どうやらこの落語会は「若者向けの寄席」というよりも、「定期的に開催する落語会」として定着しているようです。
そういえば最近、映画館も早めに行ってもいい席は埋まっているんですよね。どうやら皆さん事前にウェブで購入しているみたいです。私は映画も落語も、仕事帰りに、時間が空いた時に、気の向いたときにサクッと行くのが好きなのですが、なにやら時代に取り残されている感じがしてきます。

さて、話を戻してこの日の渋谷らくごの演目。

瀧川鯉八「なぞる」
柳家わさび「ぐつぐつ」
神田松之丞「村井長庵 -雨夜の裏田圃-」
古今亭文菊「明烏」

まさに現在の落語界の幅広さを体現したような顔付けです。

まずは開口一番瀧川鯉八さん。
渋谷らくごに愛された彼は、2015年の渋谷らくご大賞を受賞。彼目当てに渋谷らくごへ来られる方も多いそうです。
ネタは「なぞる」。有名書家の作品をひたすらなぞる男と、その姿を覗き見た少年。男はなぞる行為こそが芸術であると自負するが、少年にはその凄さが伝わらない。面白そうだからとなぞりたがる少年に渋々筆を貸すと、彼のなぞった書は欲も邪念もない“無垢”そのもの。男はその“無垢”に嫉妬をするが、それを悟られまいと躍起になるという滑稽噺…というかナンセンス!鯉八さんの落語にはいつだって意味なんてないのです。極上のナンセンス。これまでの落語とは全く違った鯉八さんの新作落語が渋谷らくごにおいて高い評価を得ていることを見ても、この落語会のお客さんがいい意味で囚われていないことがよくわかります。

続いて柳家わさびさん。
おでんの具たちのぼやきを落語にした、柳家小ゑん師匠の創作「ぐつぐつ」。わさびさんが「ぐつぐつ」を持っているとは知りませんでした!このネタは小ゑん師匠で何度も見ていますが、奇妙な噺すぎて他の人がやるだなんて想像もしていませんでした。
おでんのイカ巻を軸に、はんぺんに昆布、玉子に大根など、おでんの具材たちによる会話が繰り広げられます。ぐつぐつ煮られるおでんたちの想い、悩み、哀愁が描かれ、噺は「ぐつぐつ」という言葉とともに場面転換を繰り返します。
正直小ゑん師匠の「ぐつぐつ」の完成度が高すぎて(ご本人の作品なので当たり前ですが)、どうしてもそれと比べれば劣ってしまうのですが、それでもなかなかに面白かったです。ましてや小ゑん師匠の「ぐつぐつ」と見たことがないであろう客席は爆笑。これがこんなにウケるんだったら「鉄の男」とかも見てほしいな、そもそも小ゑん師匠を見てほしいな、と思いました。

鯉八さん同様渋谷らくごで、いや渋谷らくごのみならず現在演芸界で一番注目されている二つ目であろう神田松之丞さん。ここまでで温まった会場を一気に冷ますような、それもずぶ濡れにして芯まで凍てつかせるような一席、「村井長庵 -雨夜の裏田圃-」。
吉原へ売られた娘に会おうと兄・長庵のもとを訪れたお登勢。彼女を疎ましく思った長庵は、三次という悪党へ十両で彼女を殺すよう持ちかける。悪党といえども人殺しまではしたことのない三次は断るが、金に目がくらんで引き受ける。娘に会えると信じるお登勢を連れて吉原へ向かう三次。吉原の裏へ出たところでお登勢に手をかける。降りしきる雨の中急いで長庵のもとへ帰るが、十両の金など用意されておらず、すべては長庵の出まかせであったことを知る。極悪党・村井長庵の残忍さが顕わとなるこの噺をよりによってこの出番でしたのには訳があったらしいです。実は松之丞さん、この後に出てくる文菊師匠の反応を見たかったのだそうです。いつでも絵に描いたように落語家らしい文菊師匠。年齢はあまり変わらないけれどキャリアで言えば自分よりも先輩の文菊師匠が、この陰惨な話の後でどう出てくるのか、それを見たかったのだそうです。(という話をこの3日後の渋谷らくごで楽しそうに話していました。)

そういうことで仕掛けられた古今亭文菊師匠は、それを知っているのかいないのか、出囃子とともにいつもの通り軽い足取りで現れました。座布団へ座りお辞儀をし、顔をあげるなり愛情たっぷりに一言、「やりづらいですねぇ」。その瞬間に会場は安堵に満ち、さっきまで会場を覆っていた冷たく暗いヴェールがふんわりと取り払われたかのように一変しました。あの瞬間にほっとして思わず笑みがこぼれたのは私だけではなかったでしょう。
文菊師匠がただ単にいつもの通りだったのか、あえて“いつもの通り”だったのか、それはご本人にしかわかりません。けれどもやりづらいなんて言いつつも、しっかりと会場の気持ちを汲み取り一瞬で自分の世界へと変えてしまった文菊師匠。仕掛けた松之丞さんも、さすがにこの姿はうらやましくも嬉しかったんではないでしょうか。
ネタは雨夜の裏田圃から打って変わって、明るく落語らしい吉原の噺をということで「明烏」。二十歳になるというのに遊びを知らない若旦那。父親にうまくやりこめられ、町内で札付きの源兵衛と太助に連れらて吉原へやってくる。汚らわしいと嫌がり泣きわめく若旦那だったが、一晩を過ごした翌朝…。若旦那の純粋さがとてつもなく可笑しいのは、脇を固める登場人物が鮮やかに演じ分けられ活き活きしているからでしょう。さすがの一言です。

最初に申し上げたとおり、渋谷らくご自体は初心者向けと銘打っていますが、個人的には落語を見ている人にこそ行ってほしいです。今回だけでなく、二つ目が真打と対等の場で奮起する姿はなかなか見ごたえがありますし、それをひらりと交わす真打の姿もまた楽しいです。

(文:吾妻あきち)

渋谷らくごのオフィシャルサイトはこちら