鑑賞レポート
2015年3月25日
「“十八番集成~四季彩々・春~”柳家さん喬独演会」
会場:日本橋劇場
孫が春休みで家族で旅行に行っちゃったせいか、父親から連絡があり“なんかいいのやってないかぁ”
月末/年度末で忙しいのになぁと思いつつ、その中村伸郎的な“ファーッ”って調子と、まあ義父の通夜にも来てもらったしなと。
ただ普段観てるような“今風の”落語会だと80歳に近い人には、やや辛い。
音の速度についていけない。
となるとここからの会の選択が難しい。
それとナマジ昔の落語を知ってるので、耳が若いころに聴いていた落語が、よくも悪くも無意識に基準としてDNA的に刷り込まれてる。
要はそういう感覚と同期できる落語じゃないとなというところ。
もちろんそんなのことを感知せずに楽しんでって“三三”“白酒”“一之輔”あたりをボーンとでもいいのですが…
ということでさん喬師匠の会。
日本橋劇場で定期開催されていた“十八番集成”が終わり、新シリーズということ始まったのがこの会。
会場も同じ日本橋劇場で、ここは水天宮前駅から至近、さらに人形町にも近いので終わって下町情緒残す人形町で一杯飲んで帰るなんてのも。
お客さんもその辺は心得たもんで、落語会に来慣れた、そして聴き慣れた粋なシニア中心。
最近そこに少しづつ“なんでも落語を聴いてみよう”的な若い人も入ってきて、落ち着いてるが決して枯れない、こういう雰囲気が聴き応えのある噺を引き出す土壌を造る。
そんな醸成を続けてきた会なんでしょう。
季節ごと開催で、その季節の噺をやってくれる。
もちろん長講で。
演目は、
柳家さん坊「金明竹」
柳家さん喬「おせつ徳三郎」
仲入り
柳家さん喬「百年目」
この日は長講二席。
おいおい最初から「おせつ徳三郎」かよ!
マクラで小さん師匠の話し→一番下の弟弟子・柳家花緑(小さん師匠の孫)の子供の頃の話し(いじり)
“おぼっちゃん、いいとこの子ってのは…”から、以前日経ホールで聴いたときは、確か1時間20分。
そんときは土曜の午後、トリで聴いて、その後に行く予定の結婚式の二次会に遅刻したように思う。
遅刻の理由が「おせつ徳三郎」ってのも…洒落んなってない。
この日はところどころ端折ってジャスト60分
二席目はサラッと入って「百年目」
二つとも商家の噺、しかも舞台設定のキーは“向島の花見”
この噺は旦那がどんな懐の持ち主に見えるか、志の輔、円丈、録音で志ん朝のも聴くが噺の筋立て云々を関係なく可愛げから“優しさの凄味”を見せるのは、このさん喬さんかもしれない。
お堅くて、やや店のもんから疎まれ気味の番頭が、実は陰で芸者/太鼓持ちを上げて遊んでいた二面性。
隠していた旦那に偶然、その姿を向島の花見で見られてしまう。
翌日、番頭は旦那に呼ばれて…
ビクビクする番頭だが中々話は核心に向かない。番頭にお茶を勧めて
“それにしても昨日の向島は楽しかったねぇ”
人によっては“楽しそうだったねぇ”とも言うが、ちょっと違いで大分聴く者に与える安心感が違う。
まあプラグマティックな世の中だとこんなもん話にもならんが、この微細なコントロールで見える景色がガラッと変わってしまう。
花見に行かずとも、これが日本の、江戸の春なんだろう。
終わって、チョコチョコっと親父と飲んで。
ままご機嫌よく。
まあ何回こうして酒飲めるか…これからいつも“ここで会ったが百年目”だな。
TEXT:凡梅@STREET-WISE