【スペシャルインタビュー】立川こしら -後編-




立川こしら

1996年5月に立川志らくへ入門。前座名は「らく平」。

2002年5月に二つ目昇進を果たし、「こしら」と改名する。
立川志らく門下総領弟子として活躍する傍ら、インターネットコンテンツ制作や 映像製作などを手がける合同会社第プロを主催する。

2011年真打昇進し、談志師孫弟子初の真打となる。毎月開催の独演会『こしらの集い』では、落語界初となる電子マネー『Edy』の導入や 「月刊こしら」の無料配布(バックナンバーは有料)を行っている。


【スペシャルインタビュー】立川こしら -前編- はこちら
立川こしら師のインタビュー後篇。前篇の反応の多さに戸惑いつつも、やはりこの内容をしてこの反応ありと、腑に落ちることしきり。それぐらいこのインタビューは、こしら師が自分の核心を、あえて装飾もせずに、隠すこともなく、赤裸々に語ってくれているからだと思う。

後半は、二ツ目昇進から、真打、そして、今後の活動へと、より話は躍動していく。このグルーブ、そう簡単には出せるものではないことは、読者の方にもわかっていただけるのではないかと思う。
その原因があるとすれば、本文にもあるように、このインタビューには、いわゆる「原稿チェック」がない。一般的にインタビューとは、話を聴いた後に、まとめられた文章を話した側が確認し、修正などのひと手間が入ることがほとんどだ。ただ、この原稿は、師のチェックは一切入っていない。
言ってしまえば、私は私が書きたいように書いたテキストが、このインタビューだ。それにはリスクが伴う。それを何とも思わない師の姿勢と、「聴き手にそうとられたのなら、それを修正する必要はない。それが人とのコミュニケーションであり、実生活のやり取りとなんら変わらないはずだ」という、徹底したリアリストの姿勢には、アタマが下がる思いだ。

そして、途中に出てくる『広瀬和生プロデュース「ニッポンの話芸」』という会。これは、鈴々舎馬るこさん、三遊亭萬橘師に、こしら師の3人を、あの広瀬さんが「今、みておきたい噺家」としてくくって開催している会だ。この会の趣旨に共感した私は、このこしら師のインタビューを機に、お二方にもお話を伺い、この後連続して登場いただく。このインタビューの裏テーマは、「ニッポンの話芸」出演3人のインタビュー特集でもある。

なんにせよ、とにかく、後篇を読んで、生の師の高座に触れて、「今を生きる」師を感じて欲しいと、心から思う。

取材・文章:加藤孝朗


演劇方面からも評価されたりもしながら、映像なんかもつくっていて、賞も獲ったりして。落語だけですよ。何にももらえてないのは(笑)。

koshira

―― 無事二ツ目に昇進します。その経緯は?

僕は、別に二ツ目になる必要なんてなかったんですよ。自由にやってたから。だから師匠の独演会とか、師匠の映画を作るとかなった時はべったりとついていましたけど。どちらかというと、そういうイレギュラーな時に重宝されてましたね。自分の力も発揮できますし。そういう時は、例えば照明はこういう風にした方がいいとか、僕の方が知識があったりますし。今でも芝居のチラシとか発注受けたりしますから。役には立っているかなと。
で、二つ目というのも、弟弟子の志ら乃が二つ目になりたいと。で、二ツ目になるには「こういうイベントをやったらいんじゃないか」と始めたのが昇進するための投票システムなんです。志ら乃が師匠に相談して決めたのが、これなんです。それで投票システムというのを導入したら、僕が勝っちゃって、僕が二ツ目になっちゃったんです。

ーー そこも、流れですね。

流れですね。僕は何一つとして動いてないですから。その頃だったかな? 師匠もそろそろ芝居を始めるようになったころで。
役者のオーディンションがあって、受けたら受かっちゃって、鈴木忠志さんというすごく有名な演出家の芝居で、2年間静岡で修行して、その後2年間ロシアで公演するという壮大なプログラムで。それに僕が受かっちゃって、それをやるには静岡に住まなくちゃいけないんですよ。で、どうしようかなと思っているときに二ツ目になっちゃったんで、「じゃあ、こっちやろう」って、落語を選んだって感じですね。

ーー それまでは、落語とお芝居を並走させていたって感じなんですか?

いや、芝居はやってはいましたけど、その話はたまたま見かけたからやってみようって感じで。

ーー 結局それで受かっちゃったんで、そこで二ツ目にならなかったら、芝居に道に進んでいたかもしれませんよね。

そうですね。はい。

ーーここも、すごく流れに任せている感じがしますが、先ほど言われていた、「残り50%はどうなっていたんだろう」という好奇心はよく分かりますね。だって、危ういですよね。「いつ別の道に転んでしまうか」って感じがしますからね。

だから、すごい怒られましたもん。どこかの新聞の記者の方で、結構年齢が上の方にインタビューをしていただいたんですが、立川流で孫弟子が二つ目になったのは初だったので、取材してもらった時に「二ツ目としての意気込みを言え」と言われて、「頑張ろうとは思うんですけれども、もっと向いている仕事があったらそっちに行こうと思うんですかけど」って言ったら、もうフロア中に響き渡るような声で、「貴様、落語界をどうおもってるんだ!」と怒鳴られましたからね。なんでオレ、怒られなくちゃならないんだって(笑)。

ーー いわゆるメディアの演芸担当の方って、メディア側も伝統の世界になっちゃってるじゃないですか。

そうそうそう。

ーー 結構ご苦労されてきたんじゃないですか?

いや、だからほとんど取り上げてもらうことなんてなかったし。

ーー そこでも、ふるいにかけてたりしますよね、メディア側も。

そうそう。でも僕もそこで媚を売る必要はなかったし。だから接触しないようにしてたし。

ーー だからこしらさんって、東京かわら版よりもジャングル・ライフ(ロックを中心とした音楽のフリーペーパー)に載る方が違和感がないっていうイメージがあります。

かわら版もほとんど取り上げてくれなかったですからね。でも、二ツ目の時に朝のラジオのレギュラーを持ってたんですよ。帯で、2時間の生を。

ーー それ凄いですね。

落語界的には親の七光りもなくてそれやっているなんて、とてつもなくすごい事じゃないですか? でもどこも、取り上げてくれなかったですね(笑)。落語界では。

ーー ちなみに、局はどこですか?

ラジオ日本です。月〜金でやってましたから、帯で、2時間、生で。

ーー いわゆる局の顔と言ってもいいですよね。

オーディションで通ったんですよ。そのオーディションもね、もともと、二ツ目になってパソコンのことを始めて、パソコンの会社なんかも始めて、そっちに強かったというのもあるんですけれど。それとサブカル系の仲間も多くて、声優さんとかも居て、ある声優さんが「今度ラジオが始まるんだけど一緒にやらない」って誘われたのが、いわゆるインターネットラジオの創成期のような感じの時で、当時は生でネットでラジオやるって結構画期的なことで。

ーー はいはい。

その時に一緒にやっていた声優さんが今度は本当の電波のラジオのフリートークのコーナーに僕を紹介してくれまして、で、あまり気がなかったんですが、先方から連絡が来たんで行ったんですけれど、それに出たら僕、そこで優勝しちゃったんですよ。でもね、優勝するもの当然なんですよ。そのラジオの番組って、その当時としては相当変わっていて、インターネットで投票するというシステムだったんです。ラジオの層とネットの層って違うじゃないですか? でも僕は、既にネットのファン層を持っているんですよ、番組をやっていたから。だから、その層が皆投票したもんだから僕が優勝しちゃって。ちなみに、2代目の優勝者ってオードリーとかですから(笑)。オードリーに勝っているんですよ、僕。

ーー すごい話ですね、これも。

そこで優勝して、で、そのご褒美みたいな感じで、朝の帯番組だったんです。2年間やりました。

ーー 2年ってすごいですよね。朝の帯で。下世話で恐縮ですが、その時期は経済的にはかなり潤ってたんじゃないですか?

そうですね。それに仕事も滅茶苦茶ありましたからね。落語会は少なかったですが(笑)。ラジオの仕事がやたら入ってきましたよね。

ーー ある種、「これ、オレ、ちょっと来たぜ」って感じますよね。

ええ。でも、その時は、ほとんど落語やってなかったです(笑)。

ーー 流れで二ツ目になった。で、お芝居の大きな話も二ツ目になったことで流れた。で、ラジオのレギュラーがあって、それはそれで、その時の選択としては面白かったんじゃないですか?

ロシア公演の芝居の話は、もう何年もやっているけれど、断ったのは僕だけだったらしいんですよ(笑)。で、「あいつおもしろい」ってことになって、演出家の鈴木忠志さんから「ちょっと時間があったら遊びに来い」って呼ばれて行ったら、その時の印象があったらしく、その後で、日本と韓国と中国で合同で演劇祭をやるという企画を鈴木さんが主催をしてまして、そこにうちの劇団を日本代表で呼んでくれたんです。

ーー それは二ツ目になった後ですか?

はい。自分の劇団は、細々と続いていたんですよ。早稲田界隈の劇場を全て抑えて一か月くらいすべて芝居の期間にしちゃおうっていう企画だったんですけど、うちの師匠の芝居の公演が、たまたまその真裏にあったんです(笑)。で、その頃はまだ、師匠の劇団の手伝いとかもしていたんで、「師匠、すみません。僕の劇団が今度こういう演劇祭に出ることになりまして」って、で、「何日かだけ、抜けさせてもらえませんか?」とお願いして、一回謝ったことがありましたけど。師匠からしたら、師匠は手打ち興業かもしれないけど、うちは日本代表ですからね(笑)。

ーー 代表ですものね。

さすがに、どうしようかなって悩みましたけど、それは素直に話して。

ーー で、それは快く受けていただけたと?

ええ。

ーー もしかしたらそこにはジェラシーみたいなものがあったんじゃないでしょうか?

どうなんでしょうかね。師匠もそこまで詳しく資料とかを見た感じじゃなかったですし。僕もちらっとしか見せなかったですから。一応、考えましてね。策士です。

ーー すごいですね。

そうなんですよ(笑)。だから、演劇方面からも評価されたりもしながら、映像なんかもつくっていて、賞も獲ったりして。落語だけですよ。何にももらえてないのは(笑)。

真打トライアルは、師匠も出るし、師匠も投票するし、自分の落語も見せることもできるから、これは師匠のお客さんを一気にまとめて取るチャンスだなと思って。

koshira

ーー その後で、真打も二ツ目の時と同じくお客さんが選ぶ投票制の「真打トライアル」で選ばれたんですよね。

それも志ら乃がやろうって言ったんですよ。僕は、前座の頃から昇進する必要はない環境だったんですよ。ずっと、自由にできていて。

ーー 二ツ目になりはしたけれど、ラジオがあり、お芝居があり。

会社も作ったし。

ーー そうですよね。そういういろんなことで可能性を持っていたわけですから、落語に執着する必要はないと(笑)。で、師匠の近くにもいないし、だから極端にいうと真打を目指していたわけでもないんですよね、きっと。

ないです。二つ目のままでも何も困ってなかったですから、僕は。ただ、その志ら乃の言い出した真打トライアルが始まったんです。あれ? あれは師匠が言い出したのもしれないですね。まあ、どちらかですよ。僕でないことは確かです。その時僕は、一門の中枢にいなかったので、わかってないだけなんですけど(一同爆笑)。

ーー 志ら乃さんは師匠に近い?

近いですよ。師匠にべったりです。だから師匠も細かく指導しているのを僕も、見てますしね。

ーー じゃあ、どういう流れなのかはわからないですけれど(笑)、新真打トライアルがあって。で、僕は、こしらさんは、「真打になりたいんだ」と声高に宣言しているというイメージがあったんですが。

それは、舞台上は言いますよ。そりゃ、お客さんは真打を決めるために来てるんですから。そこで、「いや、僕は真打になりたい訳ではないですから」というのもおかしいじゃないですか? そりゃ、舞台上では、「なりたい!」って言いますよ。それは出る側として、当然として言いますよ。
ただ心の底では、このトライアルには個人的には別のテーマがあって。師匠の周りにいないので、師匠も僕のことをあまり使ってくれないんです。だから、「志らくのぴん」なんかも、前座の頃に出たきりですから。二つ目の時には一回も出ていないんです。師匠のファンの人は、一番弟子は志ら乃だと思っているんですよ。だから僕の名前を知らないんです、師匠のファンは。会に出ないから。
で、真打トライアルは、師匠も出るし、師匠も投票するし、自分の落語も見せることもできるから、これは師匠のお客さんを一気にまとめて取るチャンスだなと思って。今まで、師匠の会に出ていないので、オレはこれで、「師匠のファンを独占出来ちゃうんじゃないかな?」って思ったんです。だから、とにかく、面白くなるようにやろうと。
真打トライアルと言えば、「これぐらいの芸が出来ますよとか、これぐらい大きなネタもできますよ」とか、そういう見せ方も必要になってくると思うんですけど、僕は、とにかく面白いと、なんなら落語やらなくても、フリートークだけでも、「こいつ面白いぞ」という反応が出るようにやるというのがテーマだったんです。

ーー 真打トライアルは、師匠のお客さんにもそうですし、師匠にも自分の芸を見せることもいっぺんにできますもんね。今まではある種おざなりになっていた、いろんなことが一曲解決するということですもんね。

だから、真打というそんなに意識はしてなかったんです。正直これは始まる前から「出来レースだな」と。志ら乃が昇進するための企画だろうから、まあ、順当に行って志ら乃が勝つだろうし、って僕は思ってました。だから勝ち負けではなく、なんか変な奴がいて、「志らくの一番弟子はあいつらしいぜ」って、そう思わせられれば僕は勝ちだなと思っていました。師匠に今の自分の芸を見せる、という意識すらなかったです。100%お客さんに向いていしたね。

ーー それは自分の会でやるよりも、一気に広がる可能性はありますもんね。

そうなんです。そういう絶好の機会が来たと。

ーー 結局、こうやってお話を伺っていると、そういう一つ一つの機会を確実にものにしているということですよね。

そうですね。でも、例えば「真打トライアルは真打を決める場所ですよ」ということであっても、僕は、いつも別の意味合いを見出していて、それがたまたまうまくいったって感じが強いかもしれないです。

ーー それが、すべてに通じるテーマでもある気がしますね。比較論になっちゃうんですが、他の人だったら「これが一元的な目標になる」というものがあったとしてもそれに執着することなく、もっと別の見方や、意味合いを見出すとう感覚を持っていたからこそ、原理主義の考え方よりも別の突破口とか、力が働いていたという、そんな印象を強く受けます。

なるほど(笑)。突飛なことをしようということはないんですけどね。

ーー ただ、それは、別の目的があるからこそ、本質をも突破できる力を発揮することが出来たという感じがします。「真打になるんだ!」という気持ちではなかったからこそ、突破できた何かがある気がするんですよね。「真打になれなかったらどうしよう」と考えはじめたりすると、変に小さくまとまっちゃったりとかもするじゃないですか?

ああ、そうですね。でも、ほら、僕の場合は、これがダメでも他にいくらでもやれることがありますから(笑)。

ーー そうそう。そこですよね。一点に重きを置いてないからこそ、自分を素直に開放できることもありませんか?

そうかもしれないですね。そんなに執着してないんですよね、それがいいのか悪いのかは別にして。

ーー 真打になられました。よかったですよね(笑)。

良かったですよ(一同爆笑)。

そうそう、僕は、マイケル・ジャクソンなみの知名度が欲しいと思ってるんです

koshira

ーー 広瀬和生さん(ヘビーメタル専門誌「BURRN!」の編集長で、落語関連の著作も多数)に取り上げられてから、にわかに注目を浴びている気がするのですが、今の状況を前にして、どう思いますか?

期待されることに対してプレッシャーは感じてはいないですよ。入門して以来今までずっと、落語界には存在していなかったんですよね。僕は(笑)。

ーー ああ、そうですよね。意識としては。

で、僕のことを知っている人もいないまま、別にそこの知名度もいらないなと思っていたままやってきたのが、たまたま、真打になる手前ぐらい前に、広瀬さんに見つけてもらって、そこをきっかけに、落語ファンの方に僕を知ってもらうきっかけが出来たってことですね。

ーー じゃあ広瀬さんは大きいですね。

大きいですよ。広瀬さんがいるといないとでは大きく違います。今の僕は。でも、僕は広瀬さんのことを知らなかったんですよ。その頃、僕の独演会なんかは十数人くらいのお客さんしかいなくて。そうしたら、僕の弟弟子とかが、「なんで広瀬さんが来てるんですか?」とか言って。いつもぼさぼさのアタマをしていたから、「焼きそばの失敗したみたいな人がいるよ」とか言っていじってたんですよ。

ーー いじってたんですか?

そうなんです。でも、広瀬さんに見つけてもらったっていうのは事実なんですが、僕が思うに、落語のファンの方からすると、僕みたいなのって新鮮に映ったんだと思うんですよね。で、こうなる過程も見てないじゃないですか、皆さん。だから、真打になる直前くらいから急に僕のことを知って、新鮮だから注目を浴びているっていうことじゃないかと。

ーー 真打ち昇進は純粋に嬉しい?

それはそうですよ。

ーー ここで意地悪な質問になっちゃうんですが、今までは落語はアウトプットの一つとして執着してこなかったじゃないですか? でも、今、注目を集めています。ここで、仮に次に来るといわれている若手の中から頭一つ抜け出られなくても、別にいいや、っていう感じなんですかね?

そういう風には考えたことはないですね。いや、落語界とか、注目されている若手とかっていうことではなく。そうそう、僕は、マイケル・ジャクソンなみの知名度が欲しいと思ってるんです(一同爆笑)。

ーー ああ、もう、落語家とか、そんなレベルではないと。

そう。そんなのどうでもいいんです。目指しているのはそのレベルじゃないんです。落語家云々じゃないんですよ、マジで。

ーー 次の若手代表ではなくて。

他の人と比べられるのはいいんです。僕がまだまだだとは思いますが。ただ、そういう規模ではないんです。マイケルです。落語というものは、人にものを見せるにはすごく便利なもので、よくできたフォーマットなんです。だから、破門になったとしても落語はやるだろうなと。すごく優秀な仕組みですよね、落語って。

ーー それを感じたのは、いつごろですか。というのも、今日話を伺っている中で、落語は伝統芸能であるという意識がゼロだったじゃないですか?

確かにそうですね。意識をしたのは二ツ目になった時ぐらいかな。いろいろやったからこそ気づけたのかもしれないですね。

ーー 伝統芸能であるという意識とか、フィルターを通して、という話に一切ならないので、それはとても面白いなと。でも真打になられて、落語の仕組みにも目覚めて、伝統芸能を継承していく責任感とか、そういう意識は持たれてますか?

ないですね。全くないです(笑)。それは。僕は伝統芸能とはとらえてはいないんです。その仕組みが凄いってだけで。伝えて行こうという意識はないです。

ーー なるほど、そうでないと、エイベックスから出されている、一席3分で内容がわかる高速落語という発想にはいきつかないですもんね。

そうですね。あれは、「CD出しませんか」とお話をいただいたんですが、普通にやってもしょうがないので僕から提案したんです。

ーー 商標とかとっておいた方がいいんじゃないですか?

いらないですよ。やりたいことやアイディアは山ほどありますからね。いくらでも湧き出てくるし。落語とはほとんど関係ないんですけれどね。落語は、あくまでもアウトプットの一つですから。

ーー 徹底してますね。

まず、ベースは僕個人で、落語はそのアウトプットの一つですから。で、マイケルを目指してるんです(笑)。

ーー 本日は、ありがとうございました。それでは、膨大な量になるとは思いますが、原稿がまとまり次第、確認の為にお送りします。

あ、いや、それは、必要ないです。お任せしますよ。こうやって2人でじっくり会話して、その内容を書いてもらうんだから。もし、僕の意図とは違うことが書かれていたとしても、それはそう伝わってしまっただけであり、それはそれがこの会話の事実なんですから。そこを直しても、意味ないでしょ。

ーー ぶっちゃけて言いますと、「原稿チェック」がない方が、面白いものになる自信があります。

そうですよね。そりゃ。聴きたいことがあって、それを聴いているわけですから。その受けとった意味を、話した方が確認して修正するなんて、意味ないし、面白くないですよ。そこに誤解があって初めて人間関係だし。それが、コミュニケーションでしょ。そういう世界に生きているわけだし。

ーー はい。

実社会がそうなのに、インタビューだけ言った意図を正確にするために修正するなんて不自然でしょ。誤解があったら、あったでそこまでですよ。

ーー 実は、音楽誌でもほんのいくつかだけ、原稿チェックが出来ない雑誌があるんです。

えっ。じゃあ、逆を言うと、ほとんどがチェックされたものなんですか?それは、面白くないわけだ。他のジャンルもそうなんですか。

ーー ふつうはそうですよ。今までそういう経験ないですか?

だって、取材なんて誰もしれくれませんでしたからね。ずっと(笑)。いいいですよ。加藤さんには話したいことは話したので、あとは、受け取った通りに書いてください。だって、普通の生活は、そうでしょ。いちいち意図を説明して回ってたら、それこそ、人生面白くない。誤解されなくちゃ。

ーー 同感です。

それに、それの方が、仕事も少なくなるし。お互いの為ですよ(一同爆笑)。


公演情報

『立川こしらトークライブ〜フリートークと落語の夕べ〜「こしらの集い」』

【日 程】7月5日(金)
     8月2日(金)
     9月5日(木)
     10月3日(木)
     11月1日(金)
     12月5日(木)
【会 場】お江戸日本橋亭
【時 間】開演19:00
【料 金】現金2,000円 / Edy1,000円 金券2,500円分
【予 約】info@daipuro.com

『広瀬和生プロデュース「ニッポンの話芸」』

【日 程】8月18日(日)
     9月 6日(金)
     10月25日(金)
【会 場】成城ホール
【時 間】開演19:00
【料 金】前売 2,500円 / 当日 2,800円 (全席指定)
【詳 細】成城ホール http://seijohall.jp/event.html#0208hakusyu