なぜ円楽一門会は生まれたのか?――『師匠、御乱心!』に描かれた落語界分裂の真相
「この話は円丈師匠から聞いたんですが……あ、今のね」
先日、とある落語会で、ある噺家がマクラの途中にそんなひと言を付け加えた。
なるほど、そういう時代になったのか。
円丈と聞けば、私の頭に浮かぶのは、やはり先代の三遊亭円丈。奇想天外な新作落語を次々と生み出し、古典落語が中心だった世界に新しい風を吹き込んだ、あの円丈師匠である。
もちろん、落語の世界では名前が受け継がれていく。二代目が誕生することは喜ばしいことであり、名跡が次の世代へ渡っていくのも、この世界の魅力の一つだ。
そのときふと思い出した一冊の本がある。
三遊亭円丈著『師匠、御乱心!』。
落語ファンなら一度は耳にしたことがあるかもしれない。昭和の落語界を揺るがした大事件、いわゆる「落語協会分裂騒動」の内幕を、当事者である円丈が赤裸々に書き綴った問題作だ。
落語界の歴史を知るための資料としても興味深いが、何よりこの本、とにかく人間臭い。
師匠への思い、兄弟弟子への不信感、組織の思惑、そして噺家たちの意地とプライド。普段、高座の上では見せない顔が、これでもかというほど登場する。
美しい師弟愛の物語を期待して読み始めると、少々面食らうかもしれない。
だが、それが実に面白いのである。
東京の落語界は、なぜ四つに分かれているのか?
現在、東京の落語界には大きく四つの団体がある。
落語協会、落語芸術協会、落語立川流、そして円楽一門会。
落語をある程度聴いている人なら、これらの名前には馴染みがあるだろう。
ただ、落語を聴き始めたばかりの人にとっては、少々不思議な仕組みかもしれない。同じ落語を演じる噺家なのに、どうして所属する団体が違うのか。そもそも、なぜ四つもあるのか。
落語協会と落語芸術協会の違いは、寄席に通っているうちに何となく理解できるようになる。では、立川流と円楽一門会はどうだろう。
立川流については、比較的その成り立ちが知られているように思う。
何しろ、中心にいたのが立川談志である。
落語界の常識に真正面から異を唱え、1983年に落語協会を脱退して独自の一門を立ち上げた。その経緯も、談志という人物の強烈な個性と結びついて語られることが多い。
いかにも談志らしい。
そんな印象を持っている落語ファンも少なくないだろう。
一方、円楽一門会についてはどうだろうか。
現在では『笑点』などを通じて全国的な知名度を持つ噺家も多く、落語にそれほど詳しくない人でも「円楽」という名前は知っている。
しかし、そもそもなぜ円楽一門会という団体が存在するのか。どうして落語協会から離れることになったのか。
そこまで説明できる人となると、意外に少ないのではないだろうか。
実は、この円楽一門会の成立につながる歴史をたどっていくと、1978年に起きた落語協会分裂騒動に行き着く。
そして、その騒動の中心人物こそ、昭和の名人と呼ばれた六代目三遊亭圓生だった。
本書は、そんな大事件を、圓生の弟子であった円丈の目線から描いた一冊なのである。
古典の名人に弟子入りした、新作落語の天才
ここで、著者である三遊亭円丈について少し触れておきたい。
円丈は、戦後の新作落語を語るうえで欠かすことのできない存在だ。
代表作の一つ『グリコ少年』をはじめ、従来の落語の枠にとらわれない独創的な作品を数多く生み出した。
今でこそ新作落語は落語界の重要なジャンルとして定着しているが、かつては古典落語こそが本流という意識が強く、新作に対する評価は決して高いものではなかった。
そんな時代に、まったく新しい発想で落語を作り続けたのが円丈である。
しかも、その師匠が六代目三遊亭圓生だったというのだから面白い。
圓生といえば、古典落語の名人中の名人。膨大な演目を持ち、緻密な人物描写と卓越した話芸で知られた、昭和落語界を代表する存在である。
そんな古典の名手ともいうべき師匠のもとから、新作落語の革命児が生まれた。
これだけでも、なかなか興味深い師弟関係ではないか。
円丈は、師匠である圓生の芸を尊敬しながらも、結果的にはまったく異なる方向へと進んでいった。
古典落語の完成度を追求する師匠と、落語の可能性を広げようとする弟子。
その対照的な二人が、やがて落語界を揺るがす大騒動の当事者となる。
そして、ここが本書の面白いところなのだが、円丈は師匠をただひたすら称賛するわけではない。
尊敬しているからこそ腹が立つ。恩義を感じているからこそ納得できない。
そんな複雑な感情が、文章の端々から伝わってくる。
名人・圓生が抜いた「伝家の宝刀」
事件が起きたのは1978年、昭和53年のこと。
当時、落語協会の会長を務めていたのは五代目柳家小さんだった。
協会では真打昇進のあり方をめぐって意見の対立があり、圓生は小さんの方針に強く反発していた。
落語界における真打とは、単なる昇進ではない。一人前の噺家として認められ、弟子を取ることもできる重要な地位である。
その真打をどのような基準で認めるのか。
これは芸の質をどう守るのかという問題でもあり、噺家たちにとっては極めて重大なテーマだった。
そして圓生は、ついに落語協会を脱退し、新たな団体を設立するという決断を下す。
ここだけを聞けば、芸に厳しい名人が信念を貫いた、という美談にも聞こえる。
しかし、実際の騒動はそれほど単純ではなかった。
そもそも、師匠が協会を脱退するとなれば、弟子たちの立場はどうなるのか。
寄席には出られるのか。仕事はどうなるのか。これからどこで落語を演じていけばよいのか。
師匠にとっては芸の理念をめぐる戦いでも、弟子にとっては明日からの生活に直結する問題である。
本書で描かれるのは、まさにその部分だ。
師匠の決断に翻弄される弟子たち。十分な説明を受けられないまま事態が進み、周囲ではさまざまな思惑が交錯する。
しかも、圓生一門の内部が一枚岩だったわけでもない。
圓生の一番弟子である五代目三遊亭円楽の存在が、話をさらに複雑にしていく。(円丈は七番弟子)
新団体の設立に向けた動きは、落語界全体を巻き込む騒動へと発展していった。
当初は同調する動きを見せた大物噺家たちも、最終的にはそれぞれ異なる道を選ぶことになる。
結局、圓生を中心とした三遊協会が発足するものの、圓生は翌1979年に亡くなってしまう。
そして残された一門は、さらに難しい選択を迫られることになった。
後に五代目円楽を中心として続いていく一門と、落語協会へ戻る弟子たち。
この歴史の延長線上に、現在の円楽一門会がある。
今では当たり前のように存在している団体にも、こうした複雑な事情があったのである。
高座では語れない、落語界のあんな話やこんな話
さて、ここまで読むと、落語界の歴史を丁寧に解説した本のように思えるかもしれない。
もちろん、その側面もある。
しかし、『師匠、御乱心!』の本当の面白さは、歴史的な事件を説明していることだけではない。
むしろ、円丈が遠慮なく書いてしまった人間関係の生々しさにある。
登場人物は、落語ファンなら誰もが知っているような大物ばかり。
しかも、実名である。
師匠への不満、兄弟弟子との確執、表向きには見えない駆け引き。
そこまで書いてしまって大丈夫なのか、と読み手が心配になるような内容が次々と登場する。
いわゆる暴露本に近い性格を持った作品、と言ってもよいだろう。
実際、本書が刊行された当時には、関係者の間で大きな反響を呼び、怒りを買うこともあったという。
それも当然かもしれない。
何しろ、書いているのは部外者のジャーナリストではない。騒動の真っただ中にいた、圓生の弟子本人なのである。
しかも円丈は、決して冷静な第三者の立場から事件を眺めているわけではない。
腹を立て、悩み、困惑し、ときには人間関係に嫌気が差す。
そんな当事者の感情が、そのまま文章の勢いになっている。
だからこそ面白い。
ただし、ここは少し注意しておきたい。
本書に書かれていることが、そのまま事件のすべてであるとは限らない。
人間関係のもつれには、それぞれの立場から見た事情がある。円丈の視点からはこう見えていたとしても、別の人物には別の言い分があっただろう。
それを踏まえて読む必要はある。
しかし、その偏りさえも含めて、私はこの本の魅力だと思う。
そもそも、人間の記憶や感情が入り込まない歴史など、そうそうあるものではない。
ましてや落語家の世界である。
表向きには礼儀や格式を重んじながら、その裏側では嫉妬もあれば意地もある。師匠への忠誠心と、自分自身の人生を守りたい気持ちが衝突することだってある。
そんな人間のどうしようもない部分を、落語家である円丈が文章にしている。
考えてみれば、これほど落語的な話もないのではないだろうか。
笑えない騒動を、落語家が書く面白さ
本書が単なる告発や暴露に終わらないのは、著者が円丈だからだと思う。
円丈は、落語という表現の可能性を追い求めてきた人である。
常識をひっくり返し、当たり前だと思っていたことを別の角度から眺めてみせる。
その感覚は、文章にも通じている。
落語協会分裂騒動は、当事者にとって決して笑い事ではなかったはずだ。
仕事を失うかもしれない。師匠との関係が壊れるかもしれない。兄弟弟子同士が疑い合う。
考えれば考えるほど、深刻な話である。
ところが、そこに登場する人間たちの言動は、時として滑稽ですらある。
大の大人が意地を張り、見栄を張り、互いの腹を探り合う。
本人たちは必死なのに、少し離れたところから眺めると、何ともおかしな光景に見えてくる。
落語とは、もともとそういう芸能なのかもしれない。
登場人物たちは皆、自分なりに真剣に生きている。ところが、その真剣さが行き過ぎることで、思いもよらない笑いが生まれる。
本書に登場する名人たちも、そんな落語の登場人物と重なって見える瞬間がある。
もちろん、実在の人物を一方的に笑いものにしてよいという話ではない。
ただ、芸の上では神様のように扱われる名人たちも、一人の人間だったということだ。
そして、そのことを誰よりもよく知っていたのが、すぐそばで振り回されていた弟子たちだったのだろう。
今の落語界を知っているからこそ、読んでほしい
落語界の分裂騒動から、すでに半世紀近い年月が流れようとしている。
圓生も、五代目円楽も、談志も、そして円丈も、今はもういない。
当時を知る噺家も少なくなり、騒動そのものが歴史の一部になりつつある。
それでも、その影響は今の落語界に確かに残っている。
現在の四派体制も、決して最初からそうだったわけではない。
そこには、それぞれの時代を生きた噺家たちの決断があり、衝突があり、ときには取り返しのつかない別れがあった。
そして、その歴史を知ることで、今の落語界の見え方も少し変わってくる。
円楽一門会の噺家が高座に上がる姿を見るとき。
落語協会と立川流の噺家が共演するとき。
あるいは、かつて別々の道を選んだ一門の系譜が、現在の落語会で交わるとき。
その背景にある物語を知っていると、同じ高座でも、また違った面白さを感じられるのではないだろうか。
もちろん、落語を楽しむために、こうした歴史を覚える必要はない。
誰がどこの団体に所属していようと、面白い落語は面白い。それで十分だと思う。
ただ、落語が好きになればなるほど、その芸を演じている人間にも興味が湧いてくる。
どんな師匠に教わり、どんな時代を生き、どんな人間関係の中で芸を磨いてきたのか。
そんなことを知りたくなったとき、『師匠、御乱心!』は格好の一冊になるはずだ。
それにしても、円丈という人は、つくづく面白い。
新作落語で落語界の常識を揺さぶっただけでなく、文章でも落語界の舞台裏をさらけ出してしまったのだから。
「円丈師匠から聞いたんですが……あ、今のね」
あのマクラを思い出しながら、改めて思う。
名前は次の世代へと受け継がれていく。
けれども、その名前を背負って生きた一人ひとりの噺家の物語は、決して同じものではない。
先代 円丈が残した落語も、文章も、今なお十分に刺激的だ。
そして『師匠、御乱心!』は、単に昔の騒動を振り返るための本ではない。
今の落語界が、なぜこういう姿になったのか。
その理由を知ると同時に、名人と呼ばれた人々の人間臭さを存分に味わえる、実に贅沢な一冊なのである。
文章:NAGANO
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