あの揺れる声の向こうに 〜『八代目林家正蔵 昭和日記』からたどる師匠の素顔〜
「隣の空き地に囲いができたね」
「へえ」
笑点で1度は聞いたことのある小噺ではないだろうか?文字にすれば、たったこれだけ。ところが林家木久扇の『彦六伝』では、この短いやり取りが、師匠と弟子の愉快な稽古風景になる。
師匠の手本をそっくりにやろうとする弟子は、噺だけでなく、師匠の揺れる声や体の動きまでまねてしまう。教わるべきところと、似せなくてもよいところが、すっかり入れ替わってしまうのだ。師匠は弟子の話し方を直そうとするのだが、客席からすれば、その手本の方こそ笑いのもとになっている。
声を教わっているのか、声をまねているのか。たった一つの小噺から、二人の距離と、弟子が見つめていた師匠の姿が浮かび上がる。木久扇の語りを知る人なら、ここまでで、あの声が頭の中に聞こえてくるかもしれない。
木久扇が独特の揺れる声をまねる「彦六師匠」。本人の高座を知らなくても、この声なら耳に覚えがある、という人は多いだろう。ところが、そんな身近な師匠と、『八代目林家正蔵 昭和日記』の著者が、すぐには結びつかないかもしれない。
彦六と正蔵は同じ人である。さらにこの人は、かつて三代目三遊亭円楽も名乗っていた。彦六、正蔵、円楽。別々の噺家が三人並んでいるようだが、一本の人生につながっている。まずここを押さえるだけで、この日記への距離は、少し縮まる。
「円楽だった正蔵」と言われても、頭の中で名前が渋滞する。落語家の名前は、なかなかややこしい。しかし名前をたどっていくと、誰に学び、どこで芸を続け、誰に何を託したかが見えてくる。名前の変遷は、芸人の履歴であると同時に、人と人との関係の記録でもあるのだ。
1895年、明治28年生まれ。さまざまな仕事を経て、1912年に落語の世界へ入り、福よし、二三蔵、三代目三遊亭円楽、五代目蝶花楼馬楽などの名を経て、1950年に八代目林家正蔵となった。明治に生まれ、大正に芸を磨き、昭和を生きた。
後年は芝居噺や怪談噺の名手として知られ、『淀五郎』や『牡丹燈籠』などで高い評価を得た。もっとも、古い芸を守った人、という説明だけでも足りない。新作にも取り組んでいたからだ。昔からあるものを大切にすることと、新しいことを試すことは、この人の中では矛盾しなかったのだろう。名人という肩書きの手前に、仕事を続ける一人の噺家がいる。
晩年、一代限りで預かっていた正蔵の名を海老名家に返し、1981年に彦六へ改名し、翌1982年に亡くなった。つまり、木久扇の語りで耳にする「彦六」は、その長い芸歴の最後の名前なのである。私たちは弟子の口を通じて、人生の終わりの側から、この師匠と知り合っているわけだ。
その師匠が、自分の側から日々を記したのが、本書の出発点となった『八代目林家正蔵 昭和日記』である。1958年から1961年まで、4年分の記録が収められている本書は自筆の日記を活字に起こし、林家木久扇が監修し、和田尚久が校訂を担当した。後年の思い出話として組み立てた自伝とは、書かれた時間の位置が違う。
この4年間は、正蔵が60代だったころに当たる。すでに長い芸歴があり、一方では1958年に独演会「林家正蔵会」を始めている。若い日の修業日記でも、すべてを終えて振り返る回想録でもない。経験を積んだ噺家が、なお仕事を広げながら生きていた時期の記録だ。
名人を紹介するとき、私たちはつい、後世に残った名演や受賞歴を並べたくなる。それはもちろん大切だ。ただ、賞を取った日だけを集めても、その人が生きた時間にはならない。何も特別なことが起きなかった日にも、仕事と生活は続いていた。日記が保存するのは、名人になるために都合よく選び抜かれた場面ばかりではない。その点に、人物紹介とは違う魅力がある。
ここで、木久扇との縁が本の中につながる。1961年3月、最初の師匠である三代目桂三木助を亡くした若い噺家が、正蔵門下へ移った。のちの木久扇、当時の林家木久蔵である。本書には、その入門の記録も収められている。
いまの私たちは、その若者が長く『笑点』に出演し、お茶の間で親しまれる噺家になることを知っている。けれど、日記が書かれた時点では、それはまだ先の出来事だ。後世の有名人が、まだ後世の有名人ではなかったころ。その時間差を意識すると、入門という一つの出来事にも、違った重みが生まれる。
師匠が弟子について残した記録を、その弟子が後年まで保管し、本にする。木久扇は今回の刊行を「最後の親孝行」と語っている。師匠が書いたものを、弟子が未来の読者へ渡す。この往復そのものが、一つの師弟の物語になっている。
『彦六伝』では、弟子の声を借りて師匠が現れる。一方、日記では、師匠自身の言葉に近づくことができる。どちらか一方だけでは見えない姿が、その間にあるはずだ。物まねで覚えた声を入口にして、書き残された文章へ向かう。落語家を知る方法として、なんともぜいたくな順番ではないか。
もっとも、『彦六伝』は落語であり、日記は日記である。笑いのために形を整えた語りと、その日の自分が書き残す記録を、同じものとして扱うことはできない。その違いを意識すれば、二つはむしろ面白く響き合う。弟子が語る師匠には弟子との関係が表れ、本人の記録には本人が気に掛けた事柄が残る。人の輪郭は、一方向から眺めるだけでは決まらない。
そして正蔵の縁は、木久扇だけで終わらない。『笑点』でおなじみの三遊亭好楽も、もとは正蔵の弟子だった。日記の収録期間より後の話になるが、ここを知ると、昭和の名人とテレビの笑いとの距離も変わってくる。古い寄席の世界と、お茶の間の人気者たちの間には、師弟という具体的な道が通っている。
さらに、その道はもう一代先へ延びている。好楽の息子で、2025年に七代目三遊亭円楽を襲名した三遊亭王楽。その本名「一夫」を名付けたのも、八代目正蔵だった。三代目三遊亭円楽を名乗った人が、のちの七代目円楽の本名を付けていたのである。
七代目自身は、本名を三代目円楽から、王楽という芸名を師匠の五代目円楽から、そして円楽の名跡を兄弟子の六代目円楽から受け取った縁を、ブログにつづっている。冒頭ではややこしかった名前が、ここまで来ると、人のつながりを見せてくれる。名跡は代数で数えられるが、その間をつないでいるのは、それぞれの人生だ。
だから本書を紹介するときにも、「昭和の名人が残した貴重な資料です」だけでは、少し惜しい気がする。その説明は正しい。しかし、木久扇の声からたどり着く人にとっては、もっと身近な入口がある。よく知っている笑いの、その向こうにいた人。その人が働き、暮らし、人と関わった四年間へ、ページを通して近づけるのだ。
日々の細かな出来事や、そこで正蔵が何を記したかは、ぜひ本書で確かめていただきたい。日記の面白さは、紹介文で選ばれた「いい話」だけでは収まらない。次の日、そのまた次の日へとページを進めることで、一人の人間の時間に付き合えることにある。名人の言葉をありがたく抜き書きするだけでは、その時間を取り逃がしてしまう。
『彦六伝』は、弟子が師匠を忘れさせまいとして語り続ける芸である。この日記は、その師匠が自分の一日を書き留めた記録である。人を笑わせるための言葉と、その日を残すための言葉。二つの入口を行き来できるところに、この一冊を手に取る楽しみがある。
あの揺れる声を思い浮かべながら、ページを開く。木久扇の語りでは、つい弟子の側に立って笑ってしまう。今度は少しだけ、師匠の側へ回ってみる。あの小噺を教えていた師匠は、どんな毎日を送っていたのか。そんな好奇心から読み始めてもいい。昭和の名人に会いに行くのに、初めから背筋を伸ばしすぎることはないのである。
文章:NAGANO
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