【スペシャルインタビュー】桂文珍「落語好き以外の、何ものでもない」


桂文珍(かつらぶんちん)インタビュー

芸歴50周年を迎えた桂文珍が、2月28日(金)から東京の国立劇場大劇場で20日間の独演会を開催する。
1,610席×20日公演というチャレンジは、落語界では前代未聞と言っていいだろう。

まずはその規模に驚くが、この公演に参加するゲストの豪華さにも驚嘆せざるを得ない。

そのゲスト20人の名前を列挙しよう。笑福亭鶴瓶、桂南光、林家木久扇、柳家喬太郎、桂文枝、林家正蔵、柳家花緑、立川志の輔、春風亭小朝、三遊亭小遊三、柳亭市馬、立川談春、柳家三三、春風亭昇太、林家たい平、桃月庵白酒、柳家権太楼、神田伯山、春風亭一之輔、三遊亭円楽という面々だ。東西の枠を超え、それぞれの所属団体や流派を超えて、現在の人気者、今聴くべき噺家の面々が勢ぞろいしていると言っていいだろう。

そして、開口一番にも、桂楽珍、桂米輝、春風亭昇々、林家けい木、桂三語、立川志の春、桂文五郎、桂華紋、三遊亭一太郎、雷門音助、桂竹紋、春風亭正太郎、三遊亭わん丈、柳亭市弥、柳家寿伴、入船亭小辰、春風亭ぴっかり☆、林家たま平、瀧川鯉八、桂宮治とかなりこだわりの若手を集めている。

芸歴50周年を迎えてさらなる高みを目指そうとする桂文珍にその意気込みを聞いた。

取材・文章:加藤孝朗(ハナシ・ドット・ジェーピー)
デザイン:林香余


もともとは宇宙飛行士になりたかったんですよ。ガガーリン大佐というのがいて、宇宙を回ったと、すごいことやなと思って。

――本日は、よろしくお願いします。

色々な人の協力を得て大入りにしないといけないですからね。とりあえず32,000人キャパですから、チケット買うてください。もう、取材はいいですから(笑)。

――(笑)芸歴が今年で50周年。

そうですね、1969年に入門しましたので、ちょうど満50年となります。

――12月にお誕生日を迎えました。

そうなんですよね。雅子さまと一日違いなんですよ。嬉しいんですよ。ありがたいことです(笑)。

――50年の芸歴で、年齢も71歳になられて、大御所中の大御所でいらっしゃいます。

いやいや、上がまだ死にませんから(笑)。

――ただ、毎回驚くのが、そのキャリアとお歳になりながらもすごく精力的に活動されているイメージがあります。特に今回の20日間という非常に攻めの姿勢だと思います。このモチベーションというのはどこから来るものなのでしょうか?

やっぱり落語が好きなんでしょうね。好き以外の何物でもない。人の噺でもものすごく聴きますもんね。落語会で皆さんとご一緒する時がありますでしょ、その時でも最初から最後まで聴いているんですよ。好きなんですよ。寝る時も、先輩のいろんな音源を聴いたり、移動中も聴いたり、ずっと聴いているんですよ。

――寝る時までですか?

そうですよ。最近は困ったことにYouTubeに名人達の噺がいっぱいアップされていますから、断りもなくね、オレのも含めて(笑)。「快眠落語ってどういうことや!」って言いながら、聴きながら寝ていますよ。

――本当にお好きなんですね。

昨日、家族に叱られてね。「好きなことばっかりして」って。好きなことをして生涯を終えられたら最高でしょうって思うのに、すごく叱られましたね。もっと家の用事もしろって(笑)。ネタを練習しながら寝転んでても、練習しながら寝てしまうこともよくあります(笑)。すごく心地いいんですよね。体に良いんでしょうね。それぐらい好きなんでしょうね。

――落語の原体験はいつ頃だったのでしょう?

小学校の3年生か4年生の頃に、三代目の金馬師匠が「孝行糖」をおやりになっているのをラジオで聴きまして、それを聴いて家族が皆笑ってるのを見て、こういう世界があるんやと思いました。子供心に「孝行糖、孝行糖」と連呼するのが楽しくて、親父と風呂に入った時に言っていたら、「そんなのどこで覚えた?」といわれたのがすごく記憶に残っています。

――その時をきっかけに落語を好きになられたのではなく?

その頃にそういう芸能があるんだということを知りまして、で、その頃はラジオが一番の娯楽でして、花菱アチャコ先生の「お父さんはお人好し」(NHKラジオ第1で放送されていたラジオドラマ)ですとか、「一丁目一番地」(NHKのラジオドラマ)とか、「とんち教室」やったかな、いまでいう大喜利のようなね。そんなラジオ番組での笑いを原体験として、家族がそれを聴いて一家団らんのような空気が好きでした。笑いがあれば親父の機嫌が悪かったのも直るんやなと感じたんですね。なんか、その頃から笑いが好きでしたね。

――落語家を志したのはいつ頃なのでしょう?

もともとは宇宙飛行士になりたかったんですよ。ガガーリン大佐というのがいて、宇宙を回ったと、すごいことやなと思って、どうすれば宇宙飛行士になれるのかなと思ったんですよ。で、毛利さんっていらっしゃいますよね。毛利さんとは同い年で、あの方は科学の勉強をしてその道をすーっといかれたんですよね。私は勉強できないし、じゃあどうしようかと。ただ、いつも空を見上げると飛行機が飛んでいるんですよ。家は農家ですから、飛行機を見て11時30分の飛行機やといいながら、そろそろ昼ご飯にしようか、みたいなね。時計持って野良仕事してませんからね。あんなところの仕事もあるんだなぁと思って、パイロットになりたいなと思い始めました。でも裸眼視力が足りなくて、航空大学校の応募要領も取り寄せたりしたんですが、ダメダメみたいなことでがっかりして諦めました。

――宇宙飛行士、パイロットときて、落語家なんですね。

そんな時に、学校で僕の前の席の子が授業中に肩が揺れているんです。講義は全然楽しくないのに何を楽しそうにしているんだろうと聞いてみると、古典落語の本を読んでいたんですね。それを僕に貸してくれて、「それ覚えられる?」って聞くから、「うん」と答えたら、「落研作るから来週までに覚えといてくれる?」って言われましてね。で、その次の週に「金の大黒」という噺を一応覚えたら、昼休みに披露することになってね、そうしたらウケたんですよ。そこからハマっていって、次々にネタを覚えていってみたいな。すっかり調子に乗っちゃって。「これは、オレは天才やわ」と思って(笑)。で、よその大学行ったら、またウケるし、女子大なんて行ったらものすごくウケるし、いやぁ、こんなんでプロになったら楽やんかと思って、で、なったとたんに大失敗やったということに気づくんですけど(笑)。

――なるほど。

学校には同世代しかいないので共通の世界の笑いですから、ものすごく幅が狭いんですよね。しまった!と思いましたよ(笑)。落語家になろうかどうかは、すごく悩みましたよ。落語家にならなかったら、悔いが残るんじゃないかなと、落語会行って、オレの方がうまいと思うに違いないと、という大きな勘違いで(笑)。人生において大きな勘違いをするときは大切で、結婚もそうだと思うんですけどね、お互いが大きな勘違いをして一緒になるんですけど、それで入門しまして、50年経ってしまいました(笑)。

――50年というのはあっという間という感じなんでしょうか?

あっという間の様で、そのなんかね、最初の方は上手くいかなくて、あっという間に感じ始めたのは歳いってから、40歳過ぎてからかな。40、50、60と早いですね。

――入門されたころというのはかなり試行錯誤された?

試行錯誤も何もないところで、いきなりテレビで人気がドーンとで、ね。で、自分は力がないのを知っているから、芸の力ない人気先行ですから、絶対えらい目に合うわと怖くて怖くて。で、勉強会をずっとやって、で、今度は力がついてきたら人気が落ちて(笑)。やった!みたいなね。人気が落ちてきたら楽なんですよ。人気って、人の気ですから。そんなものは移り気なものですから。バランスの良い生き方はできなかったんですね。ただ、落語は始めたころから、好きで好きで、それは唯一の逃げ場でしたね。結構苦学生で、親父がケガをして仕送りが出来なくなって、日本育英会のお金をいただいていて、ストレス溜まるんですが、落語がウケると全部忘れるというね。

――落語に出会ってから、入門以降もそうですが、落語が好きで好きでしょうがないという気持ちと、ずっと落語がそばにあって、いろんな意味で助けられているということですね。

助けていただいたんですよ。ほいで、談志師匠がね、「現在落語論」という本を出しましたよね。あれは悪い本でね、あれでウィルスにかかっちゃって、オレが落語の世界に行って救わなければと、オレが行けば落語の世界を何とか立て直せると思って(笑)。それも大きな勘違いでね。今でも本棚の上の方に大切に置いてあります。談志師匠にもずいぶんと可愛がっていただきましたよ、二人会をやらせていただいたり。二人会なのに、僕がやっているのに入ってこないんですよ。仕方がないので、一席終わって、「まだ師匠がお越しにならないんですよ」って言ったら、客席の一番後ろから、「もう、来てるよー」って(笑)。そうやって、お客さんの心をぎゅっと掴んで、ね。それから登場なさるという、そんなズルい手を使ってましたね(笑)。いろいろと、アドバイスを頂戴して、ありがたいことです。芸人の人物評みたいなものをずっと週刊誌に連載なさっていて、僕のことを「妖怪芸人」と名付けてくれて、ありがたかったです。

2020年やし、オリンピックあるし、喋りのアスリートっていうことでね。

――71歳になられて、20日間の独演会という過酷な挑戦に挑まれるわけですが、4年前の45周年の時点で「2020年には20日間の公演をやりたい」といわれていたと記憶していいます。

そうなんですよ。言っています。

――それが実現して、今回こうやって発表されて、本当に驚きました。

言わないとものは動かないですよ。5年前くらいから動かないと劇場は貸してくれないですし(笑)。いきなり20日間貸してくださいと言ってもダメなんで。それまでに(国立劇場)小劇場の方で会をやって、毎年実績を積んでね。そうすると、国立劇場の方々からも「前にも10日間あったんだから、上手く空けば20日間やりましょうか」という話を頂戴しまして、ようやっとやらせていただけることになりまして、ありがたいことだなと思っているんです。

――20日間やろうかと思いつかれたのはいつ頃の話なのでしょうか?

10日間やってから5年間くらいは「10日間やったし、いいか」って感じだったんですが、なんかやりたくなるんですよね(笑)。前は10日間やったので、今度は20日間やらんと面白くないよなぁ。2020年やし、オリンピックあるし、喋りのアスリートっていうことでね。喋りも大変なアスリートだと思っているんです。噺家は気楽な商売といいますが、気楽かもわからんけど、お喋りのアスリートさみたいなものを発揮できたら、それも東京でオリンピックの年にできたら面白いなと思ったんですよ。時期は、オリンピックの後だったら皆お金使ってないやろうから、オリンピックの前にやろうとかね、色々考えたんですよ(笑)。とにかく、面白いじゃないですか。自分を追い込む感じは、ちょっとM入っているかもわかりませんね(笑)

――自分を追い込むという意味合いと、これをやったら面白いんじゃないかという思い付きとどちらの割合の方が大きいのでしょうか?

後者ですね。きっと面白いはずや、ってね。前回の10日間公演は面白かったんですよ。ものすごい楽しくて、毎日毎日違うネタができて、お客さんも笑ろうてくれはって、これはおもろいなぁと。あの時のクスリを打ちたいな、みたいな(笑)。なんかね、興奮したいんですよね。本業で興奮するのは、面白いじゃないですか。

――10日間でも相当なチャレンジですよね。

ですです。

――それが単純に倍になってしまうという、本当にすごい振れ幅だなと思います。お持ちになっているネタ数から20日はいけるだろうという読みでしょうか?

そうです。40本ぐらいは鉄板にしないと飯食えませんので。やって楽しくて、自分がダレることのない、これは面白いわというネタで、皆さんと落語の面白さを20日間たっぷりと共有したいというか、ね。で、ゲストの皆さんも皆、一緒に高みを目指したいねという人たちが20人揃いましたし。

――この20人のゲストがすごく豪華です。

豪華ですね。こんだけ呼んどいたら、今度は彼らもオレを呼んでくれるんじゃないかってね(笑)。本当に、自分も聴きたいと思える人達、刺激になる、自分にないものを持っていて、ちゃんと世界をお持ちの方々にお出ましいただいて、落語って本当に面白いよねっていうのを一緒に表現できるのは嬉しいことです。長い間根回ししました(笑)。

――これだけの顔触れがそろうとは、相当ブッキングも大変だったと思いますが。

そうですね。これはうちのマネージャーは相当に頑張ったね。僕はね、こういう人とやりたいと言ったら、頑張りよったですね。

――想像以上に若い演者さんが揃っているのが印象的です。

そう。若いですよね。こういう人たちは、早目に潰しとかないとね。こらこら、違う違う(笑)。本当に年齢とキャリアは関係なく上手いんですよ、ここに名を連ねてくれた人たちは。本当に上手いし楽しいし、それぞれのネタに力がある、実力と人気を両方兼ね備えた人ばかり。もちろん先輩もいらっしゃいますが、先輩、同期、後輩、尚且つ、落語協会、芸協、三遊派、立川流、上方落語協会と、バランスが非常に取れているんですよ。

――確かに、すごくバランスがいいですね(笑)。

でしょ(笑)。

――この記念すべき20日公演に声がかかったというのはゲストの方々にも光栄なことなんだと思います。

そう思っていただいたら、ありがたいです。面白かったのは、皆さんそれぞれ、まずはお目にかかって、口頭でお願いしたんですが、談春くんとはなかなか会えなくて、彼が大阪で独演会をやっている時に楽屋へ訪ねて行ってお願いしようと思ったら、「来ないでください」って言われて(笑)。「出ますから、来ないで」って。楽屋で聴かれたら恥ずかしいから、って(笑)。いい感覚ですよね、つまり、こっちが先輩であるということもあるんでしょうが、彼のシャイさ加減がまさに出ているというかね。いい人やなぁ、と思いましたよ。楽屋に来るのはやめてくださいって、ものすごく面白かったですわ。

――ゲストが20人いらっしゃって、演目のネタだしを40されています。

ゲストとネタをカードに書いて、パズルみたいにして、この人の時はこれとこれをやったら、この人がもっと生きるとか、どうすれば全体の構成が良くなるとかを考えているんですわ。

――相当緻密な作業がおありなんですね。

(演芸研究家で落語作家の)小佐田定雄さんが構成してくれています。彼と、カードを並べて七並べのようにして、組み合わせを考えて、外したネタもだいぶありますし、そうやってバランスを考えて構成をしました。前座さんがあって、私があって、ゲストが中トリみたいになって、中入りして、最後に私がまた上がってという構成になりますから、ゲストはちょこっとという訳ではなく、本気でやっていただける場所にポジショニングをしてありますので、聴きごたえがあると思います。

――文珍さんご自身も楽しみですね。

そうなんです。それぞれの人が得意ネタをお持ちですし、鉄板ネタをいっぱい持っている人にお出ましいただきますから、小佐田さんと、このゲストは、前にこのネタをやれば、こんな感じの噺を出してくれるのではないかとかシュミレーションをたくさんして準備しています。この作業が面白いんですよ。こちらが先にネタ出しをしておけば、ゲストの方もそれに合わせて両方が立つような噺を選びやすいかなとも思っています。やみくもに何でもいいからやるというような人は選んでおりません(笑)。バランスや構成を考えられる人たちにお願いしています。はい。

――40のネタが出されていまして、改めて向き合われるネタもあると思いますが、改めて多くのネタと向き合われるというのはどのような気持ちなのでしょうか?

昔元気いっぱいでできたのに今はできなくなっているとかね。歳いったから「百年目」の旦那が無理なく演じられるとかね。そのへんはキャリアで変わっていくんですよ。スポットライトのあて具合というか、どこに注目をしてどういう風にすれば今のお客様に喜んでいただけるのかを再発見する。で、今、帳面に改めて書いているんです。そうしたら、昔よりスリムになっているネタと、ちょっと肉付けてあげないともたないよなぁというネタがあったりして、とても面白い作業ですね。今の71歳の年でできるネタと、80は80の時のネタの状態とか、90になった時に何にも力入っていないのになんか面白いよなという風になれればいいなと思ってます。こないだも小三治師匠がもっと年いってどんな風な自分になるのか、出会えるのか楽しみやと言っていましたが、同じようなことなんだろうと思います。

――小佐田定雄さんとの作戦会議は楽しそうですね。

それは楽しかったですね。それでもう、やり切った感じですよ(笑)。シュミレーションはしたけど、これを実際にやらないといけないんですよねぇ、大変だなこれは、ってね(笑)。小佐田さんは、ネタをもっといっぱい出してきたんですよ。以前にDVDになっているものとか、そうでないものとか、そのバランスとかも考えてネタ選びをしているんですよ。

リリースした後に稽古し直してよりよくできるようになったネタとか、リリースした時代とはちょっとネタの演出を変えてあるものもあります。例えば「帯久」にしてもオチが前よりもすごく後味がいいようになっていたりとか。「不思議の五圓」なんていうのは「持参金」というネタで場所によってはやってはいけないと言われているネタを、演出を変えて生き生きと女性が出来るような「ガラスの天井」を外してあげるような演出にして噺を生まれ変わらせているので、「不思議の五圓」というタイトルをつけたりと、ちょっとした工夫を時代に合わせてしています。

「饅頭こわい」なんて普通だと思われるかと思いますが、でも上方の「饅頭こわい」は怪談の要素がさらっと入っていたりなんかして、東京のちょっと違うというのを楽しんでいただけるとか、お囃子がふんだんに入って上方らしいとか、いろいろな工夫をしています。ゲストの方と全体で「ああ、楽しかった」といって帰っていただけるようにいろいろな工夫しているつもりです。うまくいくかどうかは、未知数ですが。だから、構成を考えた時点で疲れ切ったんですわ(笑)。

今回ゲストで出てくれる20人も全員色っぽいですよ、どこか。それが魅力になっているし。

――この20日間の独演会、ずばり見どころは?

落語はやっぱりおもしろい。生き辛い世の中やとおもうんですよね。やれ、コンプライアンスやの、お行儀やの、倫理観やの、でも落語の中の人物はもっと人間的でもっと自由でもっととんでもない。でも、自分の中にそういう部分もある、それをリアルな世界でやると犯罪になるけれど、落語の世界だったらフィクションですから、フィクションの言葉だけの世界でやると、ストレスがどこかへ行っちゃう。ずばり、一言でいえば、「落語でより救われてください」ってことですかね。落語狂なんでしょうね、きっと。

――お話を伺っていて、落語愛をひしひしと感じます。

愛というか、惚れているんでしょうね。変な言い方をするとね、このネタ出しした40のネタが、全員恋人なんですよね。「あ、ごめんごめん、君は長い間会ってなかったね」っていうのがあったり(笑)。そういう風に出会える楽しさというか、恋人に会う感じというか。

――また改めて多くの恋人に出会い直すというような公演ですね。

そうです、そうです。ですから、別に懐メロ大会ではないんですが、その恋人も成長しているだろうし、こっちもおじいちゃんになっているから接し方が変わっているだろうしね。もっとテクニックついたよっていう感じとかね(笑)。古典をやっている時に聴いて笑ってはるお客さんの向こうに、この噺が出来上がった時代からずっと色んな噺家が演じてきたその時代その時代のお客様がデジャヴのように、ずずっと多重的にいらっしゃるように感じる瞬間があるんですよ。江戸時代のちょんまげした人もいてはるように思ったり。それは噺が勝手に動いているんでしょうね。そういう瞬間が10年に1度ぐらいあるんですよ。そうゆう瞬間に出会いたいんですよ。それは、もう、鳥肌が立つというか、やっていていお客さんとピタっとあったなというか、そんなすごくいいなぁという瞬間にまた出会いたいです。

――今、落語ブームと呼ばれて久しいと思います。文珍さんが入門してから50年で、その間にもいろんなブームがあったり、去ったりしたと思いますが、現状の落語を取り巻く環境について、どのように思いますか?

その世代、その世代のスターが出てくると楽しみですよね。例えば、(柳亭)小痴楽くんがいてくれたりすると、なんだかヤンチャだけど、色っぽいじゃないですか。粗削りだけど色っぽいでしょ。色っぽい人がその世代、その世代にいるってことがとても楽しみですよね。今回ゲストで出てくれる20人も全員色っぽいですよ、どこか。それが魅力になっているし。

――落語ブームということでいうと、上方からの生きのいい若手の声があまり聞こえてこないという現状がありますが、この現状についてはどのように思いますか?

はいはい。これはね、鶴瓶、南光、文珍が死ねば新しく出てきます(笑)。東京のお師匠さん方がバタバタと逝かれたことがありましたが、そこからしばらく経つと若い人達がグーンと伸びてきたという現状があると思います。その世代その世代でやっぱり女子ゴルフじゃないけど20代であんなに上手い世代が出てくるとか、そういうことが東京でできたように、やがて上方でも出来るんじゃないかと私は思っているんです。

――最後に一つだけお伺いします。この50周年で20日の公演という大きいものに挑戦されながらも、「ネバー・エンディング・ツアー」と銘打ってずっとツアーを行われていらっしゃいます。これがたどり着くところは?

はいはい。松山千春氏が北海道で独演会をやっている時に楽屋にやって来ましてね、「お前はいいな、会館のマイクを使って、座布団に座ってるだけでこうして客入れてよ、いつまでやるんだよっ!」というから、「ずっとやりまっせ」というと、「いいなあぁ。オレらはアンプいるし、バンドいるし、照明いるし、アゴアシかかるし、それに比べておめえは何にも金かかってねえなぁ」とか言って笑わせてくれたんですよ。その時にふと、そうかこれはずっとやれるんだなぁと思ったんですよ。元気で健康で生き生きとその世代に応じたものをずっとやっていけたらいいなと思っているんですね。

――このツアーは死ぬまで続くツアーだということですね。

おそらくね。それとね、日本はそんなに広い国ではないですからね、ありがたいことに、どこへでもすぐに行けますしね。

――ボブ・ディランが今、1994年以降に行われるツアーを全て「ネバー・エンディング・ツアー」というタイトルにしてライブを行っています。そのネーミングから考え方から、これは文珍さんとボブ・ディランは同じだと思い、非常に痺れました。

真似したな(笑)。なるほどねぇ。それは、考え方は同じですね。一緒でしょう。ずっとやり続ける面白みというのがきっとあるんだと思っています。芸は積み重ねて、積み重ねての50年であり、その後も60年、70年というふうに続けていかないといけないと思っているんです。それが目標です。目標として、あとは元気でいられるように、ね。是非、共に、年を重ねながら、面白いねってお互いに言えるようになるのが一番だと思います。


公演情報

芸歴50周年 桂文珍 国立劇場20日間独演会

日にち:2020年2月28日(金)~3月8日(日)
    2020年3月15日(日)~3月24日(火)

時 間:開場13:00 開演14:00

会 場:国立劇場大劇場

チケット:前売5,500円(全席指定・税込) 当日6,000円(全席指定・税込)

出 演:桂文珍

演 目:
初日「新版・豊竹屋」「らくだ 」
二日目「新版・七度狐」「けんげしゃ茶屋」
三日目「くっしゃみ講釈」「はてなの茶碗」
四日目「老楽風呂」/「寝床」
五日目「お血脈」「帯久」
六日目「憧れの養老院」「不動坊」
七日目「天狗裁き」「三十石夢之通路」
八日目「商社殺油地獄」/「包丁間男」
九日目「セレモニーホール旅立ち」「猫の忠信」
十日目「ヘイ・マスター」「たちぎれ線香」
十一日目「風呂敷間男」「地獄八景亡者戯」
十二日目「稽古屋」「算段の平兵衛」
十三日目「心中恋電脳」「三枚起請」
十四日目「星野屋」「胴乱の幸助」
十五日目「不思議の五圓」「愛宕山」
十六日目「そこつ長屋」「饅頭こわい」
十七日目「老婆の休日」「天神山」
十八日目「新版・世帯念仏」「船弁慶」
十九日目「花見酒」「へっつい幽霊」
千秋楽「スマホでイタコ」「百年目」

ゲスト:
2/28(金)笑福亭鶴瓶
2/29(土)桂南光
3/1(日)林家木久扇
3/2(月)柳家喬太郎
3/3(火)桂文枝
3/4(水)林家正蔵
3/5(木)柳家花緑
3/6(金)立川志の輔
3/7(土)春風亭小朝
3/8(日)三遊亭小遊三
3/15(日)柳亭市馬
3/16(月)立川談春
3/17(火)柳家三三
3/18(水)春風亭昇太
3/19(木)林家たい平
3/20(金祝)桃月庵白酒
3/21(土)柳家権太楼
3/22(日)神田伯山
3/23(月)春風亭一之輔
3/24(火)三遊亭円楽

開口一番:
2/28(金)桂楽珍
2/29(土)桂米輝
3/1(日)春風亭昇々
3/2(月)林家けい木
3/3(火)桂三語
3/4(水)立川志の春
3/5(木)桂文五郎
3/6(金)桂華紋
3/7(土)三遊亭一太郎
3/8(日)雷門音助
3/15(日)桂竹紋
3/16(月)春風亭正太郎
3/17(火)三遊亭わん丈
3/18(水)柳亭市弥
3/19(木)柳家寿伴
3/20(金祝)入船亭小辰
3/21(土)春風亭ぴっかり☆
3/22(日)林家たま平
3/23(月)瀧川鯉八
3/24(火)桂宮治

※年齢制限:未就学児入場不可

お問い合わせ:サンライズプロモーション東京 0570-00-3337

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