【鑑賞レポート】2016/4/8 ダブル親子会その2/“落語進化論、いま第三の波が…”瀧川鯉昇/立川談笑/瀧川鯉八/立川吉笑@北沢タウンホール


ダブル親子会その2/“落語進化論、いま第三の波が…”瀧川鯉昇/立川談笑/瀧川鯉八/立川吉笑@北沢タウンホールへ。

前に開催されてもう1年ぐらいになるんでしょか??
2回目の開催。
まあ4人のスケジュールを合わせるのは、確かにボヤボヤやってると難しいでしょう。
いろんなアプローチができる会だろう。
個人的には、第一回なんかは鯉昇/談笑二人会にそれぞれの弟子(わりとユニークな方の二つ目)がついてくる、みたいな入りだったが、それは通過儀礼で4人での変容変化を楽しむ心持ちの2回目。
まあ例えば、北沢タウンホール慣れの立川流比重の人には談笑/吉笑親子会から、芸協の鯉昇さんを入り知っていくのもありだし、最近テレビにも取り上げられ20代女子人気の若手から観ようというのであれば鯉八/吉笑から、その師匠へ。
という拡張性に富んだ観方もできるでしょう。
まあ落語会慣れした小煩い客(誰のことだよ!)を、もう少しブレンダーにかけて粉砕撹拌したい!
荒っぽい言い方だと、そんな主催意図なんだと思う。
客として?まあなんにせよサーフライドするだけ。
前回以上にそれがより明確に。
また演者も客も、それが“ああそういうこと?”って、かなり物わかりのいい雰囲気。

演目は、
立川吉笑「十徳」
瀧川鯉昇「質屋庫」
仲入り
トーク~落語進化論、いま第三の波が…~
瀧川鯉八「やぶのなか」
立川談笑「河内山宗俊」

ちょっと遅れて吉笑の「十徳」は入口のところ入った通路脇で。
マクラは新著「現在落語論」の執筆時の模様。
まだ未読。読まないとね。
そこから「十徳」へ。
スピード感ある。
噺の中のギアチェンジに使う吉笑の聞き返し“なんですっゥ!”
これはわりとどの噺でも使われるが、段々クセになってくる。

鯉昇さんは上がって、いつもの“そんなに頑張らない”話しのマクラ。
“昨日、高座を13分務めまして、その疲れがいまだ抜けない”
それとどうしても笑ってしまう芸協の御大の米丸師匠(91歳)の話し。
“米丸師匠は横浜のご出身で、なんでも若いころペリーの黒船を見たと…まだまだ中々そこまでの境地には”
公務員オチの説明をしてから「質屋庫」
いつもいつも爆笑期待ではないのですが、この日はここでちょっと寝過ぎ。

仲入り挟んでトークを4人で。
テーマは最近の落語人気。
芸協の「成金」(若手二つ目11人)が、ルックスもあって20代女子を大分落語に呼んでる話しから、談笑/鯉昇の若いころからの落語の世の中への享け入られ方(人気)の変遷。
各々の芸風の話し。
談笑が、
“(前回)鯉八さん聴いて、やっぱりそりゃ気になりますよ。どうやってるのかなとか…”
請けて鯉八
“言ってしまえば志ん朝師匠の真逆なんです。ボソボソ喋る。声張らない。リズム…気にしない”
そうしてたらここでお客さんからいきなり質問が来る(そういう会じゃないんだけど、別に悪くはない/やや4人もびっくりしつつ)
“だんだん、噺が新しくなっていくと、(古い)型が”型崩れ“するのは気になりませんか?”(銚子から来たタナカさん/え?銚子?からわざわざ?)
この会を観に来る人とは思えないような質問ですが、まあ咄嗟にそう思っちゃうような“限定感覚”もホントは打ち消して掛からないといけない。
4人、会見で不祥事を新聞記者から咎められてるような感じになりつつも
談笑“落語は弱い芸。お客さんの想像力に頼るのだから、ある意味古い/新しいを繰り返していく”
鯉八“自分は、さっき言った通り志ん朝師匠の真逆。でもそれは志ん朝師匠らからのスタイルがあってこそ…”
鯉昇“(懇意の歌舞伎役者と話した時の例を引き)伝統芸能と言うのは現代にどう近づいていくか、なんだと”
吉笑“まあそういうことも書いてあるんで「現在落語論」を読んでくれ”

鯉八は上がって
“談笑師匠は、”落語は会話の妙“と言いましたが、今日はそこに盾突いてみようと”から「やぶのなか」
これは、心の声も含めて新婚の夫婦(旦那と嫁)、嫁の弟、その弟のカノジョの4人が、新婚家庭に遊びに来た時のホンネ/タテマエ/そっくりそのままを会話のズレで表現する。
ちょっと昔のウディ・アレンの映画なんかの“ブラインドインタビュー”みたいな形式で紡がれる。
ズレが面白い。
多分に映像的でCMなんかでもこういう手法(竹之内豊の出てる住宅メーカーのとか)があるが、落語で現代風に(まあそうなるのが当然だが)。
敢えて言えば、古典でも吉笑の演った「十徳」もそうだし、「浮世床」とかも同じ括りっちゃ、そう考えればありでしょう。
前回この会で観たときよりも、奇を衒って軸無し?って思わせちゃうような(実際そうじゃないが)ところも全く無くて、なんだろうこのスタイルに少しだが迫力が出てきたようにも。

トリは談笑。鯉八の一席を
“う~ん、確かに志ん朝師匠じゃないな、と”
最近NHKが微妙に言葉の基準を変えていると、記者じゃなくアナウンサーが
““アルコールいそん”って言ってますね、それからこの間なんか華道(かどう)に茶道(ちゃどう)って言ってましたね…“
そういう言葉/語りの振りで、久々に「河内山宗俊」
恐らく北沢の他の会で2度ぐらい聴いてるが、この間観た「め組の喧嘩」と同じく、談笑さんのハレ演目。さわやか/鮮やか/きれい。
まあこの噺は義侠心に富む茶坊主・河内山宗俊を誰でイメージするか、かな。
今まではわりと身近な人に変換して聴いてたが、どうもインパクトが弱くて…(決してその知人のせいではないが)
今回は趣向を変えて映画「アンタッチャブル」の頃のショーン・コネリーで。
うん、まあまあ悪くはないが、まだ恐らく発見しきれてない何かがあるんだろう。

客が作る落語の潮流ってのは、どうしても蛸壺化して先鋭化する。
この落語家、この噺、この時のあの雰囲気をどうしても“俺だけのモノにしたい”って作用が働く。
それを解放する力があるのが、若いファン層で、そこから“よくわからないかなぁ”という聴かず嫌いを駆逐していくパワー。
純粋興味のクロスレファレンスするところをちょっとづつ拡張していく。
保守と革新のせめぎ合いと言えば、これほど率直にそうだ。

北沢はいろんな落語会がある。
それぞれが手法を変えて、来る客に刺激を与えて新しい層の開拓をしてるとは思うが、様々な蛸壺を集めて一度全部ぶち壊してみよう。
そこからシャッフルすると、また新しいなにか、大げさに言えば“落語観の新秩序”が産まれるかもねってぐらいなのがこの会。
ま、またはクロスロードに立って悪魔に魂を売るか…
そんな東西南北4人の会。
…そう考えるとわりと絶妙かもね。

TEXT:凡梅@STREET-WISE