【スペシャルインタビュー】立川吉笑「立川流であるということが唯一のアイデンティティ。」


立川流であるというそこが唯一のアイデンティティですから。それがなかったら一人コントでいいってなってしまいますね。なんで落語家がいいかっていったら、それは立川流というつながりがあるから。
――落語は、入り口の扉さえ見つかれば、綿々と続く土壌の中に強者たちがかなり存在している。その森の中に入ってくれれば魅力には気づくはず。ただその入口が見つからない。

そうそう、少なくとも自分の価値観では「あれっ?」と思うような入り口もたくさんあるから。「落語だったらまずは寄席に行こう」みたいなものは今となってはよく分かるんですけど、落語を知らなかった当時の自分目線で考えると、ちょっと入り口としては機能しにくいのかなぁと。

――僕もサイトというメディアをやっている意識があるから、すごく気を付けているし、悩みや迷いは多い。ただ、落語を観たことのない人に、適切な入り口をナビゲーションしたいという思いで活動をしています。でも、さまざまな盛り立て役の人や、吉笑さんのような演者さんが増えてきていることもあって、今何かが動こうとしている気配がかすかにします。

確かに。最近は、本当にそうですね。

――だから、乗っかろうとしてる人には乗っかってもらいたいと思うんです、自分も含めてですが。その先は、発信する内容でいずれ淘汰されていくだろうし。そういう意味でも、うちのサイトは、サイトの今の考えを示すために吉笑さんを取り上げたいと思ったんです。やはりこれからはWEBが不可欠になってくるし。

この前、吉笑ゼミをやったときに、同じ日に立川流の真打トライアルの初日があったんですよ。キャパは同じくらいだったし、見ていないから分かりませんけど、当然トライアルはめちゃくちゃ盛り上がったと思うんです。それなのに、終わってツイッターで両方の感想を検索してみたら、圧倒的に出てこないんです向こうの情報が。ツイッターだとかネットでの情報量がもちろん全てではないんですけど、それにしてもこの「今」に活動している若手の先輩方が真打目指して一本立ちしようっていう前のめりな企画が、ツイッター上でこの注目度はヤバイだろ、みたいなのを感じます。まぁそれは自分の価値基準上での話で、目指す場所や前程が違うというところに集約されるんでしょうけど。

――真打トライアルに関しては、確かにスケジュールを検索しても出てこない。往々にして全てがそう。ダメじゃないけど、それが弱体化を招いている一つの要因だろうと思っています。

ダメじゃないってのはわかるけど、なんか悲しくなるんですよ。

――システムとしての閉塞状態もあるなかで吉笑さんの活動を見ていると勉強になるというか、シンパシーを感じるんですよ、すごく。そんな吉笑さんは、落語が先へ行くには何が必要だと思いますか?

次の一之輔師匠ですね。落語文脈とそれ以外の文脈との両方できちんと評価されるような、やっぱり圧倒的な才能のある人がドンと登場しないとダメだと思います。

――なるほど。一之輔師匠と去年はCDを制作しました。一之輔師匠は強い意思をもっているけど、ある一線はあえて越えようとしないのが凄く斬新に映りました。

それはやっぱり立場があるからでしょう。落語協会っていう大きな団体の看板ですから、僕ごときには想像もできないような事情があるのでしょう。僕は、立川流は前代未聞メイカーであるべきだと思っていて、本当はしがらみの少ない我々立川流の若手の方がグイグイしかけていくべきなのに、孤軍奮闘されているのはこしら師匠・志ら乃師匠くらいで、その後は正直だれも続いていけていない。昔は、志の輔師匠はじめ、志らく師匠、談春師匠とかってもうもう、すごいアグレッシブじゃないですか。それぞれが自分の道を切り拓いて。本当はあれをやらなきゃいけないんですよ、立川流は。本来はそういう団体なんだから。

――今、吉笑さんの意識とか向かおうとする先に同調するというか、ついてくる方はいますか?

未熟な若手だし、まだきちんとした結果も出せていないから当然ほとんどいませんけど、たぶん笑二(弟弟子)はわかってくれてる。ずっと一緒にいてそういう話もしてるから。少しくらいは影響を与えられているのかなって思います。

二ツ目に昇進したタイミングの2012年5月か、昇進して1ヶ月後くらいに談笑から「若手だけで横のつながりを強調した活動をやったらいいと思うよ」って言われたんです。我々の世代にはたまたま個性的な落語家が集まっていたから、彼らとグループ組んで「流れが作れるような事やれよ」って言われて。確かにいいなと思ったんです。師匠はやるんだったら後ろ盾になるよって言ってくれたから、志の春兄さん、こはる姉さん、春吾兄さん、らく平兄さん、談吉兄さん、笑二などに声をかけて、毎月数日間メンバーのうちの何人かが出演するような会をやろうと提案しました。でもいざ打診をすると、やっぱりそれぞれの一門の事情があるし、「メンバーに入っていない方にカドが立つ」みたいな意見もあったり、そもそも自分の人望の無さとか、色々あって実現することができませんでした。要は自分の今の求心力だと誰にも信じて乗っかってもらえないんだな、と思った。
しばらくはどうすれば実現するかなぁとか考えていたけど、ある時、きっぱり諦めた。今の自分の能力では無理だと。その1年後くらいに芸協の先輩方は、成金というものを見事に形にされて。やっぱり自分が客でもあれはすごくいい形だし、見たいし。この世代の若手はもう芸協に流れがいったなぁと思っています。あれ、ほんとは自分もやりたかったですよね。でも自分の能力では実現できなかった。

――成金に対して羨ましさを感じてますか?

もう、今は全然ないです。

――やっぱり(笑)。

いや、本当は羨ましいですよ、そりゃ。刺激的だろうし何より先輩方を見ていて楽しそうだから。でもこれは自分の業というか病的な部分なんですけど、とにかく前代未聞メイカーでありたいと思ってしまうから、すぐに流れの裏へ、裏へっていきたくなる。だから自分として成金という大きなうねりに対してとるべき正しい態度としては「そちらが複数人で流れを作るのだったら、こっちは一人で同じようなことに挑戦しますよ〜」って、強がるしかない。まぁ実際は同じ一門の笑二だとか何人かの先輩後輩と一緒に切磋琢磨しているんですけど。あっ、でも一番気持ち良いのは「成金に入れてもらう」っていうパターンですね(笑)これは前代未聞だ。

――立川流の中でも一人で勝手にやっている感がありますが、吉笑さんにとって、そういう風に見られることが重荷になっているとか、「辛いな、一人でやりたいわけじゃないのに」みたいなネガティブに捉えるような瞬間ってありますか?

あぁ、ありますね(笑)。なんか、しめしめって思ってる部分もあるけど、やっぱり辛い時は辛いかな(笑)。

――そういうものを全部はねのけて、オレは行ってやるんだという気持ちで、全ての時間を過ごせているわけではない?

そうですね。そこまで自信はないですね、自分に。最近はまだましになってきたけど。今は、いろんな人が応援してくれる声が聞こえるから。それまではホント、前座から二ツ目なりかけのときとか、何かやろうと思ったことが周りの人には本当に伝わらなくて、「なにそれ、やっても無駄だよ」って。「絶対こうやってこうやったらこうなったら楽しいはずだ」って言っても全然通じないんです。結果やってみたらそれは間違ってないというか、それなりの成果は出てきてるから、ほれ見ろって。それは自分の良くないところですけど、「どうだ見たか」って、酔っ払ったりしながら。そんなことを言う自分もいるし。

――自由と孤独は表裏一体といいます。自由を謳歌するためには、孤独も受け入れないといけない。その孤独を引き受ける心づもりは十分にできている?

出来ています。あ、でも例えば、こしら師匠レベルには開き直れてないですね。どっかで心が弱い。それこそ今年は一門の新年会の幹事やったりとか。そういうところでとりあえず一門に対して繋がりたいし、とか。わりと立川流の広小路の一門会とかもちゃんと出るし、出たら打ち上げも最後まで残るし。そういうところで意思表示というか、つながりは持っていたいと思っています。だって、立川流であるというそこが唯一のアイデンティティですから。それがなかったら一人コントでいいってなってしまいますね。落語家じゃなくなる。

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