【スペシャルインタビュー】立川吉笑「立川流であるということが唯一のアイデンティティ。」




「噺家が闇夜でコソコソ」でも、自分だけセンスがあると思われたいから必死でしたよ。皆はリラックスして楽しんでやってるのに、「奇才」と思われたいから必死も必死(笑)

――志の輔師匠の落語に触れて、これだと思ってから入門まで早かったですか。

入門まで2年。入門は26歳なんですけど、25歳の時にはイクイプメンは空中分解していて。解散とははっきり出さなかったんですけど、あった仕事も全部やめて、バイトだけにしたんです。1年間、週6くらいで夜勤のバイトしてお金を貯めていました。入門後、どうなるかわからないからと。

――ということは入門を既に決めていたんですね。

談笑に入門することは決めてましたね。あとはタイミングをはかりながらお金を貯めて。一つ覚えてるのは、志の輔師匠で落語を知ってめっちゃハマって、落語家になりたいなって思いはじめているときに、倉本さんに車で家まで送ってもらったことがあるんです。その時に、ちょっとカマかけたいというか、どうなるか試したくて、「最近、おれ落語聴いてるんですけど、結構面白いですね」って急に言ってみたんです。そうしたら、「落語なぁ、ちょっと勉強する分にはいいかもしれんけど、あんま追いすぎると、渋みが出るから笑いには邪魔やぞ」って言われたのをすごい覚えているんですよ。

でもね、それには後日談があって。その数年後に倉本さんが急に落語にハマりだしたんですよ。それも志の輔師匠に。「志の輔師匠おもろいな。あの時、笑いには邪魔やって言ったけどオレが悪かったよ、志の輔師匠すごいわ」って言ってもらえたんです。だから価値観はずれてなかった。

――見てるところは同じで、時期がずれたと。

そう。見たら絶対わかるもん、志の輔師匠がすごいって。万人がわかるはずですよ。

――入門のタイミングは、どうやって決められたのでしょう。

ちょうど談笑が今にも弟子をとりそうなタイミングがあって、ツイッターで「談笑さんて弟子いないんですか?」「いません。」、「取らないんですか?」「今まで断ってたけど、自分もとってもらったんでそろそろ」みたいな定番のことを言い始めていて、「そろそろチャンスだ」と思っていました。

決心するには2個のポイントがあって、一つ目は、談笑が池袋の月例独演会で「紺屋高尾」をやったんです。たぶん25歳の時の10月かな。それがめちゃくちゃ良くて。「ジーンズ屋ようこたん」じゃなくて、「紺屋高尾」だったんです。当時、談笑は自分が作った改作をもう一回古典にするって作業をやってる最中で。それにすごく衝撃を受けました。現代が舞台の噺ってあまり好きじゃないから、改作はそれほど好きじゃなくて。談笑は面白いしすごいと思うけど、まだ弟子入りを決心しきれていなかった時にこの高座を観て感銘を受けました。

「紺屋高尾」を一回改作にしてそれを古典にしたら、元にもどるんじゃなくて、数学で考えたら一回微分して積分したら、ちょっと変わるんですよ。見た目は古典になっているけど流れてる血は実は現代的だから、すごく伝わりやすい。この手法すごいって衝撃を受けて。それから多分、談笑は意図的に「紺屋高尾」とか「芝浜」とか、一回改作したやつを古典にしなおしていたんですよ。これだ、と。この方向性はすさまじいと思ったんですよ。それで談笑で決定。

もう1つは、「月刊談笑」という会がその半年後に始まって。それを見に行ったら、広瀬和生さんのキュレーション能力もあいまってすさまじかった。これを見たら絶対弟子入り志願者が増えるって焦りました。ツイッターでそろそろ弟子取りますって言った瞬間に殺到すると思ったから、一番にいかなくちゃと思って、10月の「月刊談笑」で弟子入りを志願しました。

――入り待ちとか出待ちをした?

出待ちをして。終わった後、係の人に名乗って「談笑師匠とお会いしたいんです」と。多分その人が楽屋に行って、師匠も弟子入りだなってわかったと思うんですよ。そうしたら、その係の人が戻ってきて、「師匠は帰りにここを通られます。」って言われて。
その時、ちょうど師匠の別のお客さんがいて。そのお客さんがいる中で自己紹介。「はじめまして、人羅真樹と申します。師匠の落語に衝撃を受けて、自分もやりたいと思いました。弟子にしてください」みたいな練習した台詞をバーって言って。そうしたら「じゃぁ、履歴書をメールで送って」って。それだけでした(笑)。

――結局、師弟というものは何かのタイミングがハマらないと成立しない。何か一つ要素が違ったら成立しません。入門できたそのラッキーから、すべてが始まります。

確かに落語はそうですし、全部そうですよね。もちろん、倉本さんに見つけてもらったのも運だし。

――戦略をたてることにも長けているけど、同じように吉笑さんは猛烈にツイているように感じます。

運はありますね。自分でも自覚してます。倉本さんの考え方で「C幼笛」というものがあるんです。キテレツな造語で特に意味はないですけど、何かいいことがあったときに倉本さんは神様に向かってありがとう!って気持ちで、心のなかでピーって笛を吹くんですって、毎回。それをやったら神様が「お、あいつ分かっとんな」ってなるからまた良いことがやってくるという考え方で。それって宗教じみてるけど自分も信用しています。

倉本さんってめっちゃツイてるんです。すさまじい偶然力なんですけど、一方で「それは当たり前だろ」ってことでもすごい感動されるんです。「さっきな、角を曲がったらいとうせいこうと会ったんや」って。その日いとうせいこうさんと打ち合わせする段取りだったから、そりゃ近くで会ってもおかしくないんですよ。でも倉本さんはそれを心から感動してて、笛を吹いてるんですよ。これはもう技術で、わざとツイてると錯覚させながら、たまたまあった偶然に感謝して、どこかに偶然がないかって無理やりチェックする。「偶然に自覚的になる」というかね。それはもうスキルですよ。

――積極的に偶然を探すというのは、いわゆる前向き思考とはスタート地点が全く違います。真剣度合いが全く違いますよね。

能動的ですから。運とかそういものは絶対にあるんです。大御所俳優がめっちゃ麻雀強いみたいな。加賀まりこ、めっちゃひき強いとか(一同爆笑)。科学で説明できないものみたいな、なんかルールがあるから。かなり信用してる。流行った言葉でセレンディピティみたいなのもありますけど。わりと能動的に信じてるし。

ある日友達と自由が丘を歩いてたら、キリンがやけに目についたんで、キリンを見つけるゲームをしようって提案したんです。街を歩いていてどっちが先に見つけるかって。そうしたら置物とかTシャツの柄とかで結構見つかるんですよ。見つかる度にC幼笛を吹いて。で、自由が丘から新宿に出てきて、西口にいく大きなガード下に絵がたくさん飾ってあるんですが、そのガードをくぐる手前で「この先に絶対キリンがいるから」って宣言して、で見て行ったらそこには無くて。「あー、なかったかぁ」と残念がっていたら、ガードを越えたすぐ横の山手線の壁沿いのところにめっちゃでっかいキリンが描いてあって。鳥肌立ちながら、C幼笛を「ピィー!!」って。何てことのないことでも、わざわざキリンを見つけるってルールを作っていたから、これをすごいって感じることができる。これは生きる技術としての、ただただ「幸福な遊び」ですから、皆、やったらいいんですよ。

――非常にポシティブですね。ポジティブを突き抜けたポジティブ。

ほんと幸せ。考え方一つで、簡単に幸せを感じられる。特にマイナスからプラスになる時に、より幸せを感じるんですよ、人間って。

――その前向きさを作品を通して伝えていこうって気持ちはないのでしょうか。

やってもおかしくないですね。でもそれを伝えたいわけじゃないからね。それは宗教になっちゃうから。でも確かにありうるでしょうね、今後は。風邪が治って嬉しいみたいなことは、ネタで作りました。不幸な状態から不幸がちょっと改善されたらもう幸せだ、みたいなのはやりましたよ。でも確かにそうですね。もうちょっと皆に切実に伝えたくなったらやるでしょうね。

――伝えなければいけないことのような気もします。

倉本さんって多分ひどい鬱持ちなんですよ。だからこそ、自分を奮い立たせるようにポップなものを作ろうとされてる気がする。事務所もNINPOP(ニンポップ)って言って、NIPPON(日本)をアナグラムしてPOPを無理やり作って、日本はポップなんや、みたいなことをおっしゃっていました(笑)でも、偶然ってありえないタイミングでおこったりするじゃないですか。それは説明付かないから。感謝するべきですね、みんな。

――前向きさと、偶然に積極的になるという2つの視点は、それまでの吉笑さんの高座からは微塵も汲み取れませんでした(笑)。ただ、今こうやって膝を突き合わせて話をしていると、染み入ることが多くあります。僕も人生ラッキーをつないできた自負がある。だから、人はもっと偶然に積極的になるべきだし、それが人に喜びを与えると信じています。

本当ならね、学校で教えて欲しいですけどね。道徳とかでね(一同爆笑)。「今日はこれを見つけましょう」って見つけるものを決めて、町歩いて、血眼になって探すの。偶然を必死に探す。生き方のコツですからね。これできたらほんと、幸せですから。

――偶然を積極的に探していくというその姿勢は、ある種のポップなことで、キラキラしているイメージがあって、そこが吉笑さんのイメージからちょっと遠い気がします。

そう。もうちょっとスタイリッシュに振る舞いたいというのもあるんでしょうね(笑)。

――それは時期として?

いや、人間として。プライドが高くて二の線なんですよ、ちょっとカッコ付けたがるところがある。それダメなんですけどね、そんな柄じゃないのに。こうやって喋ってるとそういう気持ちが出てくるし、最近はまくらとかでも出したりしますけど、なんだかんだいっても「こいつは才能あるな」とか「天才だ」と思われたいという気持ちがあるんです。今、自分でもそうだって気づいた(一同爆笑)。

――今ですか(笑)。

わかっているんです。自分に才能がないってことは。でもどこかで「奇才」って言われたい。

――それは長い戦いになりそうですね。

結構長い間、そこに執着してる。こうやって腹割って喋ったら全然そんなことないけど。TV番組「噺家が闇夜でコソコソ」の大喜利とかでも、自分だけセンスがあると思われたいから必死でしたよ。皆はリラックスして楽しんでやってるのに、こっちは「奇才」と思われたいから必死も必死(笑)。

ーー奇才、天才と思われたいという、その衝動は苦しくないですか?

どうなんだろ。うーん。まだちょっと騙せてる感じがするからやれてるのかな。これでもうボロでがでまくってたらあれだけど、意外と誤解してくれる人もいますんで(笑)。

–誤解どころか、結構いい線行ってますよ(笑)。

本当は全然、「奇才」でもなんですよね。困るのは、センスあると思われている人から、例えば急に「この絵を見てどう思いますか?」とか言われたら、何も言えない。センスないから感覚でいい感じのことが言えない。勉強しないと。絵を勉強させてくれって。そんなレベルですよね。

――ただ、少し勉強さえすれば本質を見抜く力はあるんですよね。

ある程度まではいけると思います。どんなジャンルでも75点位まではいける気がする。

――そこに学習する時間を持たずして、感性や、いわゆるシックスセンスで何かを語れと言われると、まずい?

自信ないすね。うん。それは自信ないな。

――やっぱり、そうなんですね。やっぱりひらめきの発想の人ではなく、積み上げ型。理論、ロジックを柱にしているタイプの方なんだろうと感じていました。

逆に言ったら、それしかできないですからね。それは自覚している。でも、一つ支えになっているのは小林賢太郎さんが、「0から1を作るのは大変だけど、もし0.1を作れるんだったら時間をかけてそれを10回繰り返したらいずれ1になる」っておっしゃっていて。もちろん小林さんと僕とは全然レベルが違いますけど、自分も時間をかければ何とか面白いモノを産み出せるんじゃないかと励みになっています。
自分でネタ作っても、最初のそのネタは誰もが思いつくようなものが多い。でもそれを下敷きにもう一回ゼロから作りなおして、その過程さえ他人に見せなかったら、最初のネタからは相当飛躍してるからその飛躍は意外と強度がある。自分の、ネタを作るときのコツというか、理屈でごちょごちょ考えたらそうなるんです。

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