【スペシャルインタビュー】立川吉笑「立川流であるということが唯一のアイデンティティ。」


当時は今よりももっと落語のことを勉強してた。それこそ「圓生百席」を全部借りてきてライナー全部コピーして、圓生師匠の写真とか演目見るだけで「おおー」みたいな、偶像崇拝までして。


――最初に志の輔師匠のCDを手に取ったきっかけは?

覚えてないんです(笑)。当時はお笑いのDVDをむちゃくちゃ買っていて、そのときも渋谷HMVに買いに行ったんです。パッと見たらDVDの向こう側に落語のCDがあって、「落語かぁ」と。もちろん存在は知っているし、尊敬しているダウンタウンの松本さんが落語がすごく好きだとラジオでおっしゃっていたこともあって興味はあるけど一回もちゃんと聞いたことなかったからちょっと買ってみようかなとなぜか思ったんですよ。たまたま、志の輔師匠を選んだんですが、もう大正解。志の輔師匠を選んだ理由はわからんけど、良かった。そうでなかったら、今こうなってないですからね。

――京都でコンビを組んでいて相方が失踪してしまった。色々と挫折とチャンスが交互にやってきても、それでも道をはずれず、東京に来るところまでは辿り着いた。貫き通せた理由は何でしょう?

調子にのってるんですけど、高校の時の体験が強くて。高校の時に一回人生あがった感じがしたんですよ。「あ。オレあがったな」、みたいな。ほんとあったんすよ(一同爆笑)。今でもそれなりに思ってる。「このタイプの人生は見えた!」って。メッチャ偉そうなんですけどね。なんか、このまま進学して就職してサラリーマンになって、父親と同じ感じにはなれるなって(笑)

――お父さんは普通のサラリーマン?

サラリーマンです。ちょっと優秀なくらいの。その時はそんなふうに見えてて。ほんと中二病、思春期特有なんですけど。最初にお笑いを始めたのも、自分には向いてないからって理由が大きくて。いびつな考え方なんですけど、ぼんやり人生が見えたときにゲーム感覚で「それならやれそうにないことをやろう」って考えたんです、中3か高校の時に。それでお笑いを。それまで真面目で堅物な印象の自分にできるのかなって、興味もあったんでしょうけど。

だから高2くらいから人生遊んでる感じっていうか、大学中退なんかも自分としては楽勝も楽勝な感じで、「どうだ、安定志向のお前らには辞められないだろう」みたいな(笑)。「こっちはもう人生一回上がってるからどうなってもいいんだよ」みたいな自暴自棄でもありますけど(一同爆笑)。コンビを解散したりして一時的にはへこんだりもするけど、なんとかなるって自信はあった。死にはしないだろうみたいなと。今、落語家をしくじっても、死にはしないし。

――今30歳です。落語家立川吉笑として邁進している。ただ、ひとりの表現者として考えると30歳ってまだまだ看板をすげ替えられる年齢です。今落語家として切り拓いているけれど、この先クリエーターとしてやってくときに30歳まで落語家として活動はしていたけれど、その先は他のことにシフトしていったという展開があっても、さほど驚きません。

根本的にやりたいのは「笑い」なんで、確かに落語家じゃなくていいのかもしれませんけど、逆に言うとやりたいことが笑いである以上、落語家をやめる必要はないなと思ってる。落語で笑いを表現できるし、落語家ということ自体がある意味ブースターになっているから、それを捨てる必要はない。それこそバカリズムさんみたいにずば抜けた才能があったら、ピン芸人として一人コントのつもりで落語をやってもいいと思うけど、自分にはそこまでの才能はないし。それと、落語家になろうと決心してからこっち、意識的に落語をめっちゃ好きになる努力をしたんですよ。入門しようと色々シミュレーションしたら、「これは落語に敬意がないと絶対にできない」って分かったから。とにかく家元を妄信的に愛すみたいなところから始まって、完全に自分を洗脳したんですよ。だから今となっては、家元のこと知らずに入ってきた最近の若い後輩とかに、「マジかお前」、「お前、落語をナメんなよ」みたいなことを、この口がいうわけですよ(一同爆笑)。

――好きになる努力というのは、すごく重要な過程ですよね。

結果的に談笑がたまたまそういう考えの人で。立川流の昇進課題の小唄端唄都々逸とかって、どう考えても最初は好きじゃありません。これまで生きてきてまず接点がなかったから。でも課題である以上クリアしなくちゃ昇進できないんだったら、やらなくちゃいけない。だから、まずは好きになることからはじめましょうって。それはね騙せるっていうか、脳って単純だから、好きと思い込んだら好きになれる。一度好きになったらドーパミンとかガーっと出てくるからどんどん楽しくなってくる。好きになるって、意外と技術でできるっていうのは後から談笑に言われたことです。自分も落語に対しては同じことをしていました。当時は今よりももっと落語のことを勉強してたし。それこそ「圓生百席」を全部借りてきてライナー全部コピーして、圓生師匠の写真とか演目見るだけで「おおー」みたいな、偶像崇拝までして(一同爆笑)。

――その行程というのは、さっき言われてたような中二病という要素もあるかもしれません。猛烈に遅れてきた思春期みたいな感じもします。その勉強する姿勢や自分でサイクルを作ることは、生活の中で忘れがちになりやすいと思います。しかし、そこに集中できたってのはすごい。

多分僕ね、意識高い系の人(笑)。アッパーだし(笑)。もともと中3まではめっちゃまじめで勉強して生徒会長やってみたいな人格だった。遅刻して来た奴に先生より先に注意するような、うざいヤツ。だから、なんだかんだちゃんとやったらちゃんと成果が出るものってあるじゃないですか、そういうことに真剣になれるんです。

例えばね、落語家になってから、開場前にチラシ折り込むじゃないですか。オレはより良いやり方を考えるのが癖になってるから、ここをちょっと間を詰めた方が早くなるなって工夫して、どんどん早くするんです。反復するたびに。でも、大抵の人ってなんにも考えずにやっていて、「こいつら仕事できないな」って思ったりするんです、今でも。とにかく意識高かったんですよね。ダサいんですけどね(笑)。

――その中3までの性格は変わっていないんでしょうか。例の、一回人生あがった以降も。

人格は変わってない。あがった後も(笑)。第二期、人羅真樹は。無理して破天荒に振る舞ってるのがたぶん根本。伝説を作りたい。でも、できるギリギリぐらいのレベルが大学中退とかそれくらい。もう天才には勝てないってのはもちろんわかってるから。無理して何とか人ができなさそうなことを必死にやっていくのは変わってない。でも成長はしていて、明らかにイクイプメンを組んだことによって一気に価値観が変わった。それまではホント全然面白くなかった、今の価値観で言ったら。普通のベタな漫才やってたし。イクイプメンを組んだパートナーがたまたま才能があった人だから、その人のおかげでだいぶ底上げしてもらって、今はそのときの名残。基本はその人から得た価値観とかを使ってるだけですかね(笑)。

――イクイプメンというユニット名の意味は?

意味はないです。コンビ名を作ろうてなって、こっちは19、20歳のもうダッサいときで。とりあえず造語にしようってなって、そこはお互い一致して。オレがもっていったのが足し算の造語だったんですが、そこで相方が「足し算の造語はダサい」と。「足してる時点で、モトがあるからバレるんだ」と。例えばウルフルズは、ソウルフルのソをとって引き算にした造語だから良いんだ、とか言われて。もう、「うわ、なにその考え方!」って感じですよ。で、彼が「equipmentのtをとってequipmen(イクイプメン)だったら語感がポップだし、menが複数形になるし」って。で学ぶわけです。そんなセンスか、なるほどなって。もともと学ぶのは得意だから、センスも一個一個後付で学んでいる感じですね。先天的な才能もセンスもないし、つまんない人間なんすけど、でも勉強すれば自分くらいまではなれるよ、って見本かもしれない。

――なかなか自分を商品として活動する方で、「天才でない」と謙遜して言う方はいますが、学ぶことで積み上げて今を作ってるんだ、と言われる方は珍しいですよ。それを素直に言えてしまうってのは、天才を前にした時の「自分は決して天才ではない」という衝撃度合いからくるものですか?

そう、天才に対するリスペクト。そこがおっきいですよ。それに一回人生あがったことが大きい。わざと苦手なことを始めているから、そらそうだよなって。こっちだって元々は、前世の中三まではあんな良いキャラだったのに、それを捨てて苦手なことをやっているんだから、天才には勝てるわけない。そういう土俵に自ら登ったんだという覚悟もあります。

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