【スペシャルインタビュー】東京かわら版500号記念 編集人・佐藤友美氏にかわら版の歩みとこれからを聞く。


【スペシャルインタビュー】東京かわら版500号記念 編集人・佐藤友美氏にかわら版の歩みとこれからを聞く。

2015年5月28日発行号をもって、「日本で唯一の演芸専門誌」を謳う東京かわら版が通算500号に達した。
創刊が、昭和49年(1974年)の11月。
それ以来、数々の演芸や落語の雑誌が姿を消す中でも、40年をこす月日を経てなお多くの読者や関係者、はたまた噺家自身からも愛され続ける東京かわら版。
その秘密を探るべく、いつもは取材をする側であるはずの編集人・佐藤友美氏に話を聞いた。

今までの歩みはもちろんのこと、500号記念の落語会、パーティ、手拭いの発売、新書の発行、そして年内に予定されている新しい名鑑に至るまで、500号に達してもより精力的に邁進しようとするこれからについても興味深い話が聞けた。

媒体は違えど同じメディアとしての共通点や相違点を前にしながらも、貴重な創刊号から今に至るまでの現物を見せていただき、時の重みを今更ながら実感した。
その一部を撮影をさせて戴いたので、その貴重さをちょっとばかりお裾分け。

今回は噺家さんが相手ではないということから和気あいあいとした雰囲気であることは、お許しを。

取材・テキスト・撮影:加藤孝朗(ハナシ・ドット・ジェーピー)


編集お疲れ様でした。まず、かわら版の歴史をお伺いしたいのですが、500号を作るにあたり佐藤さんは全部読んだんですよね、500号を。

はい。入社前の読者時代より以前のものも、改めてちゃんと読みなおしました。記念特大号なので、<プレイバック500号>という特集頁を作りました。過去の名人たちの高座写真のコーナーは、過去に本誌に載っている写真を誌面で確認して、保存されている写真を探しました。

過去の写真もすべて保管されているんですか?

そうですね。全てではないと思いますが、昔のものも紙焼きで残っています。

他にはどんな企画があるんですか。

あとは過去のインタビューの抜書きや芸人さんと読者の皆様から小誌との思い出を募ったテキストなど読み応えがあると思います。いつの号に誰のインタビューが載っているとかをまとめた総目次リストも掲載しました。

これを見ていつ誰のインタビューが載ったかが分かると。

あと500号と関係はないのですが、林家彦いち師匠のエベレストの記事もあります(笑)。

編集人の佐藤氏


500号というと創刊は何年ですか。

昭和49年(1974年)の11月ですね。

佐藤さんが編集に関わり始めたのは。

94年にアルバイトで入社しました。就職したかった出版社を全て落ちて、卒業後プラプラしていたら、定期購読していた「東京かわら版」にアルバイト募集が載っていたので応募しました。

編集が希望職種だったんですか?

本当はここ(編集部)の近所にあるマガジンハウスに入りたかったんです。今でも前を通るたびに軽く切なくなったりしてます。

業種は同じですけれど、全然違いますね(笑)。

違いますね。「オリーブ」という雑誌を作りたかったんです。

オリーブ少女でも、演芸少女でもあったんですか?

まあ、そうですね。

その距離感はすごいですね。

それは確かに。スタジオボイスを読んでいた時に「演芸場にて」っていうコラムがあって、それを見てちょっと面白そうだなとおもって、寄席に行ってみたのがきっかけです。

ボイスが落語への入り口ですか?それは、オリーブ少女が演芸に行くというストーリーは十分に繋がりますね。でもそれはすごい入り口ですね。

確かにそうですね。狭き門かもしれません(笑)。

スタジオボイスを読んで落語への扉が開かれるなんて、そんなことあるんですね。

どこかで誰かしらが読んでいるものなんですよね。

かわら版に入られてから今まで、佐藤さん自身の意識の変化ってありますか?

アルバイト時代は、噺家さんと結婚してさっさと辞めようと思ってました。今思えば腰掛け気分だったんですね。それからなぜかずるずると居残って社員になり、しばらくして前の編集人が辞めてしまって、編集人になりました。

いつからですか?

平成16年の11月号からです。

94年に入社されたということですが、落語が冬の時代だった頃ですよね。寄席がガラガラだったし。

そうですね。志ん朝師匠が出ていても、先代の小さん師匠が出ていても当日フラッと行って寄席に入れましたね。

私はその頃が一番頻繁に寄席に通っていました。

小誌はご存知でしたか?

そりゃもちろん。お金がなかったので、時々しか買えませんでしたが。ただ、その後の大銀座落語祭あたりからまとめて情報が載っているものの必要性を感じて買うようになりました。

あの頃から情報が増えだしたような気がします。

冬の時代があって、いわゆる2000年代の落語ブームに至る過程で、編集部にいるとどういう感触があったんですか?

落語ブームの時は、恩恵にあずかったということはなかったように思います。でも雑誌でもテレビでも落語特集がよく組まれていたので、取材依頼は多かったです。

なるほどね。ブームの時も大幅に部数が伸びたりということはなかったんですか?

大幅にはないですね。ちょっとずつ上がって今に至るって感じです。今落語ブームは去ったと言われてますが、でもわりと高値安定な感じがしませんか?

全く同感です。

ちょっと上がったところで安定しているのかなって。当時の漫才ブームは右肩上りでいって急に落ちたような気がするんですが、落語ブームはガクンと落ちることはなく、そこそこのところで下げ止まり、安定している気がします。それは良かったと思っています。

ブームは去ったと言われても、部数もガクッとは落ちなかった?

常に横ばいです。

内側にいた方の感触を知りたかったんですが、あれは内側で見ていて、来るぞ来るぞっていう感じだったんですか。

それは特になかったです。ブームから何割がうちの購読者になってくれるのかなって話はしていました。


今、若いお客さんや新規のお客さんが増えているじゃないですか。それと同時に会も増えています。

増えましたね。好きな噺家さんだけを追うにも追い切れないくらいあります。あとはコヤ(演芸会場)が一軒出来るたびに、毎日やっているところだったら30本、昼夜開催したら60本増えるわけで、60本というと紙面1ページで15公演の掲載なので、4ページ分が増えるということになります。そんな感じで、どんどん増えていきました。

ここ2,3年ってぐっとまた増えてきていますよね。コヤも増えたってこともありますが。

演者の数も増えました。

ああ、、そうですね。入門者数も増えていて、コヤも増えて、会も増えて、これはもうブームといっていいような気がするんですがね、個人的には。

あとは、演芸ファンの細かいニーズに対応して、早朝から深夜まで開かれるようになりましたよね。

そうですね。談奈さんが朝7時半からやってますからね。

夜もオールナイトで始めている人もいれば、遅いスタートの会もあって。忙しくて行けないと言っていた人も、どれかしらは行けるだろうって言うぐらい揃ってきています。

ニーズの多様化に対応していますね。そう考えると増える訳です。その上に寄席が毎日やっている訳じゃないですか。いつでも生の演芸にアクセスできる状況が東京では整っている。

うちの読者は全都道府県にいますし、地方の方の熱心さに頭が下がることも多々あります。会の情報は活用できない代わりに、テレビ、ラジオ、演芸番組の放送予定表とか、本とCDの新刊新譜のコーナーとか、細かくチェックしてくださっている方は多いです。誰がどの情報を必要としているかは分からないので、演芸に関することは知りうる限り網羅していきたいと思っています。


かわら版の歩みを教えてください。

これが創刊号です。タブロイド判8ページです。ただ、演芸情報がどこに出てくるんだっていうくらい後ろに載っています。

誌面の前半は映画情報なんですね。次はスポーツ、で、最後のページで演芸情報に辿り着くと。

最初は2,000部だったそうです。

この判型はいつまでですか。

10号までです。10号からは変わりますね。編集部の住所は今と同じですけど、東京月刊情報社という名前だったんです。演芸のページもちょっとは増えています。

最初は演芸誌ではなく、映画、美術、講談、浪曲、落語など、いろいろなスケジュールが載る情報誌だったんですね。11号から今の形ですね。

表紙に「東京の新しい情報誌」って書いてありますからね。あと、すでに紙切りも載っていますよ。



これも映画情報から始まるんですね。

映画のコーナーは平成16年のものにもまだあります。つい最近まであったんですよ。今は「みもの・ききもの」に吸収してしまいましたが。

「講談・浪曲」が前で、「落語」が後に来る順番なんですね。

そうそう。次は、53年1月からの判型です。この時代が一番長いです。

判型も実は微妙に違うんですよ。

平成16年に編集人になってからのが、これですね。11月号から。

表紙がカラーになったのは佐藤さん時代になってからということなんですね。

そうです。

で、500号特集にも書いたんですけど、この号だけ二楽師匠が切ってくれたんですよ。

え!これだけ?

はい。これは先代の正楽師匠。こちらは当代ですけど、その時ちょうど正楽師匠が切れなくて、1回だけお願いしたんです。

貴重なエピソードです。

このいまの判型に変える前のものは目次が表紙にあるんですが、これってすごく使いやすいですよね。500号を作っている時にすごく便利だって気づきました(笑)。

なかなか今の時代にはないですよね。

ちなみに、この頃はまだホッチキスで留めてあるんですよ。

中綴じではなく、今と同じ形になったのはいつからですか。

平成19年の4月号から平綴じになりました。


平綴じになった時が「しゃべれども、しゃべれども」の時なんですね。(3号連続で巻頭エセーが出演者)。

こっちは「タイガー&ドラゴン」の時ですね、岡田准一さんや宮藤官九郎さんにご登場いただきました。


カラーになって今の判型になった時と、落語ブームといわれる時期と同じなんですね。面白いことに。

そうですね。以前どなたかがTwitterで「何気にジャニーズが多く載る雑誌」ってつぶやいてました(笑)。三宅健さんや加藤成亮さんにも出ていただきましたし、山口達也さんが三平さんを演じた時も取材させていただきました。

ジャニーズって何気に落語と親和性が高いですよね。

演芸との距離は近いかもしれません。個人的な趣味で、エセーに芸術家の森村㤗昌さんや杉本博司さん、大竹伸朗さん、宮島達男さんや、ミュージシャンの菊池成孔さんにも出てもらっています。菊池さんはラジオを聴いていたら、演芸に詳しそうだったので。皆さん昔からお好きらしいことを突き止めまして。

ちなみにこのブッキングはそうやって地道にやって行くんですか、ツテも何もなく。

そうですね。真っ正面からお願いしています。

このコーナーは演芸が好きでないといけない訳じゃないですか。それを見つけ出すのって大変な作業ですよね。

でも、最近は以前ほど皆さん落語好きってことを隠さなくなっています。


どうやって探すんですか?ひたすら情報に当たりまくるしかないですよね、基本的には。

困った時には、アナウンサーとか声優さんには好きな方が多いんです(笑)。でもあまりお好きな事が広く知られている方も面白くないので、意外な人を探そうとリサーチは怠りません。

巻頭エセーに関しては、だれが落語好きらしいよって情報を皆で交換しあって決めていくんですか。

そうですね。あの人は好きらしいよって、教えてくれる親切な方もいます。お願いしても断られることも多いんですよ。あまり詳しくないからとか…。詳しくなくてもお好きであればいいんですけどね。巻頭エセーは著名な方が多いので、アポ取りが大変なんです。小誌をご存じない方が多いので、その説明からしなくてはいけませんし。ただ、今までにこれだけの方々が出ているんだっていうことが信頼になるので、それはすごく助かっています。

かわら版編集部


かわら版の編集作業の流れを教えてください。

情報締切日が毎月8日なので、その前後にドカッと情報が来始めてちょっとお尻に火がついて、あるって分かっている会で情報が来ていないものに電話でお願いしたりしています。

そういうのをやりながら、他の作業もありますよね。

月末月初は取材と販売です。スタッフは取材も販売も一通りなんでもやります。

今までの編集作業の中で大変だったエピソードを教えてください。

聞かれる度に答えるネタがあります。桂枝太郎さんが花丸という名前で二ツ目の時に、若手を紹介するページで、カメラを向けたら脱いでくださったんですよ。全裸です。そうしたら歌丸師匠から電話があって、「あの人はクビにしましたから、お笑い芸人みたいなことして」って言われて。ああ、一人の噺家人生をなしにしてしまったとショックでした。ただ、今は立派な二代目枝太郎になっていますので良かったです。あの時は本当にびっくりしました。

かわら版編集部

それはびっくりしますね。

ご本人は、今回の500号の「私と東京かわら版」というコーナーに、その話を書いてきてくれました。

仕上がり前の500号記念号


「落語ファン倶楽部」も終わっちゃったし。

それを作っていた人が弊社に入りました。

そうなんですね。

はい。今、東京かわら版新書を手がけています。

そうそう、かわら版は新書も出すんですよね。500号にまつわることで、いろいろイベントがあるじゃないですか。

そうなんです。

新書も始まると、それこそ編集部の中はどうなってるの?という疑問が沸いてきます。かわら版、どうなるの?どこ行くの?という疑問が。

恐れいります。ご期待ください。

先ほど見せていただいたバックナンバーの比較的最近のものでも、通常号は110ページぐらいなんですね。比較として今年の5月号は154ページもあります。

巻末の会の掲載数が過去最高でした。984公演です。

984!

1,000公演いくんじゃないかと思ってビクビクしてました。

今、大体月に900本ぐらいですよね。

そうですね、大体900行くか行かないかくらいですね。

これ、1000行きますよね、きっと。

ええっー。

ええー、って(笑)。本誌の編集は総勢何名で行っているんですか?

6人です。これだけしかいないんで営業担当が巻末情報欄の校正作業だけは加わってくれたりとか、この984本とかも、一応いる人数全員で分けて、いただいた情報と照らしあわせてチェックをして、そのあとプロの校正の方に来てもらって、もう一回やってもらいます。それでも間違いは発生します。

それは永遠の課題ですね。提供される情報の仕分けは?

すべてデータベースに入力します。地道な作業です。

それと取材ものがいくつかありますよね。

編集会議で、インタビューは大体半年先位まではうっすらと決めています。真打昇進や襲名のタイミングもありますし。

流れや並びってものすごく重要ですよね。

落語協会は人数的に多いので登場する頻度が高くなるのは仕方がないのですが、出来るだけバランスはとるように考えています。あとは講談・浪曲にも目を配っています。

プラスオンで、新書も始めるんですよね。

はい。新書に関しては「落語ファン倶楽部」を作っていた田村が入社して、担当しています。第一弾は長井好弘さんの連載「今月のお言葉」をまとめたもので、小三治師匠とかも収録されているんで、かなり面白いですよ。第二弾は柳家小満ん師匠の食などのエッセーをまとめたものです。


これは今後も続いていくものとして予定はされているのでしょうか。

そうですね。

この先の企画は何か決まっているんですか?

新しい名鑑を出したいなあ、出せたらなあと。

お、遂に新しい名鑑を作りますか。

もうだいぶ古くなってしまったのと、名前もだいぶ変わった方がいるので。そろそろ。

500号記念号という大変な作業を終えられて、記念の落語会もあり、パーティもあり、新書も始まるというそんな大変な状況で、名鑑にまた新たな企画を盛り込まなくともいいんじゃないですか(笑)

あと、手拭いも作っちゃいました。

そうそう。それもお伺いしたかったんですよ。誌面でその情報に触れた時にはそこまでやるかと思いましたが(笑)。

税込650円です。よろしくお願いします。購入方法は、小誌ウェブサイトをご覧ください。落語会にも販売に行きます。

あれよあれよという間に売切れましたね、500号記念落語会は。

そうですね。ありがたいことに人気の噺家さんが付き合ってくださいました。

その後に、パーティの情報を見て、新書の情報を見て、手拭いの情報を見てと、もう、驚きましたよ。

創刊から42年で500号なので、1000号の時は私はたぶんもう生きてはいないと思います。一回きりだから、野暮を承知でお祭り騒ぎをやっちゃえって気持ちです。

そうですね。1000号まではまた遠い道のりです。
500号が出てほっと一息でしょうが、名鑑の作業、頑張ってください。名鑑は欲しいので、楽しみです。

私も欲しいです。誰かに作ってほしいです(笑)。

前回も同じことを言ってましたよ(笑)。



東京かわら版500号記念号の表紙は、小朝師。現在発売中。


かわら版新書第一弾は、『僕らは寄席で「お言葉」を見つけた』長井好弘・著 定価1080円(税込)


東京かわら版新書第二弾は、『小満んのご馳走』柳家小満ん・著 定価1080円(税込)
どちらも現在発売中。


東京かわら版 特製手拭い 定価650円(税込)

以上、詳細・購入方法は、東京かわら版オフィシャルサイトまで。