【スペシャルインタビュー】古今亭菊之丞 前編



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古今亭菊之丞(ここんてい きくのじょう)

本名 小川亮太郎
生年月日1972年10月07日
出身地 東京都渋谷区西原
出囃子 元禄花見踊り
1991年 千葉県立国分高校卒業
5月21日、二代目古今亭圓菊の門下となる
7月1日、上野鈴本演芸場にて前座となり菊之丞を名乗る
10月10日、新宿末廣亭にて初高座
以後、都内各寄席、NHK東京落語会、BS落語特選会、三越落語会、有楽町マリオン寄席、にっかん飛切落語会などで前座修行
1994年 11月1日、菊之丞のまま二ツ目に昇進
1996年 この年より世界一周クルーズ等、船上にて口演
1998年 2月、北とぴあ若手落語家競演会大賞受賞
2001年 6月より、千葉県行徳警察協議会委員を任命
10月、NHK新人演芸コンクール本選出場
11月、市川市市民文化賞奨励賞受賞
2002年 10月、NHK新人演芸大賞・落語部門大賞受賞
2003年 9月、初代古今亭菊之丞として真打昇進
2008年 平成19年度 国立演芸場 花形演芸会 金賞受賞
2013年 芸術選奨文部科学大臣賞新人賞受賞


2013年に私も関わらせてもらい、ビクター落語会のDVDを一気に再発売した。その際に、撮影はされていながらも、商品としては発売されずに埋もれていたものを発見した。その中でも、新編成の商品としてどうしても発売したいとこだわり、実現させた物がある。それが、古今亭菊之丞師の「妾馬」「百川」だ。特に、師の「妾馬」は、言葉がリズムとしてグルーブし、意味だけでなくテンポとしての可笑しみを生み出すということに成功している、稀有な好例だと思っている。
この古典落語の持つ力を最大限に発揮させて、楽しませる。そこに現代的な入れごとは、しない。そんな落語の本流であるようでいて、とても困難な道を、着実に一歩一歩進んでいるのが、今回の主役である、古今亭菊之丞師だ。
ここ最近の落語の流れとは違うある種の古典を重んじる姿勢に、一見地味な存在として捉えられる向きもあろう。ただ、今という、様々なスタイルでいろいろなタイプの落語が聴ける時代にこそ、最も必要とされる噺家であるとも言える。
もっと上の年齢層にはこのようなタイプの噺家は多いけれども、菊之丞師は、年齢は40の声を聞いたところで、まだまだ若い。聴き手に、様々なスタイルの落語を聞いた後に、最も戻ってきてほしい噺家の代表格が、菊之丞師だ。
そんな個人的な思いも込めてのインタビューは、年齢が近いこともあり、大盛り上がりとなり、そこまで語ってくれてしまうのか? という話も出てくるなど、とても興味深い内容となった。
例によって、膨大なテキストになってしまったので、まずは前編をお送りする。
2013/2014年を跨ぐにふさわしい人選になったとの自負もあるが、じっくりと師の言葉に耳を傾けて、言葉は柔らかくも、とても強い信念を感じ取ってほしい。
取材・文章・写真:加藤孝朗

新居用のカーテンを選んでいたんですよ。そうしたら、「芸術選奨新人賞はあなたに決まりました」といきなり言われまして(笑)。

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――2013年はちょうど本当に春先ですよね。ご結婚と、芸術選奨文部科学大臣賞新人賞とおめでたいことが2つ続きまして、本当におめでとうございます。

今年は、私は大厄なんですよ。数えで42歳なので。だからまずいなというのでお正月の早い時期に厄払いに行って来たんですよ。でも何かあるんじゃないかなと思って。体も40越すといろいろとあってもおかしくないし。そうしたら、あんまり悪いことは無いし、逆に良いことが続いて。あれっ? って感じなんですよ。


――本厄を無事に乗り越えましたよね。

いやいや、まだほんの少し残ってますよ(注:取材時は11月末でした)。


――芸術選奨の新人賞という名誉ある賞を獲得なされました。素朴な疑問でこれはいつまで新人なんですか?

これは、ちゃんと決まりがあって、50歳までは新人なんですよ(笑)。


――実際に受賞の第一報を聞いたときはいかがでしたか?

これがですね、3月の初頭に今のかみさんと新居に住むという日程が決まっていて、新居用のカーテンを選んでいたんですよ。そうしたら留守電が入って、「あ、ちょっとごめんね」っていう感じで留守電を聞いてみたら「文化庁ですけれども、お伝えしたいことがありますので」と。で、こっちからかけてみたんですよ。そうしたら、「芸術選奨新人賞はあなたに決まりました」といきなり言われまして(笑)。


――直接電話なんですね。

ねぇ。同じ文化庁でも芸術祭というのが別にあるんですよね。で、どう違うかというと芸術祭は自分でエントリーして審査員を派遣してもらうんですよ。だから、申し込む期間も決まっているんですよ。でも、芸術選奨というのは隠密なんです。だから、全然知らない間に誰かが来ていて、で、いきなり「あなたに決まりました」と。


――正直、嬉しいという前に、びっくりしますよね。

ちょっとぼんやりしちゃいましたよ。「え、それはなんですか?」って(笑)。そうしたら、「文部科学大臣賞でございます」と。「ええっと、それは…」みたいな感じですよ。で、やはり「それは、一体何をご覧になって私になったんでしょうか?」と尋ねてみたら、一年間通しての評価ではあるのだけれど、きっかけになったのは鈴本演芸場の独演会の「百川」と「芝浜」の演技についてというのが主な受賞理由です、と。へぇ、「芝浜」かぁと、思いながらも、「これは発表になるまでは、誰にも言わないで下さい」と厳しく言われたんですが、その場でかみさんに「決まったよ」って言いました(一同爆笑)。


――それはすごいですね。新居のカーテンを選んでいるところに文化庁から受賞の一報が入るなんて。幸せの絶頂ですね。

大厄は吹っ飛んじゃった感じですよね。年頭に。


――芸術選奨新人賞を受賞なされたタイミングも、真打になられてちょうど10年の節目の年ですよね。

はい。嬉しいですよ。正直な話、結構後輩が芸術祭の方の新人賞をバンバンとっているわけですよ。私も芸術祭の方にエントリーしたことは何度かある。でもなかなか取れなくて、まあ、もういいかみたいな感じにちょっと思っていたんですよ。


――いいかと思っていた矢先に…。

芸術選奨が、隠密にバーンと来まして、で、すぐに調べましたよ、過去の受賞者を。そうしたら、あまりいないんですよね、噺家は。あ、それで、一回目の受賞者が先代の馬生師匠なんですよ。なにか因縁を感じましたよ、同じ古今亭で。いや、正直、本当にうれしかったですねぇ。

その先生に聞いたら、他の生徒はぽかんとしていたけど、実は、お前の芝浜で、オレは一番後ろで泣いてたんだという話をされたりとか(笑)

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――プロフィールでは、渋谷区西原出身で、2010年にお出しになられた「こういう了見」というご本によるとその後は杉並区で育ったと。

西原には1年も居なかったらしくて、全然記憶にはないんですね。で、物心ついた時には杉並の浜田山とか高井戸とかに住んでいまして、


――で、その後、市川へ越されると。

はい。母の実家へ移りました。


――市川に移られて、中学校に入ってから落語に出会われるんでしょうか? 原体験をお伺いしたいんですが。

それは、小学校で杉並に居た時も、いろいろと芸能全般、もうお笑いブーム全盛の時ですから、まあ漫才から始まって、コント、ものまねとかそんなものもやっていたんですよ。


――すでにやられていたんですね。

はいはい。お楽しみ会とかあるじゃないですか。そういう時には必ず出て行って友達となにかやっていた口なんですよ。漫才とかのほうが興味がありましたね。


――小学校の時には、落語というものは認識はなされていたんでしょうか?

はい。もちろん。こういう芸能だというのは、認識していました。少し興味はありましたけれど、実際これだ!とおもったのは中学入ってからですね。


――それまでは生で見られたこともなかった?

ないです。


――中学校に入られて、鍵となる桂林先生に出会われて、そこで落語のクラブに入られると。そのクラブに入られる時には、落語の下地みたいなんのはあったのでしょうか?

ちょっとですけどね。その時は、いわゆるお笑いの方への興味の方が強かったですよ。


――そうなんですね。

でも、中学に入ってすぐにその落語のクラブに入って、そうしたら私が部長になってしまって。皆に小噺をやらせたんですよ、上級生も含め全員に。そうしたら先生が、「はい、お前が一番うまいから、お前が部長」って感じで。


――そのクラブに入られてから、生の落語に触れるまでは結構すぐでしたか?

すぐですね。鈴本に行きましたよ。


――お一人で?

一人で行きました。


――中一ですよね。

妙な顔してましたよ、木戸のおばさんが(笑)。「何? 分かってる、ここはどういう所だか?」って感じで。


――(一同爆笑)。

で、「学生一枚!」みたいな感じで。学生って言ったら普通大学生ですよね。中学生なんてまだ子供子供してるじゃないですか。もう、奇妙な雰囲気でしたよ。


――勇気が要りませんでした?

全然大丈夫でしたね。


――興味が勝ったということですか。

はいはい。ここに来れば、そういうものが観られるんだという興味が勝りましたよ。逆に、この商売に入ってから、初めて歌舞伎座に行った時の方が怖かったですよ。いいのかな、これ、入っちゃって、って感じで(一同爆笑)。


――わかるような気がします。この始めてきた鈴本でいきなり衝撃を受ける訳ですか?

ですね。しかもね、トリが小さん師匠だったんですよ、先代の。小さん師匠がトリを取るについては、馬風師匠や、三語楼、当代の小さん師匠とかが、ずらっと出ていたと思うんですよ。やっぱり見たことのある落語家さんもポンポンと入っていましたし。だから、最初は落語よりも、落語家を目当てにしていたんでしょうね。


――メディアなどで見たことのある落語家さんも多いいでしょうからね。

ええ。「あ、小朝師匠だ」「あ、木久蔵師匠だ」っていうことで観に行っていたんでしょうね。きっと。最初はそうであっても、行っているうちに、だんだん寄席が4件もあるんだってことがわかってきて、お席ごとにカラーも違うし、とか。だから、行っているうちに、落語家ではなく、落語に魅力があるんだってことが分かるようになっていったんです。マスコミ的には売れていないけれども、面白い人はいくらもこの寄席には出ていて、とにかく落語好きになりましたね。


――その見始めの時に菊之丞師匠が惹かれていたというか、好きだった方はどなたですか?

まあ、志ん朝師匠はね。スパースターで。寄席にもそんなにお出にはなっていなかったですが、いざ出るとなったら観に行きましたよね。その時は、他に面白いなと思ったのは、先代の助六師匠とかねぇ。明治生まれですよ。あの師匠だけね、釈台が出てくるんですよ、どういう訳だか。何なのだろうと、中学時分思う訳ですよ。やっぱり明治生まれの偉い師匠になるとああいう台がね出てくるのかしらと思っていたら、違うんですよね。膝が悪くなっちゃって正座が出来ないわけですよ。言ったら、その目隠しで、偉いからでも何でもなかったとういうことが後から分かるんですかれど(笑)。でもね、あのひょうひょうとしたね、ふわふわっとした、何とも言えない語り口で、そこはかとなく可笑しいという芸風は他の人には見当たらなかったですね。ああ、おもしろいなぁと思って聞いていたのをよく覚えていますよ。


――中学の落語クラブは聴くだけではなく、実際に落語をやることも多かったんですか?

やる方が多かったですね。それこそテキストが興津要先生の「古典落語」を前にして、先生が「自分がこれだと思うものを選びなさい」と。で、本を全部バラバラにしてみんなに渡されて、それで覚えて、やってましたね。


――ちなみにどんな演目をやられていたんですか?

いや、その当時ですから、怖いものないじゃないですか(笑)。だから、三軒長屋とかね。今、出来ませんよ、そんなの。あとは、芝浜もやってましたね。


――やっぱりそういう噺に惹かれるんですよね。

そうなんですよね。あとで、その先生に聞いたら、他の生徒はぽかんとしていたけど、実は、お前の芝浜で、オレは一番後ろで泣いてたんだという話をされたりとか(笑)。


――中学生ですよね(笑)

まあ、怖いもの知らないですよね。子供というのは(笑)。


――でも、その先生が泣いた芝浜で、芸術選奨を取るというのも因縁ですね。

確かに!因縁ですね。

職員室にテープが届いていて、見たら、可楽、柳好、小さん。「いい趣味してるね、市長!文楽、圓生じゃないんだ!」って

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――ご本の中でも書いてらっしゃいますが、中学の三者面談の時に、桂林先生がお母さんに、「この子を噺家にさせてください」と言ったというエピソードが凄く印象的なのですが、これは、本当の話なんですか?

そうなんですよ。時間でおふくろが来ますよね。で、これからの彼の将来の事なんですけれどという話になって、先生が、「お母さん、この子を、どうか落語家にさせていただきたいんです」って言うんですよ。


――それは先生にそういう希望を伝えていて、そのように行ってくれというような下打ち合わせがあった訳でもなくですか。

全然ないですよ。やっぱり、高校は行こうと僕は思っていましたから。中卒でいきなりというのはちょっとね。当時も中卒でというのはいなかったと思いますし。


――花緑師匠ぐらいですよね。

ああ、そうですね。花緑さんぐらいなもので、後は皆さん大学も出ている人が多かったですからね。まあ、そうやって、いきなり先生がそんなこと言って、で、おふくろが泣いて(笑)。


――それはびっくりしますよね。「先生、一体なんてこと言い出すんだ?」って感じですよね。

いや、でもね、噺家になってもいいかな、と、ちょっと思いましたよ(笑)


――この中学の時点では、噺家になるということは決めていたわけではないんですよね。

中学時点ではまだです。この先、将来なるであろうけれども、中学出ではちょっとな、高校は行くんだろうな、と、ぼんやりとは思っていましたけど。いきなり先生からそんなこと言われちゃったら、ねぇ。びっくりした反面、嬉しいというものありましたよ。普段はおふくろに向かってそんなことを言ったことは一度もないですから。だから、それを代わりに先生が言ってくれたようなものですよね。噺家にさせてくださいって。そうしたら、おふくろ「先生がそういうことをいうからうちの子がその気になるんです」って言って泣いて。


――三者面談で、ですよね(笑)

そうですよ(笑)。進路を決める本気の場ですよ。先生としたら、進学してくれた方が良いに決まっているんですよ。でもね、実は、その先生も噺家になりたかったらしいんですよ。噺家か電車の運転手になりたかったと。でもどちらの夢もダメで、自分の夢を託していたという部分がかなり大きくて、「こいつには、自分の出来なかったことをやってもらいたい」というのがどうもあったらしくて。


――で、高校では、落研のようなものはあったんですか?

高校の創建当時にはあったらしいんですが、その時にはなくて。だから自分で再建しまして。文化祭の時だけですよ、活動らしい活動は。でも、文化祭の時は、寄席をやりたくて、色物まで自分でやってましたよ。さすがに漫才は出来ないですが、あ、あとは手品とか。全部一人で。一人寄席(一同爆笑)。独楽を買ってきて、キセルをもらって。
当時、やなぎ女楽という曲独楽師がいらしたんですが、はかま姿で独楽を回すんですよ。そのびゅっと廻した独楽を手に受けて、それをキセルの雁首に乗っけてという芸をやるんですよ。で、これをやってみようと。一生懸命練習をして。


――当時の友達とかは、何をやっているんだっていう感じですよね。

そんな感じですよね(笑)。特に中学の時なんかは、よく言われてましたよ。お前のしゃべりはおかしいって。「そうかい?」っていうと、「それがおかしい」って(一同爆笑)。でもね、寄席へ連れて行ったことがありますよ。池袋演芸場。当時まだ建替え前の畳敷きの頃に。中学生5〜6人くらいで。僕らだけだったんですよ。行ったら、まだ幕が開いてなくて。我々が座ったら幕が開いて前座が出てきて、ひゅっと見たら中学生が5〜6人くらいしかいないんですよ、客として。はぁ? っという顔をしてましてね(一同爆笑)。


――なかなかない光景ですものね。

落研? とか高座から話しかけられたりとか。出るネタ出るネタ、全部子供でも分かりそうなものばかりで。でもこっちは廓噺から何から知ってますから。芝浜を自分でやるくらいですからね。だから、なんだ、今日は簡単な噺ばかりだなと思ったら、そうか、俺たちがいるからか、って(一同爆笑)。


――それはもう楽屋に情報は回ってますからね。

いや、多分ね、もう、楽屋の黒板に、子供の団体が来てます、って書かれてますよ。「何、子供の団体って?」って、会話になってますよ、絶対に。


――そのような努力がありながら、中学高校で、師匠の様に寄席や落語にハマっていくようなお友達は他にはいなかったのでしょうか?

一人もいませんでしたね。中学も居なかったし、高校は結構さめている学校で。だから、誰も居ませんでしたよ。


――じゃあ、ずっと寄席通いは一人で。

そうですね。中学から変わらず、休みの時や、学校がある日でも夜席にも行きましたし。興味がある番組があるときには行ってました。


――完全に中学高校は寄席漬けでしたか?

そうですね。これと言って他に何の趣味もなく、音楽に別に興味がある訳でもなく。とにかく、落語でしたね。


――世の中はお笑いブームで、落語というのは世間的には全然ホットトピックではなかったですよね。

全然でしたね。


――そこで、自分は落語だというように絞られたのはなぜでしょうか?

これはね、やっぱり、テレビでない、ホールでない、「最初に寄席に行った」というのがものすごく大きいんだと思うんですよ。どういうことかというと、寄席という所は司会者がいるわけではないし、何にもない所で、ただお囃子がなってそこへ前座が出てきて、座布団ひっくり返して、めくりを返して。って、めくりもこんなに不親切なものないじゃないですか(一同爆笑)。


――確かに。

名前しか書いてないでしょ。これは衝撃的でしたよ。小さんとかしか書いてないじゃないですか。なにこれって。柳家小さんとか、あるいは演目が書いてあったりとか、そういうのが普通ですよね。なんだと思っているところへ噺家が出てきて、これから始まりますもなく、いきなりマクラからびゅっと本題に入って。もう、グーッとその世界に入って行っちゃったんですよね。ああ、これだって。こういう何の説明もなく、どんどん芸人が出てきて、違う噺をしていって、ああ、これしかないだろうって、思ったんですよね。


――そういわれてみたら、相当不親切な芸ですよね。

そうですよ。何の説明もないんですもん。その上、プログラムと全然違う人が出て来ちゃったりもするでしょ(一同爆笑)。すいません、病気で休演でございますとかそういう説明もない。油断するとどんどん違う人が出てくるという、もう、どういうことなのこれは、って(笑)。でも、その不思議さって言うんですかね。今どきないその不親切が、逆に新鮮だったんでしょうね。でも通えば通うほど、あ、出囃子っていうのは人によって全部違うんだとか分かってくると、聞いているだけで、あ、また違う人が出てくるというのが分かったという楽しさとかね。


――寄席や寄席文化の持つ奥の深さというものにどんどん惹かれて行ったということですね。

そうですね。でも、興味のあることってなんでも自分で調べるんですよね。


――インターネットもない時代であろうとも、なぜか興味のあることは知識がつくんですよね。

当時まだ、新内という芸が寄席に出ていたんです。で、これが長いんですよ。普通15分くらいで終わるでしょ。それが延々とやってるんですよ。まだ子供でしたから、その新内という芸の良さが、よく分からない。三味線の粋な節回しもまだよく分からないし、なんでこんな長くやっているんだと思っていたら、後々、この商売に入ってから分かったんですが、ああ、後の人が遅れちゃってるんだなって(笑)。来ないんだなって(笑)。


――寄席のいろいろな仕組みだとかが一つ一つ順繰り分かっていくという事の楽しさにハマっていくということはありますよね。

そうですね。それもあったし、あとは、例えばめくりがぱっと返って人気者の名前が出た時の、客席のザワザワ感って言うんですかね、


――一気に期待が高まる瞬間というか、えも言われぬ何かがありますよね。

そう。で、その当人がポンと出てきた時の、うわーっという興奮とか。そういうものにどっぷりつかってしまったんですよね。客席で。もう、ああ、これしかないなと思っちゃったんですよ当時は。


――高校を出られてそのまま噺家になろうという流れですか。それとも、噺家になろうというキッカケは何かあったんでしょうか。

大学を受けたんですよ、一応。それは何で選んだかというと、落研のある大学。それもお金がかからない学校ということで国立。でもそうなるとレベルが高い学校になるんですよ。で、先生がもうそれは辞めろと、絶対に受からないんだから、君の学力じゃって。もっと見合ったところを受けてくださいと言われて、「良いんです。洒落で受けるんですから」って言ったら、「大学を洒落で受けないでくれ」って怒られて(笑)。でも、押し切って受けたんです。で、落ちれば、理由が出来る訳ですよ。で、もちろん受かるはずもなく、じゃあこの世界に入ろう、と。でもおふくろに相談したら、絶対にダメだって言われるのは分かっていたので、すぐに小島貞二先生の所に行きまして。


――小島貞二先生とは中学の時から親交があるんですよね。

小島先生は、市川市の教育長さんとも友達でしたし、市長とも仲が良くて。また、市長がこれが落語が好きで。


――市長から落語のテープをお借りしたというエピソードはお聞きしたことがあります。

そうなんですよ。中学の授業の一環で政治の仕組みを知るために模擬議会というのがありまして、中学生が議場にいって本職に中学生が一般質問するという機会がありまして、僕は学校の周りの環境の事を質問しようとしたら、その例の桂林先生が、そんなのつまんないよとか言い出して、お前落語好きなんだから落語の事を質問しろと。で、市川市における古典芸能の実施状況についてというのをまとめて、議場で質問したんです。そうしたら市民部長さんが「前向きに善処します」というどうでもいい答弁を頂きまして(一同大爆笑)。で、お終いに市長さんが中学議員全員と握手するんですが、その時に、「好きなの落語が」と言われて、「はい」って言ったら、「じゃあ、テープ貸してあげるから、聞きなさい」って。そうしたら、後日に職員室にテープが届いていて、見たら、可楽、柳好、小さん。「いい趣味してるね、市長!文楽、圓生じゃないんだ!」って(一同爆笑)。


――市長、落語、分かってるなって。

そうそう。分かってるって。嫌な中学生だな(笑)


――そういうつながりで小島先生を紹介されて、と。

そうです。一度おうちに、遊びに行ってみなさいって。


――入門の相談に小島先生のもとに行かれる前にも、もう交流はあったんですよね。

なんども、遊びには行っていました。


――とても恵まれた環境ですよね。

そうなんですよ。巡り合わせというのは、凄いなと。僕は、東京から市川に引っ越さなければ、中学のその先生とも出会っていませんし、市川という土地に居なければ小島先生にも会わなかったし、小島先生に会っていなければ、うちの師匠の所に入門できていませんよ。一発で。それも電話でですよ、「うちに若い者が来てるから、頼むよ」というその電話一本で入門が許されちゃったんですから。


――もちろん今からでは後付けではありますけれど、一本道ですよね。

そうですね。敷かれていたレールみたいな。


――あとはこういういい方は失礼ですが、無駄のない人生ですよね。

あっちいったり、こっちいったりは全くないですからね。今、学校寄席に行って、ばかばかしい噺だけではなんですから、最後に一言、必ず言うのは、とにかくいろんなものを見聞きしてくださいと。何が自分に向いているのか、それは興味をもってみないとわからないと。僕はそれがたまたま落語であったという話であって。だから皆さんもいろんなものに興味を持ってください。ただただ学校に行って就職してというのではなくて、好きなものを見つけてください、というマジな話をするんですよ。最後にね。


――それはいい話ですね。実際、師匠がそういうことを言われるから説得力も持つだろうし、それは事実ですものね。子供の頃は、自分の狭い半径の中にいて、狭い興味の中しか知らずに育ってしまいます。

僕ね、この商売に入って、船に乗る仕事を毎年やっているんですけれど、世界一周をする船ですよ。で、船に乗るようになって、ああ、船乗りになっていればよかったなとか思ったりしますよ(笑)。噺家になろうと思う前は電車の車掌になろうと思っていましたから。乗り物に興味があって。いや、船乗りいいなって。なんで、中学の時に船っていう選択肢がなかったかな? って。いやいや、俺が船に乗れるのは、噺家になったからだって(一同爆笑)。

後編に続く


商品情報

VIBF-5489_kikunojo

本格 本寸法 ビクター落語会 古今亭菊之丞 其の壱 愛宕山/紙入れ [DVD]

ビクターエンタテインメント 2013.9.28発売
DVD VIBF-5489 ¥2,800(税込)

以前発売されていたものを、新装パッケージにて再発売。菊之丞師の粋が冴えわたり非常に楽しい出来となった「愛宕山」、師の女性の描写が光る「紙入れ」の2席をHD画像で収録。価格も落語DVDとしては低価格帯の2,800円に設定し、本物の落語を一人でも多くの人に触れてもらおうと企画した一枚。

 

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本格 本寸法 ビクター落語会 古今亭菊之丞 其の弐 妾馬 百川 [DVD]<新編成>
ビクターエンタテインメント 2013.10.28発売
DVD VIBF-5490 ¥2,800(税込)

「本格 本寸法 ビクター落語会DVD」再発売シリーズの際に、未発表映像を発掘して商品化したのが、この「古今亭菊之丞 其の弐」。
収録演目は、師の得意ネタであり滑稽噺とも人情噺ともとれる絶妙な出来に仕上がっている「妾馬」と、とにかく最高にばかばかしさが冴えわたる「百川」の2席。
どちらも、古今亭ならではの流れるようなリズム感と、言葉のグルーブに酔いしれることのできる秀逸な出来となっている。必見。

 

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こういう了見」古今亭菊之丞

WAVE出版 2010/11/19

菊之丞師の初にして、現在唯一の著作。
寄席を愛した学生時代から、厳しい修業時代、たった一人での真打昇進の内情など、今だから語れるストーリーが満載。
このスペシャルインタビューと是非とも併せて読んでいただきたい内容。

 

 


古今亭菊之丞 主な出演予定
(最新の情報は、画面右上のカレンダー下にある検索ボックスに噺家の名前を入れて検索してください)

2014/01/04(土) 18:00
第百三十六回 にぎわい座 名作落語の夕べ
横浜にぎわい座 芸能ホール (神奈川県), 神奈川県
桂歌丸 / 春風亭一朝 / 桂文治 / 古今亭菊之丞

2014/01/11(土) 14:00
第205回府中の森笑劇場/東西若手花形の会
府中の森芸術劇場 ふるさとホール (東京都), 東京都
柳家三三 / 桂米團治 / 古今亭菊之丞 / ナイツ

2014/01/11(土) 18:00
第205回府中の森笑劇場/東西若手花形の会
府中の森芸術劇場 ふるさとホール (東京都), 東京都
柳家三三 / 桂米團治 / 古今亭菊之丞 / ナイツ

2014/01/12(日) 18:00
ノラや寄席 新年会
高円寺HACO, 東京都
古今亭菊之丞

2014/01/21(火) 19:00
みなと毎月落語会 古今亭菊之丞独演会
港区立麻布区民センターホール (東京都), 東京都
古今亭菊之丞

2014/01/24(金) 18:30
第50回特撰落語会【一日目】
江東区深川江戸資料館 小劇場 (東京都), 東京都
柳家権太楼 / 柳亭市馬 / 古今亭菊之丞 / 三遊亭兼好 / 桂宮治

2014/01/29(水) 18:30
1月落語協会特選会 第3回 菊之丞「完全」独演会
池袋演芸場, 東京都
古今亭菊之丞

2014/02/27(木) 19:00
第305回県民ホール寄席~馬車道編~ 古今亭菊之丞 独演会
関内ホール 小ホール (神奈川県), 神奈川県
古今亭菊之丞

2014/03/02(日) 11:30
渋谷に福来たるSPECIAL 2014 ~二人会フェスティバル的な~ 江戸の粋
渋谷区文化総合センター大和田 伝承ホール (東京都), 東京都
橘家文左衛門 / 古今亭菊之丞

2014/03/07(金) 19:00
特選若手落語会 笑ホール寄席
たましんRISURUホール(立川市市民会館)小ホール, 東京都
柳家花緑 / 古今亭菊之丞 / 三遊亭王楽 / 立川志らべ

2014/03/28(金) 18:30
第19回菊之丞・柳朝二人会
池袋演芸場, 東京都
古今亭菊之丞 / 春風亭柳朝