【スペシャルインタビュー】古今亭菊之丞 後編



kikunojo


古今亭菊之丞(ここんてい きくのじょう)

本名 小川亮太郎
生年月日1972年10月07日
出身地 東京都渋谷区西原
出囃子 元禄花見踊り
1991年 千葉県立国分高校卒業
5月21日、二代目古今亭圓菊の門下となる
7月1日、上野鈴本演芸場にて前座となり菊之丞を名乗る
10月10日、新宿末廣亭にて初高座
以後、都内各寄席、NHK東京落語会、BS落語特選会、三越落語会、有楽町マリオン寄席、にっかん飛切落語会などで前座修行
1994年 11月1日、菊之丞のまま二ツ目に昇進
1996年 この年より世界一周クルーズ等、船上にて口演
1998年 2月、北とぴあ若手落語家競演会大賞受賞
2001年 6月より、千葉県行徳警察協議会委員を任命
10月、NHK新人演芸コンクール本選出場
11月、市川市市民文化賞奨励賞受賞
2002年 10月、NHK新人演芸大賞・落語部門大賞受賞
2003年 9月、初代古今亭菊之丞として真打昇進
2008年 平成19年度 国立演芸場 花形演芸会 金賞受賞
2013年 芸術選奨文部科学大臣賞新人賞受賞


新年のスペシャルインタビューの初回を飾ってもらった古今亭菊之丞師。その前半では、師が中学生の時から寄席通いをして、いかにして今に至る土台を築いたかという、ある種ほのぼのした部分もあるインタビューをお送りしたが、この後編はうってかわって、過酷な修業時代を耐え抜いたからこそ見えた景色を、耐え抜いたからこそ言える言葉で語ってくれている。
厳しい修業時代、古今亭の名で大活躍する今、そして今後へと、話は進んで行くも、師の落語愛が、「今をときめく古今亭菊之丞」としてではなく、今を生きる一人の40歳代前半の噺家として、真摯に、生々しくも、時に朴訥な人柄さえうかがえる展開となった。
「古典落語に現代的な入れごとはしない」というポリシーから、新作にも挑戦した前座時代をなぞって今後の自分のあり方、そして、私がうかつな質問をしたが上に聴くことのできた「古今亭の真骨頂」など、読みどころが満載の内容となっている。
長時間に及んだインタビューは後半になって打ち解けてきたせいもあり、師自ら話を大きく脱線させて、興味深いエピソードを聞かせてくれる等、聴き手としてもとても手ごたえのあるインタビューとなった。最も江戸〜明治の風を感じさせる若手噺家として人気、実力共に頭一つ抜けている存在であることは確かだが、同時に、2014年という今を、そしてこれからをどう生きていくべきかを、ここまで赤裸々に語っているテキストはそうそうないのではないかとも思っている。
前編でも触れたが、私は2013年8月、9月、10月とビクター落語会のDVDの再発売を監修し、その際に古今亭菊之丞師の「妾馬」「百川」の映像をライブラリーの中から見つけ出して、新商品として世に出した。その発売記念の会では、師は「妾馬」を披露してくれたのだが、音響として高座横で見た「妾馬」は本当に見事で、役得に尽きると思った。個人的にも師の高座を数多く拝見した2013年。この原稿をまとめるに際し、2013年の取材は菊之丞師で締められ、2014年を師のインタビューから始められることの嬉しさを感じずにはいられない。
そして、昨年、ゼロからスタートしたこのサイトは、この師のインタビュー後編の掲載をもって、満1周年を迎える。感謝を込めて、後半のスタートです。
取材・文章・写真:加藤孝朗

この世界で生きていきたいという気持ちが強かったんでしょうね。まあ、なぜだか、辞めようという気にはならなかったんですよ。

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――圓菊師匠は、相当厳しい方だったとお伺いしています。

厳しかったですよ。


――その厳しい修業に耐えられた原動力は何だったのでしょう。

簡単な話、落語が好きだったから、落語が捨てられなかったからでしょう。早い話が、名前を取り上げられちゃったら、タダの人なんですよ。古今亭という名前があるから自分は落語家でいられるのであって、この師匠をしくじっちゃって、「お前は、もういい、来なくて。もう、古今亭の名前を使うな。菊之丞を使うな」と言われたら、単なるアマチュアの愛好者になってしまうんですよ。私に限らず、皆、なぜ、そんな苦しい修業に耐えるのかというと、その師匠の理不尽に応えていくのかというと、それは名前ですよ。看板ですよ。看板を取り上げられちゃったら、もう商売が出来なくなっちゃう。その為に歯を食いしばって耐えるんですよ。


――なるほど。

いわゆる、鞍替えみたいなことも出来ないわけですよ。今は、多いんですけどね。どこかをクビになって、別の一門に行ってそこもクビになってみたいなのが多いんですけれど、本来そういうのは許されない。だから、歯を食いしばってここで頑張ると、もちろん自分が選んだ師匠ですからね。そりゃギャップはありますよ。高座で見て凄い優しそうな感じだったので入ってみたらそうじゃないとか、逆に高座で見てすごく怖い人だなと思ったら、凄く弟子に甘かったりとか。要は、入ってみなけりゃ分からない。でも、自分が選んだ道ですから、そこで耐えて行かないことには、しょうがないわけですよね。


――ご本にも書いてありましたが、「死にたい」と思う所まで行ってしまったと。

はい。もう、半分ノイローゼみたいなものですよ、今で言えば。


――そこまで精神状態が行ってしまったにもかかわらず耐え抜いたのは、落語というものに対する執着が凄かったというか、気持ちが勝ったんですね。

この世界で生きていきたいという気持ちが強かったんでしょうね。まあ、なぜだか、辞めようという気にはならなかったんですよ。


――高校を出たばかりというのもあって、年齢的にも、経験的にも、飛び込んで行った落語の世界がすべてだったんでしょうね。俯瞰で考えてみれば、辞めてしまって他の世界で生きていくという人生の選択もある訳じゃないですか。それが、その時はそれ以外の選択肢にはなかったのかもしれませんね。

選択肢がなかったというのもそうですが、俯瞰で見られなかったんでしょうね。自分の目の前にある、この小さい中だけで生きていたのかもしれません。だから、ちょっと遠くから見て、オレはこの先どうやって生きて行けばいいかというようなことは考えられなかったんですよ。とにかく明日のことに追われて。明日、何か言われなきゃいいなとか、明日、兄弟子に小言言われなければいいなとか。


――では今思うと、その目の前のことにとにかく集中して、必死に耐えぬいて、今に至るという感じですか。

そうですね。ただ、修業が終わると、おかみさんの態度がガラッと変わりますからね。二ツ目になったとたんに。例えば食事をしていたとすると、今までなら「何をもさっとしてるの、早く食べて、洗物やっちゃいなさいよ。なかなか片付かないじゃないの」と小言をくっていたのが、二ツ目になったとたんに、「いいのよ、洗物は私がやるから」とおかみさんが言ってくださるわけですよ。でも「いいですよ、僕がやりますよ」っていうと、「いいの、すまないわね」って。結局、洗物をするのは変わらないんですけどね(笑)。でもそういう優しいことを言ってくださるわけですよ。その時に、分かるんですよね。そうか、それが修業というものなのか、と。その時に、やっと少し遠くからというか、俯瞰で見られるようになったんでしょうね。その真っ只中では、心の余裕なんてものは無いんですよ。全くない。毎日、師匠の家に行って、寄席に行って、帰ってきて、タダ寝るだけですよ。で、また早くに師匠の家に行って、寄席行ってと。それぐらい狭い世界の中で。どこかに遊びに行くことも出来ないし。


――寄席は休みもないですからね。

元日から大みそかまでやってますから。だから、余裕が少しできてきて、初めて、あ、そういうことだったのか、修業というのは、と合点がいくようなことは多かったですね。正直言って、師匠を恨みもしました。どうして毎日毎日、理不尽なことを言うんだろうと。


――白いものを黒だと言ったら、黒の世界ですものね。

で、翌日は、白に変わったりしますから。もちろん、頭では分かってはいましたよ、入門する前には、修業というのはそういうものだというのは。小島先生からも、大変だよ、いろいろと言われてはいましたけれど。実際体験してみて、これは大変な世界へ来てしまったなと思いましたよ。


――今から振り返って、俯瞰で見ると、噺家としての基礎を作る期間であって、人間としての基盤を作る時間であると、それは必要不可欠であると腑に落ちていらっしゃいますか。

そうですね。修業が終わってからですけどね。師匠が常々言っていたのが「オレはお前たちに落語を教えているんじゃない。人間としてどうやって世の中を生きて行けばいかということをオレはお前たちに教えているんだ。で、それが即落語に通じるんだ」と。落語の中にもいっぱいそういうのがあるじゃないですか、人間どういう風に生きて行ったら辛いことを楽しくできるのかとか、こうやって生きて行けば摩擦が少なく生きていけるとか、そういう人生のエッセンスがいっぱい入っている。それを落語は扱っているのであって、演劇じゃないんだからと。台本があって、それをよどみなく喋ればいいってもんではなくて、もうつっかえようが、同じところをぐるぐる回ろうが、相手にその人間の生き様、生き方というものを伝えられれば、それでいいと。

映画よりも、画が浮かぶっていうのは、我々にとっては最高の褒め言葉ですからね。

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――今年僕が観た高座の中で、春に師匠が伝承ホールでやられた「景清」が突出して印象に残っています。あの噺は、言ってしまえば、目が見えなくなった人が再び目が見えるようになるという、一種のファンタジーですよね。そのファンタジーであるはずの噺が、妙なリアリティをもって迫ってきたのが印象的でした。一種の矛盾をはらむんですが、ファンタジーにリアリティを持たせるというのは、噺の途中で我に返ってしまうことがないというか、集中させる度合いの凄さがある気がします。その上、師匠は、現代的な入れごとは一切しないですよね。

しないです。自分では意識してというのでは余りないんですよ。伝統芸能ですからね。正直な話、教わったものをそのままやって、また後世に伝えて行くという芸能ですから。だから、あの噺も本筋は変わらないわけですよ、誰がやったって。ただ、当代の噺家が、いろいろと磨いたり、入れたりして今のお客様に合うようにやるんでしょうけれど。うーん、なんだろうな、今は、いろんなことを入れちゃうっていうのが多いですけれど、入れてねぇ、もちろん面白いんですよ。それでどんどんお客様もついてきているという状況もありますし。でも、あんまり入れ過ぎちゃうとね、じゃあ、この噺の本筋はなんですかと言っちゃうと、それを入れちゃうと、お客さんが我に帰っちゃうじゃないですか。我に返らせてはさせてしまってはダメだと。現代に帰ってしまっては台無しになってしまう噺というのは、やっぱりある訳ですよ。


――わかります。

だから、全部自分で選択して、これはもう随所に入れごとをして遊んじゃっていい噺は、そうします。けれど、この噺は入れちゃうことによってボーンと、あ、現代って、我に帰してしまってはいけない噺っていうのは、いっぱいあると思うんです。


――それまで引き込まれて行った時間を無にしてしまうことにもなりますし。

そうそう。もったいないというかね。それは自分で判断をしなくてはいけないんですよ。でも、今は、それを自分で判断できない落語家が結構いるんではないかという気はしていますね。その使い分けというか。これには、入れちゃいかんのだ、というね。時には、ふっと思い浮かぶこともあるんですよ。ここに猪瀬さんを入れたり、徳洲会を入れたりしたら受けるのは確実なんだけれど、ここで入れちゃったら本質からそれてしまうと。でもこれは人に強制するものでもなく、何が正解というものでもないので。入れるべきところで入れて、ワッと受けて掴んでいる噺家もいる訳で。


――それは、その人それぞれのスタイル次第ですよね。

そうそう。役目や役割分担なんだと。その人のポジション次第ですよね。だから景清なんかも、僕は、あのままやった方がきっといいはずだと思っています。あ、あの噺で何か妙なリアリティがあると言われたのは、一つ理由があるかもしれませんね。実は、僕は、あの噺をやるときには必ず上野の清水堂へ行くんですよ。お参りして、「今日、景清やります、よろしくお願いします」って。でも、「あ、そうか、主人公は目が見えないから、景色は見えないんだよな」、とかね。で、降りてきて弁天様もお参りして、で、「ひょいと本郷台」ってやっていたんですけど、「あ、そうか、お参りしてきたら、本郷台はこっちの方角か」って、確認できると、ちょっとした噺の中の振りが変わるわけですよ。


――ディテールの積み重ねですね。

それに、この噺は金馬師匠に習ったんですけれど。金馬師匠はもちろん文楽師匠に習っているんですが。一言だけね「あ、こんなに濡れちゃって、本当にすっかり雨が上がっちゃってな、あんなとこに月がでてやら」って台詞は文楽師匠にはないんですよ。これは金馬師匠が入れたんです。「あんなとこに月がでてやら」という一言で、お客さんのあのざわめきというのか、声にならない「あ、見えちゃったんだ」という一瞬の力ね。こういう入れごとだったら、僕は大歓迎というか、本当にすごいなと。妙なことを入れなくとも、ぱーっとお客さんの脳の中に光景が広がるという、ね。これで、景清という噺の凄さを改めて感じさせられもするし。


――今、解説いただいただけで、またあの時に景清を聴いた時と同じ感覚に陥ると共に、鳥肌が立ちました。

鳥肌が立ったと言えばね、中学の時に先代の文枝、その時は小文枝だったんですけれど、末廣亭で初めて独演会をやるって時に観に行ったんですよ。その時に向こうで言う「たちぎれ線香」、東京で言う「たちきり」ね、あれをおやりになったんです。あの噺を初めて聴いたんです。上方の師匠がおやりになると、地唄の「雪」が入るじゃないですか。それがね、三味線がシャンとなったとたんに、ゾーッとなりましたよ。


――あの場面はすごいですよね。クライマックスへの持って行き方と言うか、追い込み方というか。映画以上の迫り方がします。

そうですよね。あ、映画で思い出したんですが、俳優の千葉真一さんがね、ついこの間ですよ、鈴本で僕がトリをとっている時に来てくださったんですよ。で、「今日、楽日なんですけど」って聞いたら、「行く」って言ってくださって、打ち上げにあの千葉真一さんがいるよって(笑)。で、「どうでした?」って聞いたら、「僕ね、初めてね、生で落語を聞いたんだよ。凄いね。画が浮かんだんだよ。僕らは画が浮かぶと、すぐに映画が撮りたくなるんだよね。」って言ってくださって。


――それは嬉しいですね。

映画よりも、画が浮かぶっていうのは、我々にとっては最高の褒め言葉ですからね。


――想像の光景をお客さんの中に広げるのが醍醐味ですものね。

人によっては色まで浮かぶって言いますからね。廓噺をやったら、「部屋の色は、赤でしょ」とかね(笑)。いや、私は、そこまで考えてやってはいないんですが…みたいなことも(一同爆笑)。でも、そこまで想像してもらえるというのは、こちらも商売冥利に尽きるとい言いますかね。ありがたいなってね。


――色を感じることもあれば、匂いも感じることもありますし、先ほどの景清で言うと寒さを感じで、それが裏寂しさにつながるんですよね。

ああ、なるほど。そういうこともあるんですね。嬉しいですね。


――今、落語の聞き方として、昔にはなかった「誰を聴く」という聴き方が出てきていると思います。いろんなタイプの方が出てきている今、聴き手からすると、落語は百花繚乱の時代に入ったような気がして嬉しくもあります。僕はどちらかというと「古典原理主義」的な部類に入るのですが、より現代的なアプローチで古典をやられる方も増えていますし、新作派も勢いがあります。その中で、菊之丞師匠は古典を古典として非常に丁寧にやられるスタイルをお持ちですが、自分の立ち位置や、ポジションのありようを意識したのはいつぐらいからなのでしょうか?

僕はね、それは、ないんですよ。もしかしたら僕が、この先ですよ、先代の三平師匠の様な芸風になるかもしれない(笑)。わからないですよ、これは。本当に。日々進化していかなくてはいけないものだから、今の形に固まってしまったらいけないんでしょうね。


――なるほど。なかなか想像はつかないですが(笑)

もしかすると、「うわー」とかいって高座を駆けずり回っているようなね。そうなるかもしれないですよ。この先。分からないですが、お客様がそれを望むようになるのであれば、そうなるのかもしれませんし。今の形に固まるつもりも、固めちゃうつもりもなくて。もしかすると生涯、このままいくのかもしれないし。


――先の長い商売ですからね。変化する可能性は十分にありますよね。

そうそう。だから、どのように変化するかなんて、僕にも分からないし、お客様にも分からないし。


――で、きっと、どう変化していくのか分からないというのを、師匠ご自身が楽しみにされている部分もあるのかなと思います。

そうですね。どうなるのかなって。このまま固まるつもりは、自分にはないです。ただ、何か色々と物事があって、ふっと、自分はなぜこの商売に入ったのかと考えるような時が来た時に、「あ、オレはこれをやりたかったんじゃん」というのは、今やっていることにそうそう外れては行かないんじゃないかなと思います。僕が中学の時に聴いたあの師匠、この師匠。あの出てきた時のきれいさとか、この言い回しがとてもよかったとか、それをオレはやりたいんだなと考えたら、そうそう変わらないような気はしますけれど。


――原体験は原体験としてありますからね。

ねぇ。でもお客様のご要望でこの先変わっていくかもしれないし、それは、自分も、お客様も分からない。


――それは、聴く側としても楽しみの一つでもありますし。

まあ、それが、いわゆる、化けるということに繋がっていくことになるんでしょうね。枝雀師匠だってもともとは陰気な芸だったって聞きますし、三平師匠だってそんなに器用な人ではなかったとか、いろいろとそんな話を聞きますしね。


――その化けるという瞬間を見たいがために、見る側は追いかけ続けます。

まあ、変化し続けないといけないでしょうね。

やっぱりすごいんですよ、落語は。すべてのエッセンスが詰まっていて、何をやっても結局はそこに行く

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――師匠は、新作をやられた経験はあるんでしょうか?

ありますよ、何本かは。前座の時には、「実験落語」という圓丈師匠主催の会にも出ました。


――渋谷のジャンジャンですか?

一回だけ出たことがあるんですよ(笑)。まあ、やりにくいコヤですね。


――まあ、そうですね。ライブハウスですからね。あの会は、自作のものを持って行くんですよね。

ええ、そうです。毎回テーマがあって、その時は確か「映画」で、映画にまつわる噺をしましたよ。自作が基本で、前座に至るまで自分で作ってこいと。


――それは、いかがでしたか?

いやぁ、向かないなと(笑)。新作は難しい。


――また別の能力が必要になりますよね。

そうですよね。作るという力と、演じるとう力と。まったく別々の作業が必要ですから。その後も、何回かはやったことがあるんですがね。僕がやるとね、現代にならないんですよ(一同爆笑)。主人公は現代人なんですよ、その噺は。でも、まったく現代にならない(笑)。自分でわかるんですよ、言ってて。違うなこれって。ついつい、古典落語の合いの手の様な口調が出てきてしまうので。


――分かるような気がします。こうやってお話をお伺いしているだけでも、やはりそこはかとなく古典の香りがしますからね。これで、現代の話をやられても、ちょっとついていけないかもしれません。

単に、登場人物が、田中君、山田君にしただけ、というね(笑)。


――ただ、今後、菊之丞師匠の新作が聴ける可能性はなくはないですよね。

そうですね。別に拒絶しているわけではないので、機会があればやるでしょうね。


――古典を大幅にいじった改作という分野はどうでしょう?

それもなんかね。単にオリジナルを壊して。自分に発想がないから古典というものを借りて、やっているような気がして、なんか嫌なんですよ。失礼な話になってしまいますが、新作の師匠方も何人も面白い方はいらっしゃいますよね。で、こんなにすごい発想、僕の頭じゃどうやっても作れないなという噺をされる方も何人もいますけれど、どうかすると、「これ、あの噺のあそこじゃない」「ここの部分は、あの噺のここじゃない」「全体の持って行き方は、あの噺のままじゃない」みたいなことが多いんですよ。それが新作なのって。ちょっと辛い言い方ですけれど。でも、これはしょうがないんですよ。落語家としての修業をして、それが身についているわけですから、どうやってもそういう持って行き方になってしまうんです。ついつい言ってしまうんですよ、展開の飛び方とかね。そうじゃなくて、もっと奇想天外のものが聴きたいですよ。焼き直しの様なものをやるんだったら、僕は、古典で堂々と勝負をしたいと思いますね。


――そこに愛情もありますしね。

そうなんです。やっぱりすごいんですよ、落語は。すべてのエッセンスが詰まっていて、何をやっても結局はそこに行くみたいな。いろんな状況設定をしていっても、「それは、あの落語のあの部分ですよ」ってね。


――落語のフォーマットとしての優秀さや、一つのエンターテインメントとしてのフォーマットの秀逸さは明らかですからね。

ねぇ。それを指して、談志師匠が「人間の業の肯定」と言ったんでしょうけれど。僕も、その通りだと思います。人間、何をやっても、あの落語のあの部分。それが落語なんだろうなと。


――師匠の落語のテンポ感はすごいですよね。グルーブしているんですよ。先日発売されたビクター落語会のDVDにも収録されていて、11月に開催したそのDVD発売記念のビクター落語二八会でもやっていただいた「妾馬」が、非常にすごい。噺の中で、八五郎が御前に出るまでにいろいろ細かなエピソードがあるじゃないですか。でも入れごとは全くなく、きっちりと笑わせる。あの展開のスピード感と、そのリズムの躍動感には本当に感心させられっぱなしなのですが、相当意識はされていますよね。

それはね、たった一言で言いますが、師匠の言葉なんですが、「古今亭なんだよ、オレ達は」。


――ああ、そうか。そうですよね。

古今亭は、トントンと。もたもたしていちゃダメだ。というのは最初に言われました。グズグズしていちゃいけない、と。僕は、この噺を一朝師匠に習ったんですよ。一朝師匠は志ん朝師匠に習って。志ん朝師匠のあの流れるような歌うような感じで行くんですよ。でも、あまり歌い過ぎると、今度は流れちゃう。そこが難しい。兼ね合いなんですよね。何かちゃんと引っかかりがないといけない。その兼ね合い。流れるようにと、ためる。それがね、細かいんですよ、大雑把じゃないんですよ。ここまでは流れるように、ここはためてと、一言一言あるんですよ。「お前、その一言はさっといかないといけない」とか。「そこは、さっと言っちゃったら逆に引っかからねぇだろう」とか。もう、一行一行なんですよ。


――それは緻密な作業なんですね。

あの、ぞろっぺな古今亭の一家だと思っていたら、実に緻密な計算があったんだと思ったりして(笑)。


――先日の「妾馬」で非常に心惹かれた部分というのは、古今亭の魂にふれたということですね。

そうですね。我々の真骨頂のテンポの良さです。その対極に柳家という、ここはもうじっくりとためていくみたいな家もありますからね。


商品情報

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本格 本寸法 ビクター落語会 古今亭菊之丞 其の壱 愛宕山/紙入れ [DVD]

ビクターエンタテインメント 2013.9.28発売
DVD VIBF-5489 ¥2,800(税込)

以前発売されていたものを、新装パッケージにて再発売。菊之丞師の粋が冴えわたり非常に楽しい出来となった「愛宕山」、師の女性の描写が光る「紙入れ」の2席をHD画像で収録。価格も落語DVDとしては低価格帯の2,800円に設定し、本物の落語を一人でも多くの人に触れてもらおうと企画した一枚。

 

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本格 本寸法 ビクター落語会 古今亭菊之丞 其の弐 妾馬 百川 [DVD]<新編成>
ビクターエンタテインメント 2013.10.28発売
DVD VIBF-5490 ¥2,800(税込)

「本格 本寸法 ビクター落語会DVD」再発売シリーズの際に、未発表映像を発掘して商品化したのが、この「古今亭菊之丞 其の弐」。
収録演目は、師の得意ネタであり滑稽噺とも人情噺ともとれる絶妙な出来に仕上がっている「妾馬」と、とにかく最高にばかばかしさが冴えわたる「百川」の2席。
どちらも、古今亭ならではの流れるようなリズム感と、言葉のグルーブに酔いしれることのできる秀逸な出来となっている。必見。

 

ryoukenn

こういう了見」古今亭菊之丞

WAVE出版 2010/11/19

菊之丞師の初にして、現在唯一の著作。
寄席を愛した学生時代から、厳しい修業時代、たった一人での真打昇進の内情など、今だから語れるストーリーが満載。
このスペシャルインタビューと是非とも併せて読んでいただきたい内容。

 

 


古今亭菊之丞 主な出演予定
(最新の情報は、画面右上のカレンダー下にある検索ボックスに噺家の名前を入れて検索してください)

2014/01/04(土) 18:00
第百三十六回 にぎわい座 名作落語の夕べ
横浜にぎわい座 芸能ホール (神奈川県), 神奈川県
桂歌丸 / 春風亭一朝 / 桂文治 / 古今亭菊之丞

2014/01/11(土) 14:00
第205回府中の森笑劇場/東西若手花形の会
府中の森芸術劇場 ふるさとホール (東京都), 東京都
柳家三三 / 桂米團治 / 古今亭菊之丞 / ナイツ

2014/01/11(土) 18:00
第205回府中の森笑劇場/東西若手花形の会
府中の森芸術劇場 ふるさとホール (東京都), 東京都
柳家三三 / 桂米團治 / 古今亭菊之丞 / ナイツ

2014/01/12(日) 18:00
ノラや寄席 新年会
高円寺HACO, 東京都
古今亭菊之丞

2014/01/21(火) 19:00
みなと毎月落語会 古今亭菊之丞独演会
港区立麻布区民センターホール (東京都), 東京都
古今亭菊之丞

2014/01/24(金) 18:30
第50回特撰落語会【一日目】
江東区深川江戸資料館 小劇場 (東京都), 東京都
柳家権太楼 / 柳亭市馬 / 古今亭菊之丞 / 三遊亭兼好 / 桂宮治

2014/01/29(水) 18:30
1月落語協会特選会 第3回 菊之丞「完全」独演会
池袋演芸場, 東京都
古今亭菊之丞

2014/02/27(木) 19:00
第305回県民ホール寄席~馬車道編~ 古今亭菊之丞 独演会
関内ホール 小ホール (神奈川県), 神奈川県
古今亭菊之丞

2014/03/02(日) 11:30
渋谷に福来たるSPECIAL 2014 ~二人会フェスティバル的な~ 江戸の粋
渋谷区文化総合センター大和田 伝承ホール (東京都), 東京都
橘家文左衛門 / 古今亭菊之丞

2014/03/07(金) 19:00
特選若手落語会 笑ホール寄席
たましんRISURUホール(立川市市民会館)小ホール, 東京都
柳家花緑 / 古今亭菊之丞 / 三遊亭王楽 / 立川志らべ

2014/03/28(金) 18:30
第19回菊之丞・柳朝二人会
池袋演芸場, 東京都
古今亭菊之丞 / 春風亭柳朝