【スペシャルインタビュー】柳家さん生



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柳家さん生

昭和32年(1957年) 3月7日 富山県富山市西町生まれ

昭和50年 富山県立富山東高校卒業

昭和52年 日本大学芸術学部中退 
柳家小さん門下 柳家小満んに入門 前座名 小勇

昭和57年 3月 小勇のまま 二つ目昇進

平成5年 9月 真打昇進 小勇 改め さん生

現在、上野鈴本演芸場等、寄席定席に出演のかたわら、都内各所にて勉強会、独演会を精力的に開催、活躍中。


落語版・笑の大学
人気劇作家・三谷幸喜の傑作戯曲を、柳家さん生師が特別に許されて落語化し1999年から公演を重ねている。思想や言論統制が進む太平洋戦争間近の昭和15年舞台に、喜劇作家とその喜劇台本の内容を精査する検閲官との丁々発止の駆け引きを描いた作品。
登場人部は劇作家の椿一(つばき はじめ)と検閲係の向坂睦男(さきさか むつお)の二人のみで、描かれるのも検閲室の1シーンのみ。ここで、二人のドラマが始まる。

「あらすじ」
日本が戦争への道を歩んでいた昭和15年。あらゆる娯楽は規制され、演劇も台本の検閲を受けないと、上演の許可が取れない状況にあった。劇団「笑の大学」の作家である椿は、台本の検閲を受けるために取調室に向い、そこで検閲官の向坂と出会う。
笑いを理解しようとしない堅物の向坂は、喜劇は世の中に必要ないという考えのもとに、「笑の大学」の上演を中止に追い込もうと、台本の内容に様々な難癖をつけ、笑いの要素を排除するように求める。一方、椿は向坂の要求をのみつつ台本に修正を加えるものの、必死に笑いの要素をなんとか盛り込もうとする。
修正の指示が出て、一晩で書き直し、また翌日に修正と、そんな二人のやりとりが続いた後に、向坂は笑いを一切排除した内容に書き換えることを指示するが、椿は今までで最も笑が多い台本を書きあげてしまう。そして、椿のもとにも赤紙が届く。
7日間の台本をめぐる攻防は、二人の中に繋がりを生み、劇的な結末を迎える。



「笑の大学」とは、三谷幸喜氏が原作の喜劇で、1994年にラジオドラマとして発表された。その後、舞台、映画とさまざまなフォーマットで発表されいずれも高い評価を得ている。特に映画は話題作となったため、この作品に触れたことのある人も少なくないはずだ。

実は、この「笑の大学」は、落語版もある。柳家さん生師が、三谷氏から特別に許されて、公演を重ねている。初演は1999年。場所は、東京サンシャインボーイズ、劇団☆新感線、大人計画等の人気劇団を育んだ、今はなきシアタートップス。その後も、博品館劇場や、大銀座落語祭など、場所をかえて再演を重ねてきた。そして、今年、「落語版・笑の大学」が帰ってくる。それも今回は、東京、大阪公演だけではなく、さん生師の故郷である富山公演も行われる。

さん生師という魅力的な噺家が、三谷氏作の名作を口演する。そこには、どんなマジックが宿るのか。ラジオドラマ、舞台、映画で発表されたものが、どのように落語として形を変えるのか。じっくり話を伺ってきた。

取材は、さん生師の驚くほど心地いい声と、おおらかな人柄に包まれて、非常にリラックスしたムードの中で行われた。つられて私もかなり喋らされた気もするが、さん生師も、一歩も二歩も踏み込んで、先代の小さん師匠との思い出話まで語ってくれた。

取材・文章・写真:加藤孝朗

要は私の中では、「抜け雀」も、「死神」も、「笑の大学」も同じレベルに入っちゃってるんですよ、体の中に。

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――いきなり、本題からずれた質問で恐縮ですが、先日花緑さんから、「あまちゃんに主演した能年玲奈さんの落語のファーストコンタクトは、さん生兄さんの「笑の大学」なんだよ」っていう話を聞きまして。

そうなんですよ。「笑の大学」のスタッフが、能年さんの事務所の方を知っていて、見に来てくださったんです。「来年の4月から主役のドラマをやるんです。よろしくおねがいします」って。楽屋で話したら、「落語、初めてなんです」って。「頑張ってねぇ」とか言って、一緒に写真撮ったりしてたんです(笑)。そうしたらあんなにブレイクしちゃって。


――それはいつの公演ですか。

一昨年12月の下北沢での公演です。その後、彼女、末広亭に行ったんでしょ、花緑がトリの時に。花緑と写真を一緒に撮ったって。それを花緑のツイッターで見て。てめぇ、このやろうって。いい思いしてんなぁって(一同爆笑)。でも、皆に言われますよ、楽屋で。僕のツイッターのフォロワーに能年さんの名前があるもんだから。なんで知ってるんですかって。


――能年さんはどのような感想でしたか。

かなり強い衝撃があった感じでしたよ。おもしろいって言い方はしていましたけど。その程度の感覚じゃない感じでした。興奮した様子だったので、嬉しかったですよ。まあ、初めての落語が、一時間もある噺ですからね。でも、結局、花緑に全部持って行かれちゃいました(笑)。


――それでは、改めて。まず、三谷さんとの関係からお伺いします。

えっとね、ちょっとややこしいんですが。まず、私は日大芸術学科の落語研究会で、かみさんが後輩なんです。かみさんの落研の同期に、俳優の伊藤俊人くん(故人)がいて、うちに来てよく飲むくらい仲が良かったんですね。で、伊藤くんと三谷くんは日芸の演劇学科で、非常に深い友達で。三谷くんが旗揚げしたサンシャインボーイズで伊藤くんは役者をやっていて、頻繁に芝居を観に行ったり、サンシャインのメンバーはほとんどうちに来ていたりで、交流があったんですよ。特に西村雅彦くんは、僕と同じ富山の出身だし。後に古畑任三郎に出させてもらったりと、もともと繋がりは深いんですよ。


――なるほど。

で、自分の落語会を始めようという時に、何か面白いタイトルにしたいと思って、せっかくなら三谷くんにタイトルを考えてもらおうということになりまして、「わらいぐま現わる」という名前をもらいました。で、その会がちょうど20回目という時に、三谷くんの芝居を落語にしたらどうって案が出て。それいいよね、面白いよねって。で、コンタクトとってみたところ、三谷くんから「笑の大学」はどうですかと言われて、やらせてもらうことになりました。


――どのように作られて行ったんですか。

落語協会の2階で、当時の演出家の前で、とりあえず座ってダーッと喋ったんです。そうしたら、その演出の人が、「落語って動かないからつまんない」とか言い出して(笑)。で、最終的には、「真ん中を、笑の大学のメインの取調室にして、片方には劇団、片方には自宅という設定にして、座布団三枚使って3面の場を作って、動くのはどう」って。


――座布団三枚の場を作って、移動するんですか。

そうそう。でね、ついては、それで噺を作ってといわれまして。もちろん、三谷くんの本は取調室の部分しかないので、自宅と楽屋裏の部分を私が書いて、三面の物語にしたんです。それが、初演です。その時、三谷くんが初日に見に来てくれて、『よかったです』って。


――シンプルな感想ですね。

その後に、「ただ、一言だけいいでしょうか」って言うから、何かと思って期待したら、「検閲係の第一声が凄く優しいんですけど。そこだけ、もうちょっと怖い方が」って。こっちは、「えっ、それだけ」って感じですよ。それだけ言って、帰っちゃった。で、「やっちゃっていいの」って聞いたら、「どうぞ、どうぞ、やってください」と。


――初演は99年ですよね。

そうですね。三谷くんが「シアタートップス」はどうでしょうかって言って、そんな1年2年先じゃないとダメな劇場を、日程おさえましたと。じゃあ、とにかくやりますという感じで、4日間で7回公演やりました。その時は、私と三谷くんのインタビューを朝日新聞が企画してくれて、半面かなんかで載せてくれて、全国から人が何百って集まっちゃった。お陰様で。初演の99年以降、大銀座落語祭でやったり、博品館といろいろな所でやりました。


――その三面でやっていたのが、今の、いわゆる落語のスタイルになった経緯は。

三面で、音も入れてという形で、ずっとやっていたんですが、それだとスタッフも必要だし、そういうのではなく、落語の本来の形に戻すのはどうだろうって提案がスタッフからあって。で、最初の三面を考えた演出家をもう一回呼んで、見せたんですよ。そうしたら、「いいよね、動かずに一人で喋るのは」って。お前、何だったのよ、あれはって(一同爆笑)。今の形になったのは、一昨年の下北沢の公演からです。


――現在の形になってからはまだ日が浅いんですね。

そうそう。でも、濃いですね。今までは、毎回、本当にゼロから思い出すような感じだったんですけど。今の形の、途中に移動も何もしないで、一人で喋る形にしたことによって、本当に落語として、私の中に入っちゃったんです。今までの芝居がらみの感覚が抜けて、ほぼというか、完全な落語になっちゃったんですよ。


――正直、情報だけでは、一体どういう物なのか、なかなか想像がつかなかったのですが、記録映像を見せていただいて、「あ、これは、落語だ」と。ストーリーの進み方もそうだし、ちゃんとサゲもあるし、新作古典関係なく、観客を引き込んでいくという手法は、完全に落語じゃないですか。長講の落語といえますよね。

そうですね。


――「落語版・笑の大学」というとちょっと構えちゃったんですけど、そうじゃないんだと。何か特別なことをやろうという意識とか、動作とかが全くなく、落語を落語としてやっているように思えて、凄く自然に入ってきたんです。非常に秀逸な新作を聴かせていただきましたという印象を持ちました。

ありがとうございます。私もそうだと思います。自分の中で、落語として落ちて来ちゃったんですよ。省いたことで。面白い現象ですよね。

「これ、誰が作ったんですか」とか、「どっかの本に載っているんですか」って聞かれて、「あ、これ、三谷幸喜さん作なの」みたいに、軽いレベルになったらいいなと。

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――三谷さんの本があったんですか、落語用のものが?

いやいや、もらったものは、西村くんと近藤さんがパルコ劇場でやったお芝居の脚本とビデオです。それを自分で全部本として、おこしたんです。基本的に、ト書きやなんかを省いて、喋りのところだけ羅列して。


――作・三谷さんと言いながらも、この企画の本はさん生師匠が作られたものなんですね。

落語台本は私が作りました。で、脚本家の金津さんという方と2人で脚色をしました。より落語としての濃い脚色をしたんです。私の台本をもとにして、彼が思う所を直してくれた。三面やっていたときは、1時間40分から50分ぐらいかかるんですよ。音を入れたり、移動だのって。それはどうしたって長くて。今の形では、大体1時間ちょっとですね。


――短くなりましたね。

知り合いには、45分にならないのかって言われていました。でも、いずれなりそうですよ。自分の中に落ちちゃったんで。要は私の中では、「抜け雀」も、「死神」も、「笑の大学」も同じレベルに入っちゃってるんですよ、体の中に。だから、詰めてやってと言われれば、やれる気がするんです。非常に自分の中で楽しみになってきているんですよね。どっかでトリとったときに45分でやっちゃった、とかね。


――それは楽しいですね。

今回は、稽古も、今までとは違って、落語として当日を迎えるための自分だけの稽古をするという形に近づいています。だから、もっと落語に対してコアになっている。前回は、まくらで三谷くんとの関係とか経緯とかを説明していましたが、今回はもう三谷くんのことはまくらではふらずにおこうかなと。今、そのまくらを考えているんです。


――公演数も多いので、回数を重ねることによって、噺が省かれたり、進化していくことは十分にありえますよね。

あるでしょうね。


――東京で数日間、さらに地方でという興業の打ち方は、お芝居の手法ですよね。お芝居はどの日、どの回に行っても基本的に内容は同じですが、落語はやるたびに内容が変わっていくものだと思います。

そうですね。東京で聴いた人が、最終公演の大阪で聴いたら、同じ噺とは思えないようなことになっているかもしれませんよね。落語ですから。研ぎ澄まされていくかもしれない。ダラダラしているかもしれない。分からないですけどね。分からないからこそ、やってみるという期待感とかありますよね。


――お客さんの反応でも変わりますよね。

そういうことが出来るようになっちゃたんですよ、前回から。あれがウケたから、あの部分を省こうとか、そういうことを落語っていうものは常に考えている。だから、勝手に抜いてみたりとか、勝手に喋ってみたりとか、するのかなと思います。


――前回と何か変更した点はありますか。

前回は、赤紙を出すシーンの為に、赤い手拭いを仕込んでいたんです。でも、それをやめました。出す仕草だけをする。受け取る仕草だけをするということにしたんです。そうしたら、もっと楽になった。前回までは、赤い手拭いをお腹に仕込んで、出すシーンまでそのままにしないといけなかった。だから、他の手拭いをもって行くのを忘れたら、汗をふくのに、これじゃふけないよなとか、無駄なことをいっぱい考えていたんですよ。でも、それをやめた時に、熱演で汗が出ても普通にふいて、普通に喋れるという状況ができた。それが、よけい落語っぽくなっていく第一歩としてはありましたね。


――演出としての決め事があると、難しいですね。

落語の中で驚かすにはいいポイントではあるんですけど、その次の段階として、じゃあ、何の手ぬぐいでもいいのかといったら、これは非常にこの噺にとっては危ない所なんですよね。鮮やかな青の手拭いを出して、赤紙だっていっても、それで観客が納得するかというと、それは無理があるかなと思うし。じゃあ、手拭いは使わないのがいいということに気がついたんです。


――回を重ねることによって、どんどん自分の側に噺を引き寄せていますよね。それは意識的ですか。

無意識になり始めているんです。無意識に、「笑の大学」という特別なものだという意識はなくなりはじめています。私の中では、古典もこれも同じ落語だという思いになり始めている。だから、誰が聴いても落語にしか聞こえないんだろうな。芝居がかるところもほとんどないし。最初と最後は、照明を落としたりすると思うんですが。


――いずれは、何にもしないことにもなるかもしれないと。

そう。落語は、何もしない良さや、凄さがある。結局、「死神」と同じ程度になりかねないから、そこはなるべく避けたいんです。だれもがなんとか工夫して、照明を落としてとかするでしょ。それになっちゃうのは、嫌だなと思うんです。


――なるほど。

それも含めて、自分が普通に喋った時に、誰もこれを三谷さんが作ったと分かってなくて。で、「面白いからやっていいですか」と言われたら、「どうぞ、覚えてやってみれば」って言えちゃったらすごいなって思います。権利の問題が出るから無理なんですけど。そうなる可能性は十分にあって、是非そうしたいと思います。


――これが一つの新作落語として残っていく、伝わっていくということを考えると、夢がありますよね。

「これ、誰が作ったんですか」とか、「どっかの本に載っているんですか」って聞かれて、「あ、これ、三谷幸喜さん作なの」みたいに、軽いレベルになったらいいなと。


――それは、ある種の恩返しになりますよね。「落語版・笑の大学」が、本当に落語として昇華したら。

興行的な面も絡んでいるので「落語版」って言っていますが、そうなるためには、謳い文句は取っ払わなくっちゃいけないですよね。いずれは、私の名前や落語会の名前がどんとあって、演目のところに「笑の大学」と書いてあって、これどんな話なんですかって、みんなが言い出すレベルにならないと。まだ原作が三谷幸喜とか書いているうちは難しいけど、これを消しちゃって動き出すと、また面白いことになるでしょうね。


――そこまでやり続けられる噺ですよね。噺が持つ力、台本が持つ力、師匠が持つ落語としての力、その融合ですよね。見ていて、落語なんだけど新鮮に感じるというのは、その2つの力学があるからなのかなと思います。

三谷君の作り方には、かなりの凄さを感じますよ。爆笑ではないけれども、いわゆる普通の笑いとは、全く違う次元で作られている。ギャグとかではなく、会話の間がずれることのおもしろさとか、これは、そういう本の力がある。登場人物はたった2人で、片方は笑いが分からない、片方は笑わせようとする。この2人の丁々発止だけですから。言葉だけで笑えるところはほとんどない。でも笑えるんです。そして、この本の凄さは、最初からかなり落語に近いものだったということでしょうかね。

新作だ古典だではなく、ただ面白い落語があるんだなって思ってもらえたらいいなと思います。

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――当日の番組は、どうなるのでしょう。

まず私が古典を一席、次にぴっかり☆さん、もしくは宮治さん。そして中入りを経て、「笑の大学」です。


――宮治さんと、ぴっかり☆さんも楽しみですね。

そうですね。特に宮治さんは、協会もちがうので、あまり知らないんです。NHKの賞を取ったということと、その時のテレビを見たぐらいなので。でも、うわさは聞いているので楽しみですね。


――日程には師匠の故郷の、富山公演があります。

自分の会は小さいのはいろいろやっているんですけど、全面に自分の名前が出て大きくやりますっていうのは本当に久しぶりなんですよ。


――そこに、「笑の大学」を持って行かれるものすごい企画ですね。

そうですね。富山の田舎で、これは通じるのかなって不安がありますよ(笑)。北陸の風土として、あまりストレートに感情を表にあらわさないんですよね。寄り添うような形を作らないと、なかなか喜びをあらわさない人たちなんです。だから、同じ富山出身の志の輔は、富山に帰ると全編が富山弁ですからね、すべての噺が。見事にやりますからね。


――すごいですね。

志の輔は、当然食いつきはいいんです。当然地元の言葉で喋るというは、仲間だっていう空気感を作りあげますから。時代ですかね。私が入った頃は、高座でなまるなんてとんでもないことでしたよ。でも、新作で歌之介とかが出てきて、地方の言葉を使い始めて、逆輸入っぽく寄席でそんな言葉を使っても、だれも文句を言わなくなった。そんな時代にやっとなりましたよ。当時だったら、落語の田舎者はそうじゃないんだって言われたと思います。


――根本的な疑問なのですが、落語の中の田舎者って、あれはどこの言葉なんですか。

田舎言葉をつかった江戸弁といったらいいのかな。どこの言葉でもないです。


――非常におもしろいですよね。あれは架空のものなんですね。

そうですね。唯一、田舎がわかる田舎者が出てくるのは「棒鱈」だけでしょうね。九州の人間だっていう。他でも、一応、「信州でがす」とかいうけど、あれも言葉尻だけで、国がどこであろうが全部同じですよ。


――ずっと疑問だったんですよね。

そうそう、この世界に入った時に見習いで、五代目の(小さん)師匠の家に内弟子としていて、傍若無人にも、「稽古つけてください」って頼んだんです。そうしたら「お前よ、レコードとテープがあるからよ、自分で覚えたいのを覚えろ、オレが聞いてやるから」って言ってくれて。自分がなまっているという自覚があったから、いろいろ考えて「藪医者」を覚えたんですよ。これだったら、田舎者がでてくるから大丈夫だろうと思って。でね、「お願いします」って喋ったんですよ。師匠は目をつぶって、寝てるような感じで聞いていて。喋り終わったら、第一声が、「お前よ、田舎者もなまってるな」って(一同爆笑)。もう、何の事だか分からなかったですよ。最初は。びっくりしましたよ。田舎もんだから、なまっていてもいいのかと思ったのに。そうじゃないと。そのときのインパクトが強すぎて、私は、なまりを完全に消したんです。


――江戸弁は江戸弁がちゃんとあって、田舎者は田舎者の言葉がちゃんとあるということですよね。

そうです。本当に、いまだに覚えていますよ。私の人生最初の、一発目の衝撃ですよ。で、ちょっと喋ってみるからって、聴くと、なるほど、違うんですよ。田舎者なんだけど空気が違う。で、机の上に紙をおいて、鉛筆で「藪医者」の自宅を書きはじめるんですよ、五代目が。「こいつがここに居て、先生がこっち。で、ちょっとやるから」って、喋りだすと、バンと江戸が目の前に出てきたんですよ。この二つの衝撃は、本当にすごかった。今でもはっきり覚えています。「あ、生半可なことではダメなんだ、この世界」って(笑)。


――今お伺いしていても、その稽古の様子が目に浮かびます。それぐらいインパクトがあったんでしょうね。

ああ、本物だって。小さん師匠しかいないのに、権助と先生が出てきて、すげぇって。


――最後にこの「落語版・笑の大学」の聴きどころ、見どころを。

構えないで、ただ、寄席に来ました、落語会に来ました。という感じで来ていただいて。終わった時も、落語を聴いたなと、新作だ古典だではなく、ただ面白い落語があるんだなって思ってもらえたらいいなと思います。


――純粋に「おもしろい落語があるんだな」という感想はいいですね。

まだまだ、こっちも構えてしまうんですよね。三谷くんが作ったとか、必要なんだけれど、そういうものが、まだ噺そのものの鎧としてあるので。それがいずれなくなって、「芝浜」のように、季節になったらこれ聴かなきゃって、言われるものにしたいですね。


――キャッチフレーズや、鎧っていうものは、それはプロモーションとして必要で、それで足を運ぶお客さんもいると思います。ただ、会場に入ったら、そこではいろんなものが関係なく、ただ純粋に落語が行われたというようになれば、それはすごく素敵なことですよね。

志の輔なんかそうですね。「志の輔らくご」という名前の元に、大上段から振りかぶって、今日これからやるのは新作ですとか言わずにやれてしまうのは。彼の凄さはそこだなと。変に新作だからとか、枠を作ってないところが。たぶん、「笑の大学」も、それが出来る演目だと思います。


――落語ファンでなくとも十分に楽しめる内容です。落語なんだけど、やっぱりどこか違う。聴き終わった時の読後感というか、それは、落語ファンじゃなくても楽しめるので、構えることなく、いろんな人がどんどん来てくれたら、この噺はどんどん変化していくんでしょうね。

間口が広いからこそ、いろんな人に見てもらって、いろんな意見を聴きたいですね。私はね、落語で聴くのが一番面白いんじゃないかと自分では思っています。聴く側の自由さがあるので。凄いものを私はいただいたんでしょうね。ありがたいものをもらった。だからちゃんとやって、いずれは誰かがやるようになってほしい。そんな夢はどんどん膨らんでいきます。


公演情報
落語版・笑の大学

東京公演
2014年2月18日(火)19:00
2014年2月19日(水)14:00
2014年2月19日(水)19:00 二日間三回公演
千代田区立内幸町ホール
柳家さん生/桂宮治(18日)/春風亭ぴっかり☆(19日昼夜)
3,800円(全席指定・税込)
キョードー東京 0570-550-799 /イープラス/ぴあ/ローソン
問合せ キョードー東京 0570-550-799

富山公演
2014年3月9日(日)12:30
2014年3月9日(日)16:30
富山県民小劇場 オルビス
柳家さん生 / 春風亭ぴっかり☆
3,000円(全席指定・税込)
富山県民小劇場 オルビス 076-445-4531
富山テレビ放送

大阪公演
2014年3月30日(日)13:00
2014年3月30日(日)17:00
TORII HALL(トリイホール)
柳家さん生 / 春風亭ぴっかり☆
3,000円(全席指定・税込)
TORII HALL:06-6211-250