【スペシャルインタビュー】三遊亭萬橘 -前編-




三遊亭萬橘(さんゆうてい・まんきつ)

本名:中村彰伸(なかむら・あきのぶ)
生年月日:昭和54年(1979年)1月20日
出身地:愛知県豊川市(旧 宝飯(ほい)郡一宮町)
出身校:法政大学文学部中退
2003年7月 三遊亭圓橘に入門。前座名「橘つき」。2006年10月 「きつつき」で二ツ目昇進。2013年3月 真打昇進、四代目「萬橘」襲名。
2007年3月 「さがみはら若手落語家選手権」優勝。2009年2月「第6回伝統芸能祭りグランドチャンピオン大会」グランプリ受賞。


今年3月に真打に昇進されたばかりの三遊亭きつつき改め、萬橘師匠。円楽党期待のホープとして満を持しての真打昇進であり、今年の落語界の上半期に大いに話題になった。
高座で感じる、どこかぼやっとしたキャラクターに、その実よく聞くと鋭い洞察眼が宿っていることが分かる等、私にとってはとてもミステリアスで、興味のある方。

通常インタビューをさせていただく際には、自分が納得するまでその人についての事象を些末なことまで調べ上げてからのぞむ方法を取るが、今回に限っては、ほぼ予習なしの丸腰で対峙することに。それは、調べても調べても、なんだか雲を掴むかのような、手ごたえの薄さに辟易し、高座から受ける印象も相まって、これは「当たって砕けよう」と思ったのが事実だ。
そして、その結果は、見事に萬橘ワールドにはまり、強烈な印象を植え付けられはしましたが、終始一貫したしっかりとした軸があり、一つ理解できれば、数珠つなぎで他の側面も理解できそうな、そんな数学を解くような感覚に陥ったことは確かだ。

誤解を恐れずに言うと、古典において、自分の世界観をここまで自然に忍ばせられるという手腕は、徹底的な探究心と、それを可能にする意志の強さを必要とすることだろう。
入門へ傾く爆笑エピソードから、ボクシングの話、そして現代に落語がどうあるべきかなど、じっくりとお伺いしてきました。まずは、その前半をどうぞ。

取材・文章・写真:加藤孝朗

常に落語というものをちゃんと大枠で観て、自分は落語というものが機能するための一臓器とか、一器官であるという認識を常に持ちたい

mankitsu

―― 真打昇進おめでとうございます。私はニッポン放送での披露興行へお邪魔しました。

ありがとうございます。

ーー 萬橘さんや、同じ世代の若手の台頭をみるにつけ、ここ最近、落語界にも新たなステップが始まったんじゃないかと思うことがよくあります。そのようにフィールドが広がっている認識はありますか?

はい。ありますね。ただ、やっぱり、一般に向けての発信は、僕自身は少ない気がしています。落語好きに焦点を当てて活動をしている人はいっぱいいるとは思っているんですけど、その外側に向けて活動が出来ているかは疑問です。

ーー なるほど。その視点は確かにそう思います。

もっと言ってしまうと、つまり、落語自体の世の中の立ち位置を、よりはっきりした方がいいと。そしてその落語界の中で、自分がどの部分を担うのかという感性というか、そこまでの視野がないとイカンと思うんですよね。そうすると自分の立ち位置みたいなものはちゃんと考えないといけないのですが。それは向き不向き、得手不得手もあるかもしれないけれど、それを見極めて、戦力として戦っているという感覚が強ければ、今の落語が置かれている状況にとってはいいと思っています。

ーー 俯瞰的な視野をお持ちなんですね。確かに、外に向けてではなく、内側に向かう方法論だけで活動されている方も多いとは思いますし、落語のすそ野を広げようという意識を持っていながらも、慣習などにからめ捕られてしまい、無意識に内側に向かっている人も多い気がするんですが。最終的には、落語界の問題ではなく、個々の意識なんじゃないかと思います。

無意識に、というのは大いにあるかもしれないですね。でも、内に向いてしまいがちなのは、ちょっと矯正した方がいいんじゃないかと思っています。大枠で言ったら、誰がどこでどういうことをしているから、僕はここでこれをしようという連帯感というか、アウフヘーベンみたいな、相乗効果のようなものが、もっとあるべきだと思うんです。

ーー 個人での活動のみではなく、落語界としてですよね。

個人的に、「独演会がエンターテインメントとして機能している」という、危うい錯覚みたいなものがあると思うんですよ。僕のような下っ端の独演会がエンターテインメントとして成立しているなんておこがましいとうか、思い違いだと思うし。それは僕自身がそう思っているので。だから僕は、常に落語というものをちゃんと大枠で観て、自分は落語というものが機能するための一臓器とか、一器官であるという認識を常に持ちたいと思っています。

ーー 深い話ですね。その気づきは最近のことですか?

そうですね。でも、自分のやっていることに対しての違和感みたいなものはずっと感じ続けているので。いずれその違和感を言葉にして、体現するってことが必要だと思っています。やっぱり、仕事としてやっている限りは、ずっともやもやしながらやっていくわけにはいかないので。「どこに向かって何をすべきか」ってことを、同じくらいのキャリアの人たちと話ながら、考えてはいますね。

ーー 先ほど言われた向き不向きや、得手不得手とは、すなわち役割分担や落語界でのキャラクターということだと思うんですが、今の段階の萬橘師匠はどこを狙っていて、どこにいるという意識にありますか。

狙う段階にも行っていないですね。僕のやっていることが、落語の世界に潤いをもたらすようなことには至っていないと思っているので。そういう存在になっていないし、そういう立場にないので、具体的に体現するという所に至っていないんです。僕自身がどこに向かって、何が出来るかということも、まだ、はっきりとわかっていないんですね。キャリア10年ですけれど。

ーー まさに探し途中というところですか?

そうですね。真っ最中です。

真打披露の時は、神輿の上に乗っかっている鳳凰みたいな気で、とにかく必死に乗っからなくちゃいけない

mankitsu

ーー 真打になられて、ここからは自分の人生だという意識はありますか?

僕はないですね。噺家は、個人をすごく意識する職業だと思っています。それは考えなくてもそうなりがちだと思います。だから、むしろ自分でアタマを使って考える時は、出来るだけ大局的でありたいと考えます。独りよがりでやることくらいみっともないものはないと思うので。この世界は自己顕示欲の塊みたいな人間が集まっているし、また、落語家になった時点で自己顕示欲が強いということを表現しているわけだし。だから、師匠のもとを離れて自由になって、「さあ、個人としてどうしよう」というよりも、落語界のために「何かやれよ」と言われている気持ちが強いですね。

ーー ある種の使命感みたいなものでしょうか?

使命感というか、そんなカッコいいものじゃなくて。そういう性質なんだと思います、僕が。こしら兄さんとかからは「そんな大きなことを言うようなタマか」とか言われそうですが。

ーー こしら師は、「落語は、自分のアウトプットの一つでしかない」と言っていました。

こしら兄さんが担うべき部分というのは、僕らの世代においては、今後顕著に出てくると思いますよ(笑)。

ーー 上下(カミシモ)きれないですからね(笑)。

そうそう(笑)。でも、あの人、きっと演じてますからね。「本当はきちんとできるのに、やりやがらねぇ」っていう。楽屋から見てる立場からすれば、「何やってんだ、本当は出来るくせに、」とか思う訳ですよ、「この若年寄め」みたいな、ね(一同爆笑)。

ーー やっぱりそうなんですか?

その実は、分からないんですよ(笑)。まあ、でも、僕みたいなタイプはちゃんと考えていかないといけないと思うし。そうしないと職業として成立しにくくなるのかなと思います。独善的になればなるほど。

ーー 自分の活動が落語界を潤していないというのは、それは単純に規模感とか知名度という点ですか?

単純に言ってしまえば、何を担うかがはっきりしていない部分で、両方必要なんだと思います。まだ、水を与えられている側だと思うので。育ちきって実がなるのか、それとも葉っぱを落として地べたを肥やすのか、それがわからない以上は、何を言っても全く意味のないことになっちゃうと思っています。でも自分が何の木なのかは、せめて把握しないと。食べられる実じゃなくて、食べられない実であったとしても、落語の世界にはこういう実もあるんだぞというのを見せて行かなくてはいけないと思っています。

ーー なるほど。深い話ですね。

例えば、自分は「みんなが食べたいと思える実」であるのか、それとも「大勢が必要としていないけれども、ある道具として絶対に必要なもの」なのかをまずは見極めないと。「この材料がないとこの接続は出来ない」というような。それが分かって、それが自分が落語界で担うものであるとするならば、いろんなエンターテインメントがあるなかでも、自分の位置を確保して、地位を築けるかなぁと。落語の世界のこの場所には萬橘がいるみたいな、そういう風になりたいですよね。

ーー 落語界で担うものを追うこと自体が、活動の大きな目的にもなるだろうし、指針にもなるわけですね。でも、「今まさにそれを追われている」と言われながらも、やっぱり聞き手からすると今の時点でも萬橘師匠は、ある一定のイメージがあるじゃないですか?

あるんですかね?

ーー 子供受けがいいとか(一同爆笑)、よく言われる不細工キャラだったりとか、一応何かの方向性とか、イメージを周りは持っていると思います。

そうなんですかね(笑)。そうであればいいんですが。

ーー 私は音楽のプロモーションもずっとやってきた人間なので、そんな立場からすると、真打昇進のタイミングって、一気に露出が増えるじゃないですか、取材や、披露興行とか。その注目されるタイミングをきっちりと有効活用して、自分というものをきちんと打ち出すことが出来たのではないかと思うんですが、いかがですか?

いや、まだまだですよ。お客さんが「一体今日は何を聴きに来ているのか」ということ一つとっても、類推でしかないので。その延長線上に、自分のやるべきことがある可能性はありますけど。ただ、「自分が出来る事だけ」をやっていたら埋没するじゃないですか。だから、真打披露の時は、神輿の上に乗っかっている鳳凰みたいな気で、とにかく必死に乗っからなくちゃいけない。で、乗っかるためにはどうしたらいいのかということしか考えてはいなかったので、それ以上でも以下でもないですね。

ーー 担がれるのに必死で、それ以上のことは考えていなかった?

そうですね。ただ、己が望まれてトリをとるということになったら、これはまた、お客さんが望んでいるものは違ってくると思いますし。それは暗中模索していかないといけない。二ツ目でもなくなった以上は、なぜ自分がトリなのかは、ちゃんと一旦飲みこんだうえで、舞台の上で出来ることをやらなければいけないんです。今はまだ、そこは戸惑いが凄く強いですよね。今、このお客さんは、僕の何を聴きに来てくれているんだろうとか、何を聴いたら喜んでくれるんだろうと、毎回の高座が手さぐりの状態なんです。
上手いとか面白いというのは、いくらでも先輩方に居るわけだし、名人みたいな人を見たいのなら他にいっぱいいるし、CDもあるしDVDもある。生のライブで私がトリである会をあえて選んで来てくださる人たちに、一体、僕は何が出来るのかは手さぐりですね。それは非常に申し訳なくて。しょうがないですけど。ただ、それに100%意識が集中できるような状況を、高座の前には作らないといけないと思っています。それだけですね。

ーー 非常に真摯な姿勢に、今、心打たれています。

いやいや、とんでもないですよ(笑)。

そこにある空間自体が、落語の周辺にある空気を体現していたんです。その部室自体が

mankitsu

ーー 1979年1月20日生れ。愛知県。法政大学文学部を中退しての入門。

中退って言っても5年行ったんですけど(笑)。

ーー ああ、そっちの中退ですか(笑)。入門の為に途中で辞めたのかと思っていました。

途中じゃねぇじゃないかって(笑)超過退学ですね、正確に言うと。

ーー 文学部で何を専攻されてたんですか?

日本文学ですね。でも最初から日本文学を専攻して何ができるとか思って入ったわけではなくて。まあ、理系だったんですけどね、高校の時には。でも、なんか考えちゃったんでしょうね。宮崎駿さんの映画とかを観て、理系ってミクロから、顕微鏡を覗くことから人間の体なり、牛の体なりーーあ、僕、畜産の方に行きたかったんですけどーー拡大していくじゃないですか。そうやって外へ向かっていくんですよ。今、考えると屁理屈なんですけど、文学だったら外から中に入っていく感じがして。いきなり外から行きたかったんですよね。本なんか一切読んだことなかったんですけれど、外から中に入っていくという方が手っ取り早いと感じたんでしょうね。高3の夏休みに方向転換をして。全然勉強なんてしなかったんですよ。
で、ゼミも2つクビになって、もう次がダメだったらおしまいだという状況で、3つ目のゼミの先生には「あなたの論文は受け取らない」と言われたんで、もういいや、面倒くさいからといって辞めたんですよ、5年行ったんですけれど。

ーー ああ、そうなんですね。入門があっての中退かと思っていました。

そんなことないですね。辞めてからの入門です。辞めてから、入門する師匠を探しに行ったんで。辞める口実がないといけなかったんですよ、両親が「なんで辞めるんだよ」って。
あ、そうそう。ある日朝起きたら枕元に居たんですよ、愛知県にいるはずの親が(一同爆笑)。で、いきなり「どうするんだ?」と言われて、もうこれは、「いったん考えさせてください」とか言える状況じゃなくて、「落語家になる」と言ったんです。もう、言い訳がないとどうしようもなかったんで。「落語家になる」と言ったら、「そうか、ならわかった」と(笑)。

ーー いきなりOK出ちゃいましたね。

何もなくてただやめられては困ると。落語家になるって言っちゃってから、どういうことなんだって自分で考え始めちゃって(一同爆笑)。だから、なんでそんなこと言っちゃったのか全く分からないんですよね。寝首をかかれたというしかないというか。

ーー いろいろな方にお話をお伺いしていて一番面白いのが、入門へ至るまでの気持ちの変化だったり、そこの偶然性だったりとかなんです。ある種入門がかなえられたってことは、それなりのラッキーを積み重ねていった結果じゃないですか。

そうだと思いますね。

ーー だから、そこをお伺いするのが凄く面白いんですけれど、でも、今いきなり強烈なパンチが思ってもみなかった方向から飛んできましたね(一同爆笑)。

親の襲撃に対して、とっさに出てきた言葉が「落語家になる」ですからね。

ーー 落語の原体験は?

おそらく中学、高校のあたりだと思うんですけど、ただ、それはしこりになっていただけなんですよね。大学入って、サークルには一個も入らなかったんですけど、2年の時に留年したんですよ。2年を2回やったんです。留年した時に両親が、その時もまた、朝来てたんですよ(笑)「留年の通知が来た、なぜ言わなかったんだ」と。「このままだと退学になるぞ」と。で、「もう一年だけ行かせてください」って土下座したんですよ。そして、2回目の2年生が始まるんですが、学校に居場所がないんですよ、どうしても。

ーー そうでしょうね。

外国に行くためにお金を貯めていた期間にバイトしていた先が牛丼屋さんだったんですけど、そこの人に「落語研究会みたいなところに入ればいいんだよ」とか言われていたんです。で、原体験とそれが交差した時に、ふと不快感を覚えたんですよ、その時に。「なんであんなところに入らなきゃいけないんだ」って。面白いわけがないじゃないかって。で、愛知県なので吉本とかの文化もあったんで、原体験としては、多分心地よいモノではなかったんだと思うんですよ。それが再現されたんですよ、それを言われた時に。で、そんなところには入らないと。

ーー でも落研に入ったんですよね。

で、バイトしていて、外国行って、そのまま学校に行かなくなっちゃうんですけど。だけど、どうしても学校に居場所がなきゃいけないってなった時に、それ言われたのを、もう一回思い出したんですよ。で、いろんなサークルを探しに行ったんですけど、これ、本当に毎回喋っていても不思議なんですけど、美術研究会、演劇研究会、映画研究会、写真研究会とか表現系のサークルを全部回ったんです。全部行って最後に、落語研究会に行きました。

ーー ふつうに行かれたんですね。

他のサークルは行ったときに、バーッとテーブル並べて、「こうこうこういうことをやるから、楽しいから」って言われて、「わかりました、ありがとうございます。また考えてきます」って言って、その中から選ぼうと思って、出ていたんです。
落語研究会には最後に行ったんですが、牛丼屋のことを思い出して最後に行ったんですね。で、ガチャっと扉を開けた瞬間に「ここに入部する」って決めたんです。本当に不思議なんですけど。他のサークルはコンクリート打ちっぱなしの、テーブルとかもあって、先輩たちがずらっとならんでって感じで、こういうことをやるからと説明してくれるんですが、楽しい事ばっかりいう訳ですよね。入ってもらいたいからだと思うんですけど。

ーー まあ、普通はそういう対応ですよね。

落語研究会はそこだけ畳敷きで、日本酒の瓶がずらっと林立していて、中に寝袋をかぶって向こうを向いて寝ている人がいて、ガッチャっと開いた瞬間にその人の首がこっち向いて「何?」って言われたんです(一同爆笑)。で、その「何?」っていう質問の答えとして、「ここに入部したいんです」って言っちゃったんです。「ああ、そうですか、分かりました。でも今、誰もいないんだよね」みたいな感じで、「お前、本当にオレをここにいれたいのかよ?」って。きれいごとばかりを言うというのとは違うし、ありのままでしかないんですよね、そこにある空間自体が、落語の周辺にある空気を体現していたんです。その部室自体が。

ーー まあ、少なくとも意図的に作りこまれた状況ではないですよね。だって、寝袋で寝てるんですよね(笑)。

普通に寝てるんですよ。卵がワンパックあったんですけど、それが割れていて畳に染み込んでいたりと、汚い部室なわけですよ。でも、その周辺にある、「来るものは来い、去る者は去ったとしてもおれたちはここにいるんだ」っていう雰囲気みたいのが、落語が持っている雰囲気そのものだったんですよ。多分、今、考えるとですけどね。

ーー ああ、分かるような気がします。

その空気自体が、アジャストしたんですよね、多分。本当はどんなサークルなんだって考えなきゃいけなかったんですがそれが面倒くさかったんですよね。でも落語研究会は考える必要がなかったんですよね。

ーー 確実に、落語研究会と萬橘師の両者の凹凸がハマったんでしょうね。

そうそう。ズバッ。周辺にある空気みたいなものって、僕が今まで生きてきた人生とかと離反するところがなかったんだと思います。しっとりしたんだと思うんですよ。それで入部したんです。だから、原体験は中高生くらいにあってしこりにはなっていたんだろうけれど、落語と本当に出会った瞬間というのは、この入部の時なんじゃないかなと思います。だから、落語は聴いてもいなかったし、サークルに入ったあとでも落語なんか聴きやしなかったし、本当に落語を聴いて覚えるというのを原体験と呼ぶのなら、それは21とか22歳の時ですよね。

ーー それは居場所がなかったというところから、たまたま牛丼屋の人に言われて、すべてが、今から聴くとピースがハマっていったんでしょうね。でもその時で言ったら完全な偶然なわけじゃないですか。その偶然で手に入れた場所というのは、非常に心地よかったものだったんでしょうかね?

うーん。心地いいという感覚は違うんですよね。僕は、向いてないんじゃないかと何回も思いましたから。それはすなわち、人間関係が出来なかったんだろうと思うんですけど、多分、バカだったんだと思うんですよ。僕、全員と喧嘩しましたからね。部活で接点のある人の全員と(笑)。一人たりとも喧嘩しなかった人はいないですから。だから、そりが合わないし、僕自身が居心地がよかったという感じでもなかったですよ。

ーー それは、居心地がいいわけないですよね。

初期の段階で喧嘩して、卒業してからやっと再アクセスがあったやつがいるくらいなので。だから、常に、「あいつ来たのか」っていう感覚もあっただろうし、居心地がよかったかと言われるとそんなことはないんですが、違和感はなかったですね。考えなくていいって感じで、居心地がいいっていうのとは違いますね。

ーー 萬橘さんがその部と相性がいいということだったんでしょうかね。そこに居る人たちとではなく。その喧嘩ばかりしていたというのも含めて、その環境が。

そうなのかもしれないですね。今考えると、本当に迷惑かけましたからね。なんだかよく分からないんですけど、酒飲んで酔っ払った先輩が僕を呼んで、いきなり殴られたりとか。多分、普段からなんかあったんでしょうね。僕に対して、気に入らなかったことが。で、そういうのがあるから、多分、こちとらからしてみれば、向こうから勝手に殴ってきたという感じなんですけど、向こうからしたら、普段からいけ好かないことがあるんでしょうから。なんか、自由勝手にやっていたんでしょうね。人に迷惑かけながら、なんとなく生きていたんでしょうね。

ーー それは大学を辞めるまでずっと在籍し続けたんですか?

そうですね。3年間いました。

ーー その後から人が入ってくるから順繰り上がっていくわけじゃないですか、立場が。それでも残っていたってことは、同じ人間関係の中でずっといるならまだしも、新陳代謝がある訳じゃないですか、それでも今お話を伺っていると、その落語研究会というのは、代謝があっても大きくは変わらない場所だったんでしょうね。

そうですね。落語研究会というより、法政大学だったというのが大きいかもしれないです。法政って、学生自治だったんですよ、部室とかが。だから24時間とかいられるんですよね。寄席って落語をやるための空間じゃないですか、他のものが入り込む余地のないくらい。それと同じで、その部室っていうのも、ずっと落語研究会の人がいる場所なので、必ず毎日誰かが泊まっていましたし。

ーー 凄いですね、それは。

必ず寝袋に入っている人がいましたから。もちろん理性的なサークルに入っている人たちは、普通に帰ったりとかするじゃないですか。

ーー 理性的なサークルって…(笑)。

ちゃんと人間として生活を営んでいるサークルの人たちは、そんな汚い所に泊まるわけないんですよ。ロック系のサークルはたまに夜中に大騒ぎしていた時はありましたけど、でも、毎日居続けるなんてことはなかったですよね。

ーー まあ、ロックっていうのも、実は結構疲れるんで(笑)。

そうですよね。僕らは、鮨詰めになって寝てましたからね、合宿所みたいな感じで。

ーー そういう雰囲気も良かったんですかね?

うーん、僕自身は人間嫌いだったんで。人とずっと一緒に生活してとかだと派閥みたいなものも生まれるじゃないですか。でも落語が持っている雰囲気の中での居心地の悪さだから。

ーー ああ、言葉にならない雰囲気のようなものが、今、なんとなく伝わってきた気がします。その空間や空気自体が落語そのものだったというか、それが落語そのものだったと。

そうなんです。徹底的に喧嘩するんですけど、本とか投げて「てめぇ、出て行け」とか。でも、「居てもいいよ」とかね。よく分かんないんですよ、その雰囲気が(笑)。

ーー 既に落語の登場人物的な感じがしますね。

そうですね。掴み合いの喧嘩とかしましたし、でも居てもいいっていうんですよ。よく分かんないですよね。辞めさせるじゃないですか、普通だったら。そんな嫌な奴だったら。でも居てもいいよって言われるんですよ。


公演情報

『広瀬和生プロデュース「ニッポンの話芸」』

【日 程】8月18日(日) / 9月 6日(金) / 10月25日(金)
【会 場】成城ホール
【時 間】開演19:00
【料 金】前売 2,500円 / 当日 2,800円 (全席指定)
【詳 細】成城ホール http://seijohall.jp/event.html